電池少女#6

 三人目の電池少女は終わり近くになって登場したの巻。侵略される敬意とかやってたのだが、電池少女が吹きあがってる最中主人公がポロっと「差し迫った時でもさして抵抗なく占領された」の発言にみんな逆ギレ。このへんの状況は、もう現状の日本そのままの話で、難しい話なのだとは思うが、あの基地に集う面々のほとんどはむしろそういう状況にならないように抵抗してきたのだと思うし、むしろ能天気なのは電池少女のほうだという。
 しかしまぁ不思議なもので、いろいろ考えてみてはいるのだがいろいろ不明な点が多い。今のところ描かれている大半がレジスタンスと規制側でしかなく、侵略した側の国民の様子も、侵略された側の国民もほとんど描いてない。この作品が社会問題と言っても表現規制というテーマという狭い範囲で描かれていて、それは日本の庶民にとっても別に生存を脅かすほどの重要なイシューともなっていないのだから、別にそういう描き方で十分ではあるのだが、なんかもどかしい感じ。
 バトルシーンが出てくると、もう燃える展開だとか窮地に陥った時にそこをひっくり返す展開だとかで基本はもう個人的には考える要素がなくなってしまうので、実は今回のようなじっくり考えさせる話の方がよい。が、さすがにエンタメ作品だと理屈をこねくり回すシナリオばっかじゃダメなんだろう。
 あとよくわからんのが、支配側がアニメやアイドルをそんなに規制しますかねぇというところ。先の大戦でも芸能界は割と軍部に協力的だったし、アイドルが支持されているのならそれを逆手にとってむしろ国民の扇動の道具に使うと考えるのが自然な気はする。アニメだって今の状況だと結構政権批判要素がふんだんに取り入れられているように思うが、その点に関してやれ自民盗が過度に神経をとがらせてるという風にも見えないし、所詮絵空事だと放置気味のように感じる。3S政策のスクリーン、昔でいう映画に分類されるところだと思うのでやろうと思えばいつでも規制するし、アイドル、というか芸能界のように扇動の道具にも使うだろう。足下の状況としてドルオタアニオタに対して厳しい規制をかけてこようとしてるのはむしろキチフェミなのであって、ではこの作品の規制側がキチフェミのメタファーかと言われたらそうでもない感じなんだよな。
 表現規制という狭いくくりではなくて、経済的搾取関係という大きな構造と考えることもできるんだけども、それだとしても不明な部分が多すぎるし、やはりテーマとしては今のところボやけてる感じではある。