聖女#6

 セイがいろいろ教育を受けるの巻。うーん、やっぱ依然として描かれない宗教的要素と魔法の関係が気になる。中世西欧風ファンタジーで例えば白魔術と黒魔術が分けられ、治癒魔法のように人を癒すものはたいてい聖職者の領域になっているし、攻撃魔法のように人を傷つけるものは聖職者が扱えないようになっているのは、やはりキリスト教との関係性を重視しているわけで、それはやはりキリストは人々を救うために使わされた神の子であって、彼の起こした奇跡は救済の意味があるから全肯定されるし、だからこそ教会の行う治療行為や儀式はそれゆえ神聖なものと位置づけられてるハズ。しかし、人を傷つけるような行為でなくても、それが科学的に説明できなかった時代ではキリスト教と紐づけられてない市井のいろいろな行為は、宗教の裏付けがないからこそ何をしでかすかわからない信用のならなかったものと受け取られがちで、宗教者の行う行為と似ているのにキリスト教とは関係ない…ならばそれはほかの宗教由来の奇跡なのでは…という流れになり、だからこそ魔女狩りなどもあったわけだ。それほど宗教という信頼性が担保されていたわけなのだが、これにはまったくそういう裏付けがなされてない。この世界の魔法は、観察対象でもあり検証可能性なども考慮されているっぽいから、やはり宗教というより科学的な態度のようにも思えるし、しかし剣と魔法の世界なのだから、近代とも違う何かなんだよな。魔法を扱えるものと扱えないものが先天的に決まっているようだし、やはり要素と手順を守ればだれでも実現が可能な科学とも違う。ではその魔力の源泉はどこから?というわけで、西洋ファンタジーでは聖職者に関しては神の力となってたわけだが、そういう雰囲気を拝借していながらその説明はなされない。
 なんでこんな些末なことに引っかかるかというと、やはり今回のダンスシーン。例えば中世西欧で修道女がダンスを踊れなかったわけではないのだろうが、どう考えてもいくら高位の修道女であっても王室のお抱え教師に教えられることだけはなかったろうと思うから、どうにも違和感が拭えなかったというか。今回の話を見てる限り、セイは国賓扱いだし、前回の国王の「爵位か領地か」の発言でもわかるように、あきらかに貴族の一員として扱われ*1ている。いや、貴族の中でも魔術特性が特に高いものを聖なる扱いする、魔法も魔力を可算的にしてその多寡で判断しているのだったら、なんでセイの講師になった師団長(魔術師団長?)は聖人扱いされないのだろうかとか、前回四肢を失って失望もし、それをセイに再生してもらってこの上もなく喜んでいるんだったら、例えば死なんてものは理不尽以外の何物でもないのに、それに対する恐怖や悲しみを緩和するために宗教の力を借りないのだったらなんで埋めていたの?とか、人間にとって理解不能な事象を人知を超えた存在に託しているのでなければ、科学的に合理的思考方法を発達させているようにも見えないしで、宗教を描かないことはこんなにも違和感を生じさせるものなのかと今更ながらに思い知った次第。
 いや、物語の大きな構造、転生した主人公が転生先の人間より優れた能力を用いて俺TUEEEして、イケメンにも好意を寄せられ元居た世界より全然過ごしやすい環境を得て役得役得でもちっとも構わないわけだよ。でもそれは別にその世界基準では理解不能な近代科学を移植したという今までの異世界転生モノで構わないワケで、セイは日本ではまじめに働くOLだったわけで、そういう知識があったという設定でいいじゃんみたいな。「聖女」という単語は宗教色の強いものなのに宗教を描かないのもなんだかなぁで、でもなんてーの?、もしかしてクリスマスもVDも宗教色を一切排して商業利用してしまう日本と同じ世界を描いてるとでもいうのだろうか?。転生先も見かけは中世西欧ファンタジーだが社会構造からすると同じ日本でしたみたいなオチ?。もっといえばセイが妄想した夢オチとかそんなのかなぁ。シナリオ自体はおかしくないんだけど、ただひたすら世界設定だけが安易すぎて残念だという。

*1:討伐に参加しろといわれるらしいから、これは中世西洋の封建制度、騎士は封土を授かるが軍事的に奉仕するというアレに酷似してる