新米錬金#12

 主人公の両親の商会を番頭が守ってくれていて、主人公に引き継がせたいという旨聞かされる話。店舗と銘打つからにはこういう話をメインに持ってくるべきじゃね?という気がするが、うーんなんとも。
 そもそも田舎の村で店舗というのがオカシイのであって、本邦では前近代では常設の店舗など皆無に近いという話は前にも他の作品で述べたように思う。地方だと人口の大半が農民であった日本ではほぼ自給自足であったし、自給自足で得られないものは行商人から買ったり、月に一~二回開かれる市で物々交換に近い形で入手(傘地蔵は、正月を迎えるための品々を得るために、爺ちゃんが市に傘を売りに行って現金を調達し、その現金で必要物資を買う予定が、傘が売れずに地蔵に与える話)だったし、徳川時代に急速に発達し、早い段階で世界一の人口を誇った江戸でも、庶民の大半は物売りから買ってた(時そばはいわゆる屋台の話)から、やはり常設の店舗は一般的ではなかった。
 ただ、この作品はいちおう前近代の中世をモデルにしてそうで、例えば城郭都市とか自治都市では常設店舗がアタリマエだったのだけども、では交易路上でもない地方で常設の店舗がありえたのかといわれると、そこはやはり疑問であって、設定からして合成に必要な薬草の宝庫ではあっても、産業らしき産業も見当たらないあの土地では、そもそもが酒場だとか鍛冶屋があるのも疑問。採集者がぽろぽろ見えていたけど、買取した素材は、やはり交易路でもなければどうやって運搬するの?って話で、交易路でないから主人公が魔法ブーストで移動してたわけだし、主人公が転移魔法を使うから買取が成立したわけで、以前は寒村であったはず。
 まぁいかに現代人がたった150年ほど前の自分の国のことを想像できなくなってるか…というか、そういう時代を知ってる人が今、この瞬間死に絶えようとしてるタイミングではあるのだが、だからこそ、この作品で描かれてる世界観は現代人がイメージしやすいようむしろ現代社会を中世風味にリデザインしてると見ることもできる。
 なので今回の、商売を通じて社会貢献…みたいなテーマがあったのなら、最初っからそれを前提に話を組み立てるべきだったのでは?という気がしてる。個人的には錬金術で商品合成だとか(いわゆるゲームの○○のアトリエっぽいなにか)、ファンタジー生物の狩り方とかどうでもいいんで、こう、主人公の魔法生成物を村の産業として…も江戸期の家内制手工業的、近代の一歩手前みたいな感じがやはりウソ臭いんだけども…をもうちょっと生活に密着した形のものにした方がそのテーマには添えたんじゃないかなという感じ。というか、個人的には田舎でのんびり…みたいなのを想像してたから、魔法がどうだの魔物がどうだのはそういう方向性の方がなじみがあるのでは?という。主人公が成長するわけでもなくむしろ主人公自身がデウスエクスマキナだったし、どの要素に注目しても中途半端で、キャラがじゃれ合ってる姿を生暖かく見守るならそう悪くはないけど、とりたててこの作品を見る意味があるか?といわれると、それほどでも…という感じ。