戦闘員#12

 古代兵器ロボットをなんとかしてEND。トラ男の使い方がどうにも明後日の方向だなと思う以外は、まぁ普通のドタバタコメディ。人としての欲望に忠実でありながら、倫理的にはストッパーもかかる主人公にサラリーマンの姿を重ねて、笑いあり涙ありのシナリオにしてるのは、まぁ最初っから最後まで首尾一貫してた。どこかチャップリンの喜劇に似てるというのも、こちらが下品な…というのを除けばそれもあまり印象が変わることもなかった。どうせおおきなおにいさん向けだろうし、そういうスタイルは最初の一話を見たら明らかなんで、視聴者の趣向に合うかどうかスグに判断できるようになってるし、そのへんある意味手堅く作ってあるかなという感じ。
 ヒキのシーンでは、このまま終わってしまえばよいのに、新キャラの顔見せもしていて、続編の期待は高まるが、まぁフツーにこれでアニメは終わりなんじゃないかと思う。
 この作品で結構好きだったのがOP。声色から石原夏織かと思いきや伊藤美来。魔族側のキメラの役をやってたほう。イントロから冒頭の歌詞に至る流れが、いかにも物語に自然に導入しているし、なんやろ?かっこよさをそれなりに追及してるんだが、歌詞が始まるとともに、どこかのんびりした雰囲気とか漂ってきて、あんまり前のめりになるんじゃないよ、もうちょっと肩の力を抜けよみたいな、そういう落ち着いたところが毎回聞くたびに癒される感じ。仕事でも自分で自分を奮い立たせてミッション遂行のために全力を尽くせ!…みたいな感じではなく、マージンを十分とって、楽しみながら仕事をしろよみたいな主張のようにも思えて、なんかじーんとくるんだよな。
 まぁ話の内容は益体もない三文芝居ではあるんだが、作品のスタイルがスタイルなんで、別に文学作品で涙を流したいわけでもないんだから、エンタメとしてこれはこれでいいんだよ…みたいな。
 あーそうそう、こちらはAIと人間が対等の関係なんだよな。

モリアニ#23

 モリアーティー次男が手あたり次第貴族を手にかけ、その罪を被るという手段に出て周囲が動揺するの巻。正直よくわからん。イギリスもフランスも市民革命によって階級社会が打破されたわけではないし、でも確かに効果はあって、それは「貴族だからと言って庶民をナメてると、貴族が庶民に対してしたように、容赦ない反撃が来るぞ」ということを実力行使で示したことなのであって、イギリスで革命後も、産業革命を経て庶民が貴族に虐げられてきた構造が変わったわけでもなく、シャーロックホームズのあの時代もそれは変わってなかったわけだが、ウィリアムがそういう革命の遺志らしきものを示さずに、庶民に貴族を打倒するべきだという認識も植え付けることもなく、ただ、彼が貴族を殺してその罪を被るというのは、階級社会を成り立たせている法律体系に屈するというだけの話であって、それでなにか解決するとも思われない。女王が今回顔見せまでして登場していて、そういや貴族の傍若無人な振る舞いに心を痛めてるという設定だったなというのを思い出すが、彼女こそ階級社会の諸悪の根源なのであって、王が貴族のそういう振る舞いに積極的に関与して公的にやめさせようとする態度無しに、なんか隠密に末端の手下にやらせるってのもこすっからい話なのであって、正直これで何か変わるとも思えん。
 なので、これはもうイギリスのあの時代の話だと思っていてはダメなのであって、やはりアベの傍若無人な振る舞いに、生前退位でちょっとでも抗議の姿勢を示そうとしたとみられてる天皇明仁が女王のモデルと考えるしかなく、実際アベやそのオトモダチが私腹を肥やしているのを表立って抑制しようとしている組織は日本には皆無だったわけで、まぁ日本にはいなかった仕置き人、まぁちょっと前の時代劇でいえば、水戸黄門やら中村主水などのヒーローをモリアーティーやシャーロックに当てはめて物語にしてみましたって感じなのだろう。モリアーティーが義賊であったら、鼠小僧次郎吉のようにちょっとは庶民の支持があったろう*1に、ここにきてモリアーティーのやってることは確かに犯罪だが、それで貴族をギャフンと言わせて庶民には好評という描き方ではなく、長男が糾弾されてるから、あれ、自民盗が国会の答弁を与党の質問時間を激増してやたらアベをヨイショしたり、野党を非難したりしてたわけで、あとはJNSCに指示してとにかく反アベ勢力をネットでも報道でも糾弾して印象操作で悪者にしてた構図と考えるしかない。
 まぁそのへんの不自然さだよな。一つ一つの事件の謎解きっぽいシナリオは出来がいいのに、全体の構成を意識すると途端に違和感が際立ってしまう。なにか大きな間違いをしてるってわけでもなく、志も高いし、魅力は十分にあるんだけど、なんかもったいない感じ。

*1:当時の庶民はあまり鼠小僧をヒーロー扱いしてなかったらしいが