サマレン#24

 ラス前。なんかビックリ。ラスボスに昇格した男、長生きしたい→三次政権をつくりたい、世界を終わらせる→日本を(経済的に)終わらせたと来て、あーこいつアベだわと思った次の展開が散弾銃*1で撃ち殺される。現実と符牒がこんなにも一致するのか…。まぁそうはいってももう完結してた物語だし、まさか現実がああなると思ってこの作品を選んだわけでもなかろうし、いやまぁ現実をああすると決めてこの作品を予告編としてアニメとして公開したというのは微レ存であり得るけど、そんなにうまくいくもんとも思えんしで。
 過去に遡った一行、蛭子の望みがもう一度やり直すと弟くんが言い、それをヒロインがこれで終わらせるのが蛭子の望みだといってもとから断ったわけだが、個人的には本当はもう一度やり直したいのが願いなんだけど、蛭子の口がきけないのをいいことにヒロインが無情にも諸悪の根源を断ったように見えた。鯨が消えるまでは必死で手を伸ばしてたし、鯨が消えたら安心しきった表情になっているのか?と言われたらそうでもなかったわけで、これは自分の見立てはあんまり外れてないような気がするが、まぁよくわからん。
 しかしラストバトルが長かった。個人的にはダルダルだったなという感じだがカタルシスはちゃんと作れてたとは思う。次回が最終回のようだが、ヒロインのセリフだと最後のお別れをしてENDみたいな感じだけど、過去に遡って蛭子の呪いやそれによってもたらされた災厄はなかったことになったのだから(しかもこの作品の場合、ループすればループ前の世界はなかったことにされるので)、ヒロインが溺死した事実が無くなってメデタシメデタシとなってもオカシクないとは思ってるが、これも結末が示されないとなんとも。でも作品自体は完結してるからggれば結果は現段階でも確認可能なんだよね…。

プリマドール#12

 内乱の後始末の巻。うーん、こっちは心ある人の犠牲で惨事が回避されたという話立て。上記サマレンが諸悪の根源を実力行使で排除して、メインキャラはハッピーエンドという方向性だが、こっちは実力行使ではないが、悪は逮捕され、メインキャラは幸せとは言えない結末。
 こうやって終わってみれば、これもやはり現代日本がモチーフになっていたというか、最初に設定されてた状況が戦後日本であるし、今回の騒動である反乱はアベのクーデター政権であるのはほぼ間違いないところと見てよいのではとは思った。今回の騒動の中心であった人形はまさにアベのメタファーで、彼の祖父岸信介が滅亡戦争に突入させた主犯でありながら、孫にその累は及ばないだろうと日本社会が受け入れた結果、日本は彼によるクーデターによって穏やかではあるが再度滅茶苦茶にされたのであって、あの人形をメインキャラたちが暖かく迎え入れたがゆえの暴走という筋立てに反映されている。主人公である人形は結局記憶という、それまでの彼女のやさしさを含む受容のありかたが破壊されたということであり、彼女自身が経験を積み重ねてもその傍からすぐに忘却してしまうということは、もうちょっとやそっとのことでは修復が叶わないほどに破壊の程度が酷かったということであり、その解決方法が「初期化」というのも、日本は今までのありかたではいけないという示唆なんだろうと思う。結局アレだけ犯罪の構成要件が有りながら、司法(裁判所)も行政(検察警察)も機能しなかったのであり、そのへんいくら心ある人が犠牲になったとしてもアベが逮捕されることは、たとえ彼が暗殺などにあわず生き続けていたとしても有り得ることではなかった。そして現実に起こったことは、実力でアベが排除されて彼の悪事がどんどん衆目に晒されることになり、別にそれで日本が復活するわけではないが、少しずつありうべき形に機能しだしたということ。そのへんこの作品が、みんながそう願えば機能不全は少しずつでも解消していくというその方向性について全然見誤っていたのであり、だからと言ってこの作品の主張が全部否定されるべきとも思わないが、見通しは全然甘くて、しかも事実は小説よりも奇なりということが示されてしまった。ただ、歌の持つ力という部分については、自分、歌が人と人とをつなぐ重要な機能を持っていて、歌が直接…という形でなくても、その繋がりが深まっていけば社会は改善の方向に進む…というアイドルものによくみられる主張なのかもと疑っていたのだけども、それは違っていたというか、あまり歌に関して社会を変えるとか人々の考え方を変えるとかそういう過大な役割を負わせてなかったのはなかなかにして抑制のきいたストーリーであったとは思う。
 ルミナスでも最初の頃は組織論みたいなものから入っていたから、物語の終わりになるにつれそういう要素が薄れていったのはこの作品も同様なんだけど、まぁやっぱりというか、別にそういう方向性でなくても全然良かったんだけど、現実の社会問題について直球勝負に来てたんだなというちょっとした納得感はあった。
 あんまり比較することに意味があるとも思えないんだけど、サマレンを視聴した後のコレなんで、いちおう言及しとくと、ストーリーの質はサマレンはエンタメ重視なのでこっちの方が格段に良いと思うんだけど、結局結論としてはサマレンのダメなものは実力行使で排除というほうが、この作品の、みんなの意識改革を待つというセンチメンタリズムよりはるかに現実に対応する力を持ってたじゃないという話になる。物語の質として、それはいろんな形であってよいのだけども、葉鍵といえばやはり泣かせなのであって、そういう芯の部分を変えられないままストーリーを作っていくと、現実に向けてのメッセージとしてはむしろ間違ったものを発信してしまうんだなという危うさがあったのだと思う。とはいえ、別にシナリオライターがこの話を発信することで世の中がこう変わっていくという確信があったわけでもないだろうし、こう変わっていってくれたらいいな程度であって、別にこの話で視聴者が泣いてくれたらそれで勝利条件は達成できたと言えるのであって、果たして現実を変えたのはどういう行動だったのか答えが出てしまって一番驚いてるのはライター自身なのではないかという気もするが。
 というわけで、なんか現実がフィクションを追い越してしまって、ちょっと自分もこの作品の評価に困ってる状況。泣ける話としては全然オッケーだけど、事態はそういう次元を超えてしまったので…。

*1:しかもみんな(日本庶民)の願いを込めた一発