ひげひろ#12

 母親が保護者として全然ダメだったというお話。うーん、なんか評価は難しいな。結局この作品、ヒロインが自立して新たな一歩を踏み出すという結果ありきで組み立てられているので、母親のあの設定は、ヒロインが乗り越えるべき強敵という形になって、その敵が強ければ強いほど乗り越えたヒロインは強くなれるし、吉田の支援も妥当だったという流れになる。のだが、えーっとですね、父親は女狂いでヒロインが生まれる前から母親との関係性が破綻してたし、もちろん父親としての責務を果たしていなかったわけだ。それに加えてあの母親も、ヒロインを産むことで結局夫(ヒロイン父)をつなぎとめることができず壊れたと兄の説明にはあるので、ヒロインが生まれたときから母親はああだったと考えるしかない。となれば、ヒロインと兄があのように常識人として育っていること自体がフツーありえないことであって、下手するとヒロインは肉親に愛されないその代償行為をいろいろやっていてもおかしくない。つまり、他人に依存する、もっといえば男遊びをもっと若いうちからしてるとか、あと、この物語だとヒロインはいじめられ役だが、いじめ役になっていてもおかしくない…というか、ヒロインは母親以外の他人とそれほど関わりがあるようにも見えないから、母親の姿を学習して(だってそれしかお手本がいないから)いじめっ子になってる可能性のほうが高い。でも、ターゲット層がそうではないというか、別に生育環境が劣悪で、すれっからしに育った底意地の悪い娘が更生する話なんておそらく誰も見たくないというか、すくなくともドラマにする素材なのであって、アニメ(漫画)の題材にするには全然相性が悪い。ヒロインは、すくなくとも視聴者に愛されるだけの条件を満たしていなくてはならず、なら一般人や常識人より若干スペックが高いが、何らかの障害があって他人の支援を必要としてるほど落ちぶれてるという設定にせざるを得ない。現実の家出少女の家出の動機は、この作品のヒロインよりもっと志は低いし、ヒロインを拾ったサラリーマン吉田も、家出少女を拾う現実の男からしたら奇跡に近いほど善人であるというしかない。
 そういう意味ではやっぱり、かつて日本にもあったはずのアジールの役割を、どう現代に蘇らせるか程度のテーマなのであって、それが今回のセリフにもあった、ヒロインには避難所が必要だったというところだと思う。自分はなぜヒロインは彼女が本来所属していた共同体が包摂できなかったのか、ではその包摂されなかった対象者を(他の)社会はどう受け入れ、再生されるべきか?というテーマのように感じたのだけども、今回示されたのはもっと事態は深刻で、もともとヒロインは包摂されるべき共同体をもっていなかった。もう社会は共同体を失い、家族という単位までバラバラに個人分断化されており、その家庭が壊れてしまっていれば、あー確かに逃げるしかないんだけど、でも逃げる先もないよねという構図になってる。
 似非ヤンキー少女や職場の同僚に焚き付けられてのこのこヒロインに寄り添う役割を吉田は果たしていたんだけど、本来アジールだったら、思春期の少女の面倒は女が見ていたであろうし、このように母親と対峙する際には男ではなく女が後見人となって交渉につくはずで、だから以前吉田の上司は事情を把握したらフツー彼女自身がヒロインを引き取るなり、吉田の支援としてヒロインに深く寄り添うようにすべきで、アレ、吉田に丸投げして逃げただろといったのはそう外れてもなかったという感じ。
 なので、家出少女という切り取り方は結構恣意的な切り取り方であって、まぁ見目麗しい少女が精神的に何か抱えていて、おっさんが据え膳食わずに善人として支援すれば、その少女から好意を寄せられるという、男というかおっさんのドリーム全開なそういう釣り針なのであって、こうやって終わりに近づいてみれば、壊れてしまった共同体と個人分断化の行き着く先ってのが、まぁぼんやりとした大きなテーマだったんだなという感じ。友人の自殺がトラウマだとかそういうのはもうとってつけたようなものなのであって、個人的にはヒロインがいじめられ、しかもそれで友人を失って精神的な大打撃を負うているあの学校に再び通うなどありえないとしか思えん*1わけで、まぁ次回、本当にヒロインは自立への一歩は踏み出し、吉田はそっと剥がされてメデタシメデタシになるかどうかは未知数という感じ。


