友崎#8

 みみみの心がいったん折れ、また立ち直る話。うーん、今となっては陸上も有望な選択肢になっているのだが、女子は男子と違って野球部がないし、サッカーもマイナーなので、一番はバレーだとしても、バスケもそれなりに勢力としては大きくて、全中二位のキャプテンの日南が高校に行っていきなり陸上に転向してあっさりバスケのキャリアを捨てるのはちょっとリアリティがないというか、で、県二位の七海もバスケを捨てるとか。なんやろ?、そりゃこの過去話からするとチームスポーツは個人の努力だけではなくチームメイトとの関係性もあるから、ああいう設定をしたのであれば確かにすべての責任を自分だけで背負える個人競技に転向したというエクスキューズにはなっているんだけど、なら最初っから中学も陸上やってた…にどうしてしなかったのかという気がしないでもない。しかもタマちゃんに認知欲求満たしてもらって復帰とか、あーといった感じ。いやまぁ作品の方向性はあくまでラノベであって文学ではないのだから、そりゃこういう結末というか流れにせにゃぁならんだろうなという気はするが、あまりに作為的というか、掘り下げようによってはいくらでも深くできように…なのだが、まぁ深かったらライトではないわな。
 しかしまぁ友崎の「誰も悪くないのに」というセリフは、当然「では悪いのは何か」という注意を読者に喚起してるのであって、そのへんやっぱリア充ノウハウ要素は叩き台でしかなくって、本質は現代社会批判なんだろうなという感じ。友崎が日南になんでアタファミで一番のお前がと非難されていたが、根本的に日南と七海が内面化してるのは「一番になること」であって、取り組んでいるモノに対する意味付けとかそういうのは全部すっ飛ばしてそれ自体が自己目的化してるわけで、そのへん友崎が内面化してるのは決して「一番になること」ではないという違いがある。まぁよく作ってあるというべきで、日南も七海もバスケが本質的に好きでなかったから、高校進学に際してあっさり捨てたのだろうし、なら陸上競技も好きじゃないんだよね?ということも言える。で、バスケにしろ陸上にしろ、社会的に認知度が高くて、それで優秀な成績を収めると世間的な評価が高いからって要素は必ずあるでしょ?、もしそれをやることがダサいとなったらアンタたち選んでないよね?みたいな。そのへんゲームで一位になったとしても世間的には決して評価されないけど、それに夢中になれる友崎のほうがよっぽど動機として純粋だよね?という。でも、今回の〆では友崎が笑われるという展開にしてる。
 しかし、この話、高校生のまだモラトリアムだから大事にならないわけで、例えばどの部活動に入るか、その部活動で一番になるかどうかは自己決定権の範囲内だが、もし社会に出るとして、もう就職先がブラック企業しかなくて、その配属先の上司に営業成績一位を取れと強制でもされ、一位とそれ以外では給料に圧倒的な差をつけられでもしたら、もう途端に殺伐とするしかない。そういう環境では同僚は明確な敵だし、営業成績一位を取るためだったら相手を騙すのも躊躇してはいられなくなってしまうわけで、この作品がある程度支持されているってのはそのへんが連想しやすくなってるからだろう。まぁこの作品の舞台もスクールカースト極まってるって触れ込みだが、本当にスクールカーストが機能してるんなら友崎が浮かび上がれる余地はないし、文学少女ちゃんが他人の気持ちを慮ってクラスメートを案ずるってこともないわけで、まだまだヌルい環境なんだろうなという感じではある。

