ネコぱら#6
ショコラバニラが引き取られる前は末妹だったココナッツの、長女アズキとのすれ違いと和解を描く回。まぁ割と末の弟妹は甘やかされて育つので、甘えたがりとか自立心がイマイチ足りない実例が多いわけだが、そのへんちょっと毛色が違う感じ。長女と次女三女の関わりがあまり感じられないのに、ココナッツが幼少時にはアズキがそれこそ手にかけて面倒見てたというふうに思われるので、これも形を変えたココナッツの甘えだと思うんだが、これは姉妹関係というよりむしろ母娘関係に近いのかなとふと思ってみたり。前回担当回だったカカオも要所要所でこれも子育てという描写があってなかなか丁寧。
レクレーション勝負の一つ一つの勝敗はうまく結果を散らしたなという感じではあるのだが、最後の勝負はさすがに姉の貫禄を示して和解の流れだろうと予測できたので、まぁありふれたエピソードではある。まぁこの話であんまり語ることもないから、いい機会なので前回でちょっと気になっていたことを触れておく。
まぁご都合設定のこの作品にツッコむのも野暮なんだが、この世界、今の所雄ネコを見かけない。まぁ作品のイメージからして意図的に描写してないだけで、本当は存在してると思うんだが、元ネタの同人誌のように、子ネコができる際には人間と関係を結ぶとかだったらなんとも不気味な世界ではある。
おそらく水無月家のネコたちがすべて拾われ子なのだと思うが、母ネコが子ネコを育てるシーンが見当たらないのもなんかもにょる。ネコの単独での外出は許可制になってるから大抵のネコは家猫なのであって、それぞれの家庭で子育てしてる可能性が高いのだが、鈴をつけた母ネコが子ネコを連れて歩くとかあっても良さそうなんだが…。なんでこんなことに引っかかるのかと言うと、やはり上述の通り、雌ネコは人間と交わって子ネコをなすが、子ネコはすべて捨てられるという世界なんじゃ?という空恐ろしい想像をしてしまうため。
以上、もう自分の妄想が止まらないって感じだが、さらに気になるのが最近どうやら個人的ブームになってる近代的自我の要素。ネコたち、猫耳やしっぽがついてはいるが、外見も知能も人間と大差ないのだが、もうすっかり人間に従属して生きていくことが前提で物語が進んでいくので、これもちょっと怖い感じだなという。まぁ、別にネコたちが、将来自立したいからそのために洋菓子や和菓子の作り方、店の経営の仕方を教えてくれと頼めば、水無月家は喜んで教えそうな気はするし独立も認め*1そう、今パティスリーで働いてるのももしかすると水無月家にしてみればそれを意識しているからなのかもしれないが、ショコラやバニラはご主人さまと一緒にいたいからついてきたという話だったし、姉たちが手伝いに来てるのもやはり自立など意識せず、手伝ってこいと言われたからだとか外の世界を見てみたいだとかそういう話なのであって、ネコたち自身にその意識はなさそう。そういうことをざっと捉えてみると、ネコたちはやはり自分がそういう境遇にあることに何の疑問も持たず、そういう構造の中で、その構造を脱却することなく自分にとって利益を最大化できる最適化行動をとっているだけというのはやはり前近代的な精神性なのであって、やはり自己決定権をもつ自我を持った存在にはなってない。人間に愛玩動物として飼われるということは、飼われている人間に従属して生きていくしかないのだが、そういうあり方に何の疑問も持ってないのは、近代市民としてのあり方ではない。まぁ見目麗しいネコが戯れる様子を視聴者が愛でるのも、この作品の本意だからそれはそれでアレなのだが、ネコにしてみれば、人間に可愛いと思ってもらえなければ存在価値がないのだから、これはまぁ気持ち悪い世界を愛でてるってことになる。今回の話も前回の話もネコがおとなになる過程、すなわち社会化を描写しているわけだが、でもその子育てや成長の行く末が結局人間に従属して生きていくための手段でしかないのだったら、これはちょっと罪深い話ではある。
しかし、難しいのは、じゃぁ当事者のネコたちがそれで満足してるんなら他人がとやかく言うことはないんじゃね?とも思うこと。この作品はあくまでネコは猫の擬人化なのであって、人間が猫を飼うのにそれほどコストも掛からず、ネコが飼われている範囲で自由に振る舞える程度で十分幸せなのだったらそれはそれで構わないと言えなくもない。まぁこの文章の流れに適切なことなのかどうかはわからないのだが、最近友人に聞いて認識が改まったことに、猫とか犬とかが、家猫や家犬化することで、寿命が格段に伸びたらしい。自分の幼少時の犬の飼い方といえば、庭に犬小屋があって、家の敷地内であれば放し飼いに近いものだったという認識なのだが、どうやら家の中で飼われることによって外の気温の変化が緩和されたりすることで、人間が住環境の改善で寿命が伸びたのと同じ効果がペットにも起きてるということらしい。では、ネコが生まれたばかりの状態で十分に思考能力があったと仮定して、食料の確保も住む場所も全部自分でやりくりして自立した存在として野良猫として生きていくか、それとも自由は制限されるが十分に整った住環境と良好な食糧事情が与えられて長く生きられる家猫として生きていくか、どちらか選択しろと言われて、近代的自我が確保されているからといって自立を選ぶネコが果たして多いだろうか?。そしてそのネコは人間に置き換えても十分成り立ちはしないだろうか?とも思うのである。
リンドリ、300+αのガチャチケ使った。
七連戦で稼いだ銀星を交換して、そろそろ推しレスラーの強化もやんなくちゃなと決心して引いてみた。いちおう前に100枚近く引いて、あとコレが来たら…という候補があったが、
corydalis.hatenadiary.org
整理しておくと、東真夕、ディアナ・ライアル、ロイドガッシュ、ひなお、納沙布が目標だった。
試合の結果と納品物。
ガチャチケ、一度に交換できるのは100枚まで
交換
銀星一気に減る。
プレボに100枚ずつ
合計320枚あるのは、今開催中のイベントで貰ったやつも入ってるから。
で、結局なんでか一番欲しいと思っていた東真夕が来ないという。途中気になって排出一覧を確認してみたら、以前は157種だかだったのが、今は180種になってる。まぁ20種ほど増えたから東真夕が来なかったというわけでもなかろうが、それでもなんかもやもやする。もうくるりとかエレナとか見たくないんだが…。
というわけで、恒常ゆきめちゃんも交換で★4にできたし、カンちゃんもまだ★4にこそしてないが、やはり交換で四枚目が入手できるんで今更ではあるが、ガチャでゆきめちゃんは1枚来たものの、カンちゃんは結局来なかった。結城みかも一枚しか来なかったし、なんだろ?。カンちゃんは最後の課金カードでステータスがいちおう最高だし、ゆきめちゃんや結城みかはリンドリの看板だから、排出確率はもともと低いのかもしれない。だからといって東真夕がそういう立ち位置だとも思えんが。お狐様もガッシュも前まではアレ程来なかったのに今回は3枚ほど来たし、排出カードの種類が多いのが主要因だろうが、やはり偏ってしまった。紬は一枚億強豪報酬で入手してたような気がするので、真夕もそれであと一枚入手できればよいのだが…。まぁそこまで執着する理由もないといえばそうなんだけど。
*1:ネコの単独外出に鈴をつけさせるこの世界がそれを許しているかどうかは別にして