ネコぱら#11

 カカオのお泊り成長担当回。淡々と話が進んでいくんだけど、こうカカオが好奇心旺盛で色んな所に飛び出していってトラブルを起こす…という話だてのほうが、にぎやかなんだろうけど、個人的にはこういうしっとりしたほうが好ましいと思ってしまうのは歳のせいか。お泊りから返ってきたカカオがダンボールに入って何をしてるかなんて、大抵の視聴者には予想のつくことだと思うのだが、だからこそカカオが何をしてるかなんかをスキップして、周囲のネコたちがあたふたするのを微笑ましく眺めていられるってのは、まぁそういうことなんだろうと。
 なんやろな?。お泊りのヒキで、ちよの「おかあさん」という言葉にえらくカカオが感銘を受けていたから、お、こりゃ生みの親についての(物語上の)言及があるか!と色めき立ったんだけど、やっぱりないという。そのへんのはぐらかしとか、母親とショコラを重ね合わせてること、水無月兄妹との関係性を、これはぼかしてるのか判断に迷うが、いやはやなんとも業が深いというか、うまい処理…というか、これまた判断に迷うところ。実母はどこにもいないのに、キャラに仮託させて疑似家族を演出してるんだから、結