電池少女#12

 質量爆弾として落とされる予定だった展示場が、こともあろうに設置されるという形になってEND。うーん、やっぱよーわからん。ヒロインズが主人公に思いや夢を支えてもらって(別に主人公は彼女たちの夢に積極的に共感したわけでもないのがミソ)希望を取り戻したとかあって、なんか夢とか生きていくうえで必要だよねーという主張だとするとなんか力強さが足りないなぁという感じだし、なんだろ?、オタクたちの趣味そのものはメインカルチャーではないという後ろめたさというか、ルサンチマンと言ってしまうとそれは違うが、かといって自分の趣味を高らかに自慢できるものでもないというのはよく知っていて、だから世の中に強く認めろという態度でもないし、かといって制限されるのもそれは違うんじゃね?みたいな、どうにも中途半端さが否めない感じがあって、そうゆうのがダラダラ最終回まで続いてきた感じはする。最終決戦で戦いたいものは残れと言われて多数が脱退したかと思えば、着ぐるみの中の人が美少女だとあっさり戻ってきてしまうというのもオタクの一面として描かれてるわけで、TV版エヴァンゲリオンのようにオタク趣味なんて見苦しいからやめろよとケンカを売ってるわけでもないが、かといってオタクが(カジュアル化したとしても)趣味に耽溺するのは悪い事ではないんだから正々堂々としてろというものでもない。
 で、なんか敵を倒しての結論も、オマエの問題点は助けられるところは助けるからみたいな流れで、なんつーか、山田太郎だの、最近でいえば赤松健が権力側に擦り寄ってなんか御意見番的役割だとかできるもんなら防波堤なんて本人たちは言ってはいるもののせいぜいガス抜き程度であって、圧力団体としても全然力はないし、権力側の本質を変えるものでは全然ないわけだが、そういうのとも違う。いちおう相手を認める代わりに自分も認めろみたいな主張のようにも思えるが、いちおうあちらは抑圧側に現に位置してるわけで、全然対等でも何でもなくって、そこで多様性に対する肯定を言ってみたところでこれも全然力強さはない。
 まぁそんなわけで、主人公とヒロインズのパートはともかくとして、全体としての主張がどうも散漫というか、それが現在のサブカルの立場の弱さを考慮に入れたらそうせざるを得ないというだけで、そんな状況もぼんやりあらわしてみましたというにも、せっかく作品として世に上梓するんだから行間に込めて直接言わないにしてももうちょっとはっきり言いなさいよと思ってしまうので、個人的にはなんかぼんやりした作品だったなぁという感じ。で、前回あたりも言ってる通り、自分が行間を読めてないだけの話のような気もして、どうにもこうにも自分で自分に困惑してるとかそんな感じ。