蜘蛛T24

 蜘蛛子の時間をつなぎ合わせて善玉悪玉の整理をして今後の課題END。うーん、よーわからん。正直なところ、ここまでの話は1クールでやっとくべきで、残り1クールは以後の話をすべきなんじゃネェの?とは思うが、まぁ続きが気になる人は原作をどうぞENDだろうし、そのへんはなんとも。メッセージ性ということを考えたら、別に要素は今までの物語やエピソードにあるものだし、それは24話も続いて最後に構造の転換をやるための間持たせだったんかと思うと、やはりここまで付き合わされてこれかといった感が強い。転生先が蜘蛛であって、それも他の転生者と違ってかなりカーストが低い行き先だったのが、それはそれなりに意味があったのだろうが、このT24でアラクネという人間の姿を模せる種族に転生できたということは、最下級種族から進化したそのことに大いに意味があると思うのだが、今回の話をざっと振り返ってみても意味付けをしてるように見えないのはどういうことか。勇者側を描いている時間だと、蜘蛛子が人の姿を獲得したのはずっと前のことであって、今やるべきことだと判断しなかったのだろうが、逆に初回が蜘蛛に転生した違和感を示して、一期のEDはやれ美少女戦士がどうだのと歌わせて、最終回で人の姿を獲得したという構成なのだから、アニメとしてはやはりそのことに焦点を合わせて作品を作ってきたと思わざるを得ない。で、それは主人公の今までの努力や辛い雌伏期間に対するご褒美という位置づけなの?。おそらく原作は今回のアラクネへの進化は、今までの上級種への進化と同じ位置づけで、だからこそ進化直後に今まで通りバトルシーンを持ってきてるんだよね。
 っつーわけで、個人的にはこの作品の魅力がよくわからんアニメだった。おそらくクラマーと一緒で、ある意味大河作品であって、作品全体を見渡して初めて浮かび上がるテーマとかメッセージ性があって、アニメ版は全体からするとほんの一部、物語のメインに入る前に終わってしまったので、それが掴みようにもつかめないという構造になっているのではないかという。いやだって、勇者側が人間側のメインかと思ったら、結局彼らはいちおう悪者とされている勢力にその意図を知らず寄宿してるというか利用されてるだけって段階なわけでしょ。これから彼らが世界の構造を知ってどういう行動をするのかはまだまだ先だし、勇者側としてもそれで物語が本格始動するわけで、いわばプレリュードが終わった直後ということになる。それでそのプレリュードが面白かったか?と言われたら、勇者側は主体的に行動するという段階に踏み込んでもおらず、蜘蛛子は単純なバトルとレベルアップの繰り返し構造。ゲームでも、STG対戦格闘ゲームをギャラリーとして見るのはそこそこ面白いと思うけど、RPGのレベル上げを傍から見て面白いか?ということに尽きる。
 自分の友人によると、なろう系小説の商業化は、あれはグッズなんだと言っていて、おそらく出版社として見ればなろうだろうとカクヨムだろうと、PV数も、♥数も明示的なんで、出版部数を見積もりやすいし、大半の書籍はファン目当てで新規さんを当て込んでないから、大抵再販もかからないらしい。それと同じ構図なのがこのアニメなんじゃなかろうか。原作それなりに支持者がいて、それを当て込んだ商品化がこのアニメというワケ。
 リゼロは結局自分は長ったらしくて退屈して原作チェックからリタイアしたのだけども、あれはあれで、死に戻りというループ構造が、何度就職試験を受けてもお祈りされて、なかなか就職先にありつけないというところあたりに現代の若者の共感を受ける要素があったという気がしてるというのは何度か触れてきたのだが、蜘蛛子の境遇当たりを抽象化しようとしても、そういう社会問題に対するなんらかの共感性があるという風には思えなくて、いったいこの作品のどこに魅力があるのかよくわからん感じ。転生者はほぼ元の学校の人間関係が反映されているから、存在感が薄かった蜘蛛子が努力して蜘蛛の魔物としては最上位の存在になれたって構造からして、そりゃあれか?、スクールカースト下位のものも努力すれば人権が得られるって構造に夢見てるとかそんなのか?。
 まぁ持ってきてる要素、エピソードは凡庸だし、話運びも退屈なんだけど、ただ話の構成が整ってないかといわれたらそんなことはないので、RPG的世界観が好きな人にはたまらんのかもな。申し訳ないけど、個人的にはフックするところが少なくて楽しみどころがわからなかったというしかない。自分には合わなかったなというだけのお話。