キミキスは配慮の作品である?。

 評価自体はおもろ+なんだけど、では文句無しに物語が作られているか?というと、なかなか難しいものはある。ただ、物語として完璧を目指してしまうと、それは間違いなく先が読めてしまうか予定調和とか謗られてオシマイということにはなってしまう。
 キャストインタヴューだと、先の展開を知らされないで声優たちは演技をやっていたということだ。それがホントだとすると、どうしてもキャスト自身による練りこみは行われないことになる。展開を知らせた上で声優自身のサプライズを捨ててしまうのか、展開を知らせないで新鮮さを得るのか、どっちがいいのかはちょっと判断がつかない。ただ、メインヒロインの小清水亜美は「狼と香辛料」の好演を見ると、どうも展開がわかったほうがいい演技ができる役者なんだろうなという気はした。
 アニメとしてのこの作品のおもしろさは、やはりその構造だろう。一つのメインストーリーを軸に、いろいろなエピソードを絡めていくのではなく、二つのストーリーを並列して進めている。混乱しないように、ヒロインの取り合いは避けられているが、それで対比させるというものになっている。
 結局、これは最近のエロゲ・ギャルゲにおける「同一主人公による複数ヒロインの攻略」という形の変形になっているわけだ。ゲーマーの選択によって複数の結果が得られるというのが今の流行で、できるだけ多くのヒロインの出番を作るために、主人公の数を増やすというアイデアは、知ってしまえばなるほどである。どうしても視聴者は単一の主人公に感情移入してしまいがちだからだ。が、昨今の価値観の多様化をうまく逆手に取った手法であるとはいえる。実は視聴者はヒロインに注目するのであり、主人公に同一化できるかどうかは優先度が低いからだ。
 で、後はバランスである。主人公二人に各々対立するヒロインを二人ずつ選べば、あとは脇キャラ決定である。物語の雰囲気を明るくするマスコットキャラに妹キャラを持ってきてヒロインから脱落させるということを決めてしまうと、いかにも恋愛の実現性の低いお嬢サマキャラも脱落させるのに無理はないし、ツンデレも後述する対立軸には合致しないので容易に排除しやすい。風紀委員キャラが最後までストーリーに絡んでこないというのは、主人公二人に注目させるためにもぜひ必要なことなのはわかる。さすがにゲームのキャラの炙り出しがどのように行われたのかわからないので、そこまでツッコむ事はできない。
 で、4人のヒロインだが、彼女たちの設定がうまく対比されるように配置されていて感心する。対立軸は大きく分けて、

  • 根明(活動的)vs根暗(待ち)
  • 古株(幼馴染)vs新規参入者(一目惚れか)

 の二つだ。男のほうもどちらかといえば一輝が活動的、光一が優男という設定だ。特徴を際立たせたりしていないし、どちらも煮え切らない性格に作ってあるが、主人公側は重要ではない。根明&古株と根暗&新規の組み合わせと根明&新規と根暗&古株の組み合わせのほうのどちらを選ぶかと言われれば、幼馴染が根暗というパターンはいかにも華がなさそうで却下されやすいと思う。まぁキミキスの人気が摩央で持っている部分を考えると、検討の余地はなさそうだが。ちなみに根明だけが選ばれるとか、幼馴染だけが選ばれるというのは、なるべく多くの視聴者を拾うためにNGである。
 あとは適当に変化をつけつつ、主人公たちが各ヒロインを選ぶのに無理のない理屈付けをしておけばいい。基本的に選ばれるヒロインに好感度をアップさせるエピソードを入れ、選ばれないヒロインには注意深く欠点を付け加えておけばいいからだ。ただし、摩央は除く。ビッチとの呼び声も高かったが、そもそもこの作品は摩央に始まり、摩央に終わるという作りになっていたことを思い出すと、男主人公を差し置いてなにより摩央の物語になっているからだ。それと悟られないよう摩央を堕としておくのはむしろ当然である。もちろん、これも話が終わったからこそわかることではあるのだが。
 さて、欠点であるが、筋力バカについては前にも述べた。意識的にか無意識的にか、ライヴァルを蹴落としておいて「仕方ないよね」という態度。わざと彼女が振り回しているという描写にしていなかったために、彼女が視聴者に好意的に受け入れられていたのは、スタッフの力量だと思う。地味子はわかりづらいのだが、結局言える事は「待っているダケの女」であったことだろう。確かに周囲に気は遣うし、ほとんど欠点らしき欠点は見当たらないのだが、なにより光一に対する執着が薄いように感じた。だんだんライヴァルに惹かれていくのを気付いていながら、結局物分かりの良さだけ示して、自分に繋ぎとめようとする努力をしていなかったように思う。でもまぁ、これまたスタッフのウマさだと思うのだが、傷つきたくないから自分から働きかけずにいるというのは、いわゆる日本人的感性には訴えかけやすいし、引っ越しという要素もうまく絡めている。泥臭さを演じるのはビッチがやっている(ちなみに対岸では筋力バカが担当している)わけで、対比という観点からも地味子はやるべきではない。
 で、選ばれるほうは基本ライヴァルを非難しない。むしろライヴァルに譲るという行動すら示している。あと、やっぱり選ばれるための決定的要因があって、それはやはり「先に相手に働きかけている」ということではないだろうか。しかも状況としてまずありえない行動なのだ。一輝サイドはモロそうだと思う。味オンチのあの性格からすると突然あんな行動に出るハズないだろうと思う。光一サイドでもよくよく考えたらオカシイ。二人をくっつけるための決め手が小さい時の思い出なんて、後だしじゃんけんもいいとこだろう。しかもあのタイミングで告白かよ!と常識なら考えられないことをしているような気がする。しかし、むしろ常識に従っていては何事も進まないよ、自分から積極的に働きかけないと物事は進んでいかないよ…というメッセージなのであれば、これは合点がいく。
 あと気をつけなくてはならないのだが、いくらギャルゲ原作だからといっても、これは男主人公がヒロインを選ぶ物語ではないことだ。男主人公は選ばされているだけであって、この物語の本質は“ヒロインが男に自分を選ばせる”ものだからだ。内田樹の「寝ながら学べる構造主義」ではないが、結局“自分が本当に欲しいものは他人に与えることによってしか手に入らない”というレヴィ・ストロースの逆説的な要約にもつながる。まさに選ばれたヒロインは相手に欲しいものを与えたがために自分が本当に欲しいものが手に入ったし、選ばれなかったヒロインは、相手から(構造的に)奪うだけだったから、結局欲しいものは手に入らなかったという結果になっている。うまいというしかない。
 というわけで、対立するもの同士のせめぎあい、各要素の適度な散らばり、自然な理屈付けなど、かなり冷静に組み立てられたストーリーなんだろうなと思わされた。クライマックスは終わりに配置して欲しかったのだが、お涙頂戴的感動はむしろ中間部分に配置されていた。終盤は淡々と進行させて必要以上に炎上するのを防いでいたのかな?とも思う。大きく持ち上げるつもりもないんだけど、良く考えられた秀作なんではないかとは思った。