はめふら#7

 転生前のお話と試験でダンジョン攻略の話。前回でもそういう場面があったのだが、主人公一部のキャラに恨まれてるという描写があるので、そろそろ足踏み展開に入りそう。ただ、ちょっとどうなるのか読めない感じ。まず、この恨まれてるって状況も破滅フラグの1つであるということ、カタリナ、今まで人間関係で順調なところを見せてきたが、もしサロンの人気者という立ち位置を獲得したいのなら、この恨んでる相手も包含する必要があること。
 で、メタ構造の話をすれば、ゲーム世界もしくは今いるこの物語世界がいわゆる物語のお約束という構造を脱却できないのであれば、カタリナが悪役を放棄したおかげで、誰かが悪役をやるようにキャラの役割の組み換えが起こるということ。今の所、元のゲームではカタリナが悪役の元締めだったようなので、彼女が従えていたその他諸々の悪役の誰かが出世してカタリナの肩代わりをやらされてるみたいな流れのように見える。ただ、この作品が、物語の成立のために必ず悪役が必要で、カタリナが逃げた以上その役割を誰かがやらされざるを得ないという構造をもし明示したいのなら、それはおそらく善玉のキャラが転落するという形で示されるはずなんで、その線は薄いとは思ってる。
 でもまぁ難しいところで、今までが今までで、悪役が善玉に変化することで、ゲームのメインキャラがすべて救われるような展開になっており、これ、もし物語世界がゆるやかであっても現実世界を仮託しているものであったら、個人の心がけで世界は改善するという主張なのかもしれないし、今の所そういう形になってる。メアリやソフィアを助けることになった初期のエピソードでも、別にいじめっ子を追い払っただけで追い詰めることはしてない。だが、カタリナはただ生き残るために一生懸命であるというだけであって、別に弱者の気持ちを慮っての善意の行動を自覚して行っているわけではないから、そのへんはまぁ。ただ、カタリナがメインキャラに好かれるのも、構造として負の感情と対照的であるからなのであって、そのへん損な役回りというのは誰かが引き受けなければならないということから逃げられないような気はするんだよね。
 なので、この作品、その部分をどこまで引き受けて描写するかしないかはまだ不透明であって、そういう意味からちょっと先が読めないなというワケ。あと、ソフィアが主人公の前世での友達あっちゃんだとして、あっちゃん、主人公と同様死んじゃったの?という疑問もあるが、まぁそのへんは今の所あんまり重要ではなさそう。

アルテ#7

 アルテが自分のベニス行きと引き換えに寡婦を救う話。フィレンツェと並んでベニスはあの時代の中世自治都市では代表格なので、そもそもベニスの貴族がアルテを招聘って段階で、これは行く流れだとか思ってたのだけども、まだまだ修行の身というセリフで、なかなか地に足をつけた描写にするんだなとか妙に感心してた。正直なところあの時代の職業観とか自分はわかっていないので、修行の旅というのも1つのあり方ぐらいに思っていて、たとえ一人前になっていなくても見聞を広めたり他所の指導を受けることでスキルアップすることもあるんじゃね?みたいな感覚だったというか。
 寡婦のルザンナの件は、これもよくわからんというか、旦那の実家もルザンナの親方の工房もフィレンツェにあって、なんでシエナに住んでたのとか、シエナで暮らすのならシエナで食ってく仕事も展望もあるだろうに、そんなに急に大金が必要なのかとか。身重の女が徒歩であってもたとえ馬車でも一人旅は辛かろうに、そのへんの連想部分に頼って結構話端折っとるなという感覚。まぁ順当に考えてアルテを単純にベニスに行かせないためにこう引っ張り回す要素のひとつなんだとわかるが、まぁそれに加えて現代のシンママに重ねてる部分はあるんだろうなと。今回の話を見る限り、結局寡婦寡婦のまま生きていくためには他人(今回の話だとアルテ)の犠牲が必要で、現代だと社会制度がなまじっかあるために見えにくくなってるけど、本来シンママで暮らしていくのは昔も今もしんどいことに変わりがないんだから、その他人の犠牲にもっと考えを巡らせよう*1よみたいな。
 しかしなんだな、今まで割とハガレンでいう等価交換の構造を示してきて、まぁそれが中世の価値観でもあり、現代にも通じるところではあるんだろうけど、例えば前回のアルテが職人仲間に認められるのは、決して女性であっても一人の人間だから平等に扱われるべきとかいうお花畑でなく、ちゃんと男の職人と負けず劣らずの努力を示すということを描いているわけで、一方的になんらかの理想が認められるって形にはなってない。で、アルテも寡婦の支援のお願いをするからには、相手のお願いも聞く必要があるということを自明として受け取っていて、ではルザンナがアルテその他の支援を受けたのだからそのお返しも当然あるはず。金銭的な等価交換は、片務的にすることで読者に考えさせる構造になっているんだろうなと思うが、それとは別に物語的にはバランスを取る必要があって、それが後からルザンナから形あるものとして示される*2かもしれないし、もしかするとアルテがフィレンツェに残るよりもベニスに行ったほうが良い経験ができたみたいな形で回収されるのかどうかはちょっと現段階では不明だが。

*1:今回はルザンナが寡婦になったのは不可抗力であってそれを見るに見かねてという流れになってたが、では何の考えもなく結婚して何の考えもなく子供を生んで何の考えもなく離婚して負担だけを社会に押し付けようとするのはオッケーなの?

*2:レオとのキューピッド役なのがそれかもしれないし