先生が小学生にかけた最大限の褒め言葉。
やっぱスタイルはミステリだな。実は自分はこのエピソードの結末が、世良が奉仕部にはいることだと見当をつけて視聴していたのだが、その予測は外れはしても方向性としてそんなに外れてはいなかったのかなとも思った。しかしまぁ今回は前回までの話よりわかり易かったな。結局ケイは世良が一番欲しがっていたものを最后まで探していたわけだ。それを探し当てたからリセットをかけたと。あと、何気に原因であるビー玉を先生に拾いに行かせてたのに草生えた。
さて、前回は長くなるからと今回に先延ばしたことがあって、それは検索をかけたときに実写劇場版がヒットして、そのトレーラーを見たときの感覚。正直これはないと思った。とはいっても中身を見たわけでもない内容を批判したいというのではなく、俳優の演技を自分の感覚が受け付けなかったことの驚き。なんか最近の演技は誇張が過ぎるというかなんか戯画的なものが多いような気がする。思い出したのが昭和期のドラマの演技。水戸黄門のような、平日の午後四時に再放送して老人層に見せるために作られたあの三文時代劇の脇役ですら、演技はナチュラルだったなという。どちらの演技がうまいかというと、例えばその昭和期の脇役は台詞に勢いが付きすぎていて何いっているか聞き取りづらいことも多く、逆に最近の俳優はテレヴィで万人が視聴するのを意識してかあまり聞き取りづらいってことはないように思う。からそのへんの能力はおそらく最近のほうが上だと思う。で、別にトレーラーがそうだったというわけでもないのだが、例えばあるキャストをアップにして映すとき、ズームの最中は時間を早送りしてアップになるとスロー再生するという、おそらくワイヤーアクションの手法だと思うが、そういう誇張の仕方をする。もちろんそういう手法を多用した実写ドラマを見せられてもおそらく数分で感覚が麻痺して慣れてどうとも思わなくなる可能性は高いのだが、どうにもこれが受け付けないのだ。で、アニメのほうはどうかというと、アニメの声当ては声優の台詞以外の演技は全然反映されないから当然大げさになっているはずで、実写ドラマの俳優の台詞とアニメの声優の台詞では、どう考えても後者のほうが誇張も甚だしいはずなのだが、体感は逆なんだよね。これビックリ。
おそらく実写は自分が考えるよりはるかに情報量が多く、ヒトは見たいものしか目に入らないとはいえ、無意識に映像に含まれる情報を受け取っているんだと思うんだよね。アニメは余計なものは削ぎ落とされるから情報量は必然的に少なくて、そういうものを自分は見慣れているから、過度の情報をうっかり受け取ってしまってくらくらしたのだと思う。そして上記の通り、今どきのドラマの演技が過剰方向に振っているからそれも付け加わっているんじゃないかな。あと、俳優が若手であるってことも原因かねぇ。こればっかりは想像なんだけど、ヴェテランほどメッセーヂを演技に込める際、そのメッセーヂ性以外のものは(誤読に繋がるからと)削ぎ落とせるんだろう。逆にそのメッセーヂに関連することは全身で表現する能力があるんじゃないかな。若手だと細部の動きまで意識することが出来ない(ヴェテランは意識した末にそれが無意識化できる段階を通過してるはず)から、どうしても余計な動きを除去できず、そういうのが視聴者に要らぬ情報まで伝えてしまうってこともあると思う。名俳優は役柄に対して純粋化できる才能を持っているんだろうなと、この歳になってようやっと演技とはなにかの入り口に立てたって感じ。
自分が実写ドラマの誇張表現が気に入らないからといっても、それが多数に支持されているからそうなっているのだろうし、若手の演技が…といっても、今ドキはコーチング技術も発達していて大根アイドルでもそれなりに形になるようにはなっているだろうからそれほど大外しもしないとは思うんだが、だからこそ名演技にふれる機会が少なくなっていてもったいない話だとは思うんだよね。