色づくを再視聴した。

 時期的にはふむふむのお供なのだが、ふむふむ関係なくなんの気なしに視聴し始めてそのまま止まらんかった感じ。放映は約2年前、感想というか初視聴は約一年半前で、ずいぶん前の作品のように思ったのだが案外それほど昔のことでもなかった。
 一通り視聴しているからだいたいのあらすじは覚えているものの、細かなところとかは記憶が飛んでるのでそこそこ新鮮さはあった。っつーか、話の筋が見えてるから、視聴ポイントがセリフの内容に入り込むので結構面白かった。もうなんというか、やさしい世界。社会批判要素がほぼなくて、あーそんな時期だったかもというのを思い出した。なんというか、アベ政権前後ではそれなりに社会批判要素がちょくちょく込められていたのが、その後なぜかそういう風潮の作品の無風地帯みたいな時期があって、個人的な感覚では2019年中盤あたりから一気に社会批判要素を込めた作品が多くなった記憶がある。とにかく丁寧な作りで、写真や美術をモチーフとしてるから、そういう映像技術を意識したシーンがてんこ盛りだし、背景なんかを見ても驚くほど一切の妥協が感じられない。投じたリソースや余裕を考えると上記フライ絵作品の友崎と比べても力の入れようが違うのがわかる。
 これはよくわからんのだが、凪あすが放映された2013年はまだ政権交代の気風が残ってた…というか、政策時期を考えたらアベ政権を意識してたとは思えないわけなのだが、でもアベが政権に復帰してアベノミクスを吹かして首都圏にカネがジャブジャブあふれた時期に企画が浮上したのかなと思わなくもない。実際アベノミクスを吹かした数年で日本に起こってたことは、GDPがマイナス成長してた時期で、アベ本人ですらアベノミクスの恩恵を地方にも行き渡らせるためにアベノミクスを吹かすといってたぐらいだがら、実際には日本の富が減少してるのに、地方は全然景気が回復せず都市部だけが潤っていたからカネ持ちと貧乏人の間だけではなく、中央と地方の経済格差が猛烈に広がったとみてよい。なので、P.A.Worksだから地方の製作所とは言えど、製作委員会にカネを出すスポンサーはもしかしたら都市部で潤っていたかもしれずでなんとも。
 始めて視聴した時とは違って、もう#1や#2の段階からボロボロ泣きながら視聴してたわけが、色覚を無くした主人公が生きる気力を失ってるとか、その相方が自分の夢を閉じ込めていたとか、将来の自己決定権というかそういうものを見失っていたところから、お互い気を遣いあって自己を獲得していくびるどぅんぐすロマンの構造をとっているわけなのだが、なるほど思春期の悩みをこれほど美しく描いていても、ハテ、今改めて視聴してみるとこの価値が騰貴していて驚いた次第。まぁマヂになるのもアホらしいが、2018年時に高校生だったキャラたちが、今この日本に現実うにいたとすると、おそらく格差が拡大した日本で画家や写真家になるのは厳しいだろうし、コロナ禍の追加ダメージで難易度が跳ね上がってるハズ。夢に向かって頑張るということが途端に現実味を失ってしまったという。後輩クンも親の喫茶店が閉店に追い込まれてるかもしれずで世は無常よのぅといった感じ。
 魔法というのが、例えば他の作品では権力のメタファーだったりするのがこの作品ではホントささいなものにとどめられてるその謙虚さと、主人公の魔法使いが幼いころそれにだけ色を感じてた絵本のことが、最終話で種明かしがされるまでにたった一度しか言及がないとか、見返してみて本当に構成が練られてるのがわかる。おそらく放映当時はそれなりに話題にもなったろうし支持もされたのだと思うが、大ヒットはしなかったのだろう。公式ツイを見てもほぼ一年前に更新が終わっており、約1年で保守期間が終わったんだろうなと思うと個人的には惜しい感じ。篠原監督の作品やらねぇかなぁと思ったら、どうも今年の3rdQに新作をやるらしい。
aquatope-anime.com
 流行りモノを持ってくるあたりちょっと胡散臭いものは感じるのだが逆に時代性を表してるともいえるのかも。ちょっと楽しみにしてる。

