はめふら#10

 カタリナを糾弾してきたのは隠れ攻略キャラに操られていたから…というお話。なんか拍子抜け。もうちょっと大枠で物語の構造をひっくり返してくるのかと期待してたんだけど、あくまでカタリナ視点での物語から大きく外れないらしい。確かに見かけからして最初っからそうなんだろうが、うーん、イドだとかリスナーズとかむしろこまごまとしたエピソードは単なる象徴で、最初っから語られてるのは概念だとか構造という作品なんかもごっちゃにして視聴してるから、どうしてもそういう解釈が紛れ込んでしまう。
 ただ、カタリナに転生した主人公は、あくまでフォーチュンラバーというゲーム世界で生きていくしかなくて、そのためにタイトルにもあるフラグ管理を軸として話が動いていくって構造自体は最初っからブレてないから、そのへんはまぁ。カタリナの目的はこの転生したゲーム世界を生き抜くことなのであって、別に相対してるキャラを一人の人間として愛してるわけでもなく、キャラの事情に深く思いを致して寄り添おうとするがゆえの人たらしでも…それこそ最初っからそういう立ち位置では…ないので、彼女に投げかけられた偽善者というセリフは、これこそ自分が中盤辺りから耳にしたいと思っていた言葉でもある。ただ、オモロいのは、むしろ助けられるキャラにとっては、カタリナに「自分を好きになってほしいから親切にしてる」という下心がないということに惹かれもするのであって、なるほど隠れ攻略キャラが単なる嫌悪感などではなく、激しく嫉妬の炎で自身の心を焦がすという理屈だてにもなってる。もちろん、女王型にありがちな、各キャラに親切にして自分に振り向かせながら恩を売り、サークル内での権力を握る…という下心もない。
 しかもごくごく近くでその関係性を見せつけられて、自分は決してその輪に入ることはなく、カタリナに単なる「いい人」扱いされるわけなんだから、そりゃ胸をかきむしるほどの思いだったんだろう。そのへんよーできとるわ…って感じ。まぁ精神年齢は低いが知性の高いこじらせ君を鎮撫するのも大変だろうが、他のキャラが一対一での恩のやりとりで関係性を築いている以上、今回の話、この件を許すことだけで恩のやり取りが完結するので、思ったより簡単に解決してもおかしくないが…。まぁ決め打ちしないで次回を楽しみに待つのが吉かも。

アルテ#10

 カタリーナがいろいろ吹っ切る話。うーん、いろいろ危ないバランス。自由意志の表明は近代的自我の範疇で、こういうかけあいがあの時代に本当にあったのか?と言われると微妙な感じ。ただ、ルネサンスは近代ではないが近代の基礎を作った時代なので、土地に縛られた農民や領主でなく、都市国家の住民で、生活に余裕のある貴族だったら、そういうことがあっても不思議はないよねという感じではある。いちおう兄マルタと弟ユーリで別に家を立ててるぐらいだから、彼らの親は結構太かったんだろうなと思うし、長男は守りであって、弟は主家のスペアもしくは独立したなら自分の才覚が頼りなんで、ユーリに先取の気風というのもまぁ納得がいく。
 しかしまぁカタリーナが貴族的ふるまいを恥じる云々も、そのへん彼女の養育時のエピソードで理屈付けしててそのへんぬかりはないなとは思うんだけど、ここはやはり自分が以前述べたとおり、ルネサンス人間性探求の時代であって、人にまとわりついているいろんな文化文明生まれの貴賤その他諸々をすべて取り去ったときに残る素の人間とはなにか?をあれこれ考えていたわけで、そこに人間としての差はないとカタリーナに語らせてるだけなんだろうなという感じかね。貴族的振る舞いって言ったって、確かにカタリーナの言う通り、こうマウンティングの道具として他人との差を見せつけるって要素もそりゃあるんだろうが、別にそれだけでなく、とかく恨みつらみをぶつけられがちな貴族という身分では、他人に嫌われないような所作であったり、言葉によらぬコミュニケーションの一種だったりもするわけで、まぁ他人を攻撃する槍であったり、自分の身を守る鎧であったり、世の中を生き抜く道具であったりするわけだ。そのへんカタリーナが理想に燃える姿は、新旧問わぬ意識高い系の若者のあり方のようにも見えるし、そのへん上述のルネサンス人間性探求が連綿と受け継がれて近代を経由して今に至るその連続性も示していて、あーなるほど、クライマックスにこの話持ってきたのはそういうことかみたいな。
 さらに言わせてもらえば、ソフィアに主体性を獲得させていたのも、このへん男女同権につながる流れなのであって、とはいえ、この作品常に言ってると思うんだが、「男と女で差別するのはよくないが、例えばアファーマティブ・アクションのように、弱者であることを口実に、何もしないで権利を声高に叫ぶのヤメなよ」、つまり女であることに甘えるなみたいなものもしっかり込められてて、それにとどまらず、男女関係なくやるべきことをやりなよ…というのが、今回登場のジモの口を借りて言わせてることなのであって、これはこれで現代人には痛烈な皮肉というか、ある意味激励になってるんだろうなと思われる。
 まぁ難しいところで、近代というのは農村ではなく自治都市から始まったものなので、そのへんヨーロッパあたりは近代市民の歴史があってこその近代なんだが、日本はそういう経緯を辿らなかった。織豊期には堺など自治都市がありはしたし、地方にも寺社などは権力が及ばないアジールの役割を果たしてはいたんだけど、やはり欧州と違って、それらが社会構造を変えはしなかったし、農村で地縁を基盤とする自治は行われてはいたが、結局日本では社会構造が近代市民を生み出すことは出来なかった。なので、今その歪みが出てきてしまっており、こう上級国民によって国民が個人分断化の圧力を受けてしまうと、地縁から切り離されて簡単に孤立してしまう。その孤立した個人が近代市民としての基盤がないから連帯も出来ないし、近代市民であるがゆえの権利も守られない。主体性がないから主張ができず、連帯ができないから圧力に抗する力たり得ない。
 なので、ここに至って、なるほどこの作品、今の日本の惨状を、近代が成立する直前のヨーロッパまでさかのぼって、基本から考えてみましょう…ということなのかなと考えると、へぇ~、なかなか志高いジャンと思ってしまったというか。アルテが自分の身を犠牲に寡婦を助ける話でも、決して理想論を声高にふりかざしてるんじゃなくて、使えるものは何でも使うし、当然コストは覚悟の上というリアリズムを見せてきたんだろうな…という流れなんだろう。
 そう考えてみると、まず、アルテに絵を志させたのは、自己決定権だとか自己実現だとかいうのを視聴者にわかりやすいようモチーフ設定をしたということなのであって、そこからそれに必要なものはなにか、そしてそれがなぜ今の時代(中世と違って)やろうと思えばできるようになっているのはなぜか、なんて要素を重層的に積み重ねてきたのであって、次回もそれなりに見どころがあるんだろうが、今このタイミングで結実させてきたのはちょっとやられたって感じ。雰囲気的にもあまり教条主義的でもないし、ぼんやり見てると単純な浪花節のように見えてしまう。
 しかし、ムラーノ島ヴェネツィア島と目と鼻の先なんだな。わざと迷子探しさせてガラス工房見せてたのも特産だからなのか。