やくも#12

 コンテストの結果発表の巻。なんかオチがよかった。座ったら絶対満足する…というのではなく、これ実際に機能すんの?、座ったら壊れない?、本当に涼しいのかということも含めて座ってみたいという仕込みも良かったし、完成度はともかく確かにそりゃ見た人に座ってみたいと思わせるものがあるというのがヘンな意味で納得。クリエーターとして見れば、商品としての絶対的信頼感というのとは別に、見た人の心を動かすことができたというのはもう大成功の部類なので、〆としても悪くなかった。
 実写パートは前回あれでカレー編終わりなの?と思っていたその続きと多治見観光のおさらい。
 本編の感想としては、いろんな要素が平均以上の出来で、それらのバランスがうまく組み合わされていて、なにか特別突き抜けてるって感じではないんだけど、全体として楽しめたって感じ。こうおおきな価値観を提示するとかなにか不条理を突き付けるとかそういう作品ではないから、バラエティとしてはよくできていたのではないでしょうか。

艦これ春イベ振り返り。

kancolle.doorblog.jp
 結構気になって、※欄読んでた。前のエントリーで述べた通り、E5-3では旗艦エイムに仕込みがされてるとは感じたし、今回潜水マスに基地航空隊や支援を投げたときにも、旗艦エイム(今までは旗艦残しがデフォルトだった)が改善されていたので、なるほど運営もクリアしやすいような確率いじりをしてんのねとは感じたので、難易度が低いと感じたプレーヤーがいてもおかしくないのではあるが、まぁ鍛えられた信者だよなみたいな。ウマ娘も一時のブームが一段落したようで、競走馬なら五歳で引退だろうからゲームを続けるには育成を周回するというシステムになってるように見えるから、推しに結果を残せばそれで満足しちゃうゲームであり、長続きしないサービスなんだろうなとは思った。が、他にも魅力的なゲームはたくさんあって、艦これの屋上屋を扶桑の艦橋のようにいびつに積み上げてきた古いシステムだとかなり脱落者が多いんだろうなという印象。各サーバーのDAUも一万切ってるらしいので(ひどいサーバーは二千切ってるらしい)、今、好意的に※を残してるのはそれなりにカネかけて育成してるユーザーか、少ない周回数でクリアできた認知バイアスのかかってるユーザーなんだろうなという感じ。毎回このエントリーをチェックしてるわけではないのだが、※は後半になると批判が多くなっているので、今までが好意的な※で突っ切ってたのを見ると、古参の鍛えられた信者でも呆れてる層が結構いるんだなということがわかる。
 レベルキャップ外しは1ユニット700円なので、Lv99になったものからすべて課金してると、200隻で14万、300隻で21万なのだから、運営にとっては上客で、甲難易度はそういう課金プレーヤーへの接待海域になってきてるんだろうなというきはしてる。とはいえ、イベントで追加されるユニットは4~7隻であり、サブユニットもできるだけ持つということであれば、母港課金@1000円もイベント参加費用なのであって、そういうパンピープレーヤーには甲難易度は少々めんどくさいんですよというのもヘンは話ではある。
 自分も他のゲームをやって、同じマップを周回するときはスキップ機能を利用するなんてのを経験すると、艦これがかなり時代遅れになってきてるんだろうなというのを実感する。いちおう10年目までのロードマップは考えているらしいのだが、カドカワの決算では艦これについての言及がなくなっているらしく、収益源という位置づけではないらしいから、10年を一区切りにしてサ終という可能性もあるのかなという予感はした。
 まぁなんといってもサービスでしかないので、収益を見込める重課金者を念頭に運営の基本方針を組み立てるのはそりゃそうなんだろうけど、PtWでカネを払えばクリアできるってのはそれはストラテジーとしてはどーなの?というのはゲーム業界にいる友人の弁。本当に10周年を機にサ終するのかどうかは未知数だけど、少なくともこのサービスの方向性が10周年ではぼ確定するのは間違いないので、それまでの過程を楽しむとしますかね。

*1:家庭の問題が解決しても学校での状況は何も変わってない