SK∞#4~#7

 愛抱夢との対決二段構えと温泉回、そして主人公の葛藤へという展開。三日前ぐらいに視聴してたんだけど、感想を書こうと思ってそのまま忘れてたという。というかそんなに書くことない。ドラマ的にはそう見るべきところがないのと、今までこの作品に感じてた、スケボーが敷居が低いのに奥が深い、いつでも手軽にやれそうなのに文化的には非日常性を大切にしてそうなところという提示、あと動画としての疾走感あたりの魅力を描いているところから大きく逸脱してない感じ。どうせこの作品見てスケボーを始めようかと思う層は少ないだろうから、スケボー世界の紹介を初心者向けにはしてるけど、やってみろ楽しいからとか、本当にスケボーを始めるにはこんなことに気をつけろという初心者向け講座みたいなものがないあたり、バッサリ切り捨てて正解かも。
 どうにもワルに突き抜けてたシャドウがすっかりイイひとになっていてさすが予定調和みたいな。基本ギャグテイストだからこれでイイんだけど、せっかくのケレン味が失われてちょっと残念。今のところは悪役を愛抱夢が全部引き受けているんだけど、もし物語が進むにつれ同好の士どうし本当はみんな仲良しみたいな流れにするんだったらオイオイといったところ。

キンスレ#22

 聖剣の封印を解く前に敵に察知され、重要キャラが昏睡状態に陥る話。いやー、封印解くのを引っ張る引っ張る。魔王の正体でビックリさせ、次回は経緯でビックリさせるらしい。どうやら#26フルでやるみたいだが、それにしてもあと4話。どう考えても封印解いてからの大決戦みたいなものはやる尺を残してないし、そのへんドラマで突っ切るのかな。個人的にはバトルシーンの華麗さで理念方面がおろそかになるのは御免なのでありがたい話。いちおう今までの描写も大地震前の予震としてよく構成されてるという感じなので、クライマックスで大コケはさすがにないだろうという感じ。それなりに意外性でビックリさせてきても、意外性はなくても地に足の着いた主張をしてきても特に不満はない仕上げになると思う。

馬鹿野郎#6

 エッジャ村の流浪民がリュート卿和国に迎え入れられたが、行動を分かったアロウが拉致され危機に陥ってしまう話。こう、視聴者の激情を誘う作りではないんだけど、とにかく展開がくるくるしてて忙しい。ただ、どう考えてもエッジャ村の人たちは苦労の末に報われたという形にはなっておらず、空騒ぎさせられてるってのはわかったし、そのへん状況は何も改善してないという。なにげに風呂回であったのだけども、洗いっこのはずが、メインヒロインガ洗っただけで狐に化かされた感じになってたし、そのへん同感毛ても裏があるだろうみたいなものはわかるようになってる。個人的にはアロウに別行動をとらせたのは、シュウビにしてみればエッジャ村の人が何かあった時の保険だと考えていたんだけどあっさり予想は外れてしまったという。
 しかし次回予告の愛を語る唇はなぜ牙を隠すのか…とか、もうどう考えても中世ヨーロッパの宣教師が派遣先を植民地にするための帝国主義の尖兵だったのを意識してるのは明らかで、もう一つ捻れば、そもそもこの物語の世界が壁に囲まれており、外から武器が供給されるというのも、これまた中世ヨーロッパが目的の国を植民地にするために、国内の勢力に武器供与をしてたし、その構造は現代でも変わってないというアレ。どちらにしても、ではエッジャ村はもう実体として形を成しておらず、また壁の中の国々も争わされて、では何が奪われてるのか?というのを明示的に描いていないからアレだが、まぁ構造的には宗主国と植民地の搾取・被搾取の関係なのは明らか。中世ヨーロッパの植民地化政策を、ほとんどの現地の人はそう認識しておらず、国内の勢力同士でお互いを敵だと認識させられていがみ合わされてるだけなので、それがこの物語の壁の中の人々がその構造に対してあまりに考えを巡らせてない、とにかく投げ込まれる武器を争って奪い合うという相似形がこれまたアイロニーたっぷり。
 まぁ余計なことなんだろうけど、ネトウヨにアニオタが多いらしいが、コードギアスも植民地支配のことが描かれていたし、これもまたそうなんだけど、こういう作品を支持する癖になんでアベを支持するかねぇという感じ。目開きメクラとしか思えんのだが、本人たちにその自覚がないのがまた哀れというか。