司書#24

 巨大トロンベ討伐のためにマインがいろいろな経験をする話。うーん、前回の次号予告で騎士団の要請とかあったから、自分てっきり貸し借り関係が発生するのかと思ってたら全然違ってた。なんか魔力を持つものが業務を淡々とこなす…みたいな流れ。っつーか、活版印刷言ってる割に、この話次回にも続いて、その次が最終回だから、もう間に合わないというか、急いでやるぐらいだよね。というか、これ、おそらくさらに続編があるという流れ?。個人的には3期あるとしか思えん。
 マインの神殿巣ごもりも、最初っから魔力を吸ってもらって命が永らえてると説明しときゃいいのにみたいに思ってた。読者を驚かせる目的だろうが、マインにも予め説明しときなよという場面も多くてなんかせわしない展開だった。

エスタデイ#10

 ついに状況が動くの巻。もうなんというか、状況が双方を後押しして、榀子の場合は周囲も後押し、自分も直接がっつくわけにもいかないから、誘って誘って誘ってようやく絶好のシチュエーションでゲットみたいな。しかしなんだな、榀子の方は陸生のことを積極的に好きなって感じに見えなくて、なんか仕事もそれほど充実してるわけでもなさそう*1だし、亡き思い人の家族の家に出入りしても、その関係が長続きするはずもないと考えると、なにやってんだろ私…ぐらいに思っていても不思議はなくて、高校大学の友人関係もそろそろ切れて、まだ自分のことを好きでいてくれる人がいる今が身を固める最後のチャンスぐらい?。まぁ別に見合いでもそれなりの人を選びはできるんだろうけど、全く未知の男と、ダメになる可能性も大いにあるのに一から関係性を築くより、決して憎からず思ってもいて、気心もしれてるわけで、別に男遊びを繰り返してきたわけじゃなし、そのへんの理屈立てもしっかりできるという。
 まぁ晴は晴で、元はと言えば精神的に不安定な時期にやすらぎのある居場所を求めて、それで記憶の底から引っ張り上げてきたちょっとでもかまってくれそうな男にアタリをつけて必死にアタックもし、今回いみじくも本人がそう言っていたように、行動するその過程が楽しくて、不安や寂しさを忘れることも出来たんだろうけど、いざ家庭が安定もし、バイト先で報われない思いを続けることに不安を感じてしまう他人の姿を見てしまえば、以前よりはそう熱い思いも維持しにくくなるというか。
 うーん、あと数話残ってるし、TV放映版が終わってもまだ6話分やるらしいので、まだ一悶着も二悶着もさせるのだと思うが、個人的にはこの関係性が決定稿にしてもう十分といった感じ。
 っつーか、ED見て驚いたのだが、イエスタデイをうたって、曲が実際にあるのな。しかも1990年発表。今回メガドラと思われる機種が旧世代機と言ってたから、セガサタのリリースが1994年末だから、どう考えても1995以降の話にはなるんで、まぁそのへんやっぱり1990末から2000初頭の物語であることに変わりはなさそう。

ルフレレイド、マカロン2取りした

 前半連勝SR,特に思い入れもないので、四枚どりして終わろうと思っていたのだが、後半金鍵SR浅見景をとるかと決心して、必要もないのにマカロンを取った。なにせ今月のレイドはSP応援ガールで、HRをプレボから出さずにいたので、せっかくだから前半連勝SRをSPにしようという魂胆。ちなみに浅見景は四枚どりせず、二枚どりしてあと一枚をリング交換でgetして3Mにするつもり。

*1:1990年代末だとおそらくモンペが猖獗を極めてた頃で、描写こそされてないが首都圏なら結構たいへんだったはず