月とライカ#12

 赤の広場での祝賀式典にて主人公が…の巻。まぁ本当にここまで整えられて…という展開なので、誰もこれ以外の展開を思い浮かべてなかったデショ…みたいな。個人的にはその後の書記長の行動が読めなかったといえばそうなんだが、よくよく考えてみたら現実でもニキータはヨシフの粛清政治からの脱却を図っていたのは事実だし、終わってみたらなあんだという。
 もともと正論をぶちかまして上官を殴って降格させられていたという状況から出発し、物語が動いている最中にも耐G訓練の際にまたやらかし、本当にあの状況が絶対に起きないようにしたいのだったら、最初から主人公が宇宙飛行士に選抜されることはなかったワケで、しかも演説の直前にはそれまで全く顔見せすらさせてなかった父母まで登場させて、一度は降格されたのを知っているはずなのにオマエ考えがあっても暴挙は慎めと言わせずむしろやりたいことをやれと煽り、そりゃ演説の途中で言い澱んだ時に視聴者の誰もが「またやらかすぞ」と思ったハズ。どう考えてもあの主席秘書官殿が主人公の暴発を最初っから狙っていたと考えざるを得ないわけで、書記長だって「運び屋」なる対立候補だけでなく対立国家もやりこめて政治的基盤を盤石にした…という流れなのだから、彼の得た成果からすると吸血姫サマ万々歳といったところだろう。いやまぁ物語のお約束をむしろ逆手にとってクライマックスを盛り上げた…というところは、キャラにこういう展開になると予想してたでしょとほのめかさせるメタ手法といい、良い意味での遊び心が発揮されている感じ。しかも反韓反中を煽って差別主義者の支持を獲得し、国民を分断して日本をめちゃくちゃにしたアベと対比させてるのはアネクドートにも似た批判精神が発露してるのかなといった感じ。
 まぁそんなわけで、元々宇宙開発にはそれなりに関心があったし、資本主義側ではなく社会主義側の開発黎明期というニッチなところを攻めてきて、最初の印象からしてそんなに悪くはなかったのだが、そりゃ史実をしっかり描写してくれるドキュメンタリーを見た方が得るものは格段に多いとは思うんだけども、そこからエエトコ取りしてロマンスにも似たものを混ぜ込んだファンタジーとして十分楽しめましたよという評価。吸血姫をモノ扱いしろといわれて関係者が、まぁたった一人の宇宙飛行士に選ばれたら国家の英雄になれると頭に血が上っていた主人公以外の候補生たちは除くとしても、犬にすら憐憫の情を示す開発陣が実際どう思っていたか…まぁどことなくオリエント急行殺人事件のような構造だったよねみたいなところもなかなか胸にクるものがあった。

見える子ちゃん#12

 代用教員周辺の問題をとりあえず解決して〆。連載は続いているだろうから、アニメ版としての風呂敷を畳む処理をしたってことで、前回より何か大きな変化があったとかそんなんではなかったような気はする。
 というわけで、さんざん言ってきた通り、霊魂というか悪霊とかを介していても、ヒトによって見えるものが違うみたいなテーマをホラーを絡めて提示した作品のような気はした。主人公にその親友、途中参加の金髪ツインテと、それぞれ見えるもの…というか能力が違っていて、見えるから解決能力があるわけでもないし、そのへん人間社会は人の善意で成り立っているものというわけでは決してなく、むしろ悪意で構成されていて、たいていの人はそれに気づかないし、それに対する錯誤で満ち溢れており、たとえ本質が見えていたとしてもヒト一人のできることというのはあまりに無力…みたいにまとめてみると、なかなか社会の切り取り方としては含意があるなぁといった感じ。
 最初こういうモノノ怪を扱ったものというのは、なにかしらの霊的な存在はやはり人間の思いなんかが込められているものであって、そういう霊に対する恐怖というのは大抵少女向けマンガに多いものであるから、てっきりもうちょっと具体性のある女の子向け作品だと思っていた。が、キャラデザからしておとこのこ向けだし、別にこの作品自体が男女のどちらかにターゲットを絞ったものでもなかろうけど、あのお色気担当の茶髪ショートちゃんあたりからすると、まぁ無難に萌え作品だという風に最初は解釈していてなんか安直だよなーとか思ってた。
 そしてやはりビックリしたのが、そういう霊的存在と(メイン)キャラはなんのかんのいって理解が及んだり、コミュニケーションが可能である…という作品が多かったように思うので、これほどディスコミュニケーションを盛り込んでるというのもちょっと珍しい。そして類似作品はやはりトラブルシュートが多くて、これもなんのかんのいって解決してメデタシメデタシという形が多いから、一応の帰結点を示しはしてもそれが決して問題が解決したことになるのかどうかもよくわかんない、解決したというのも錯覚かも…という形にしてるのもなかなか見かけない。
 我々の社会というのは、人それぞれの部分はあるのだけども、人間として一つの場を共有して、同じ言語を発するのであれば、議論を尽くすなり誠意を見せれば相互理解が可能だとつい考えてしまうのであるが、世の中には自分の都合しか考えずそもそもコミュニケーションが通じるかどうかもわかんないってことが、最近は多くなってきてるわけで、この作品における悪霊だとかが仮に昨今流行りの最初っから人を騙すつもりの汚職政治屋だとかキチフェミに置き換えてみると、あーら不思議、別に違和感なく対人間の物語としても通用してしまうという。そしてそれら社会悪のような何か通常では一切接点のない人間だけにとどまらず、これだけ価値観が発散した現代だと身近にもそういう共通認識というものが通用しない人が珍しくもなくなってきてるので、そういう意味でもいろいろ考えさせられる作品だったと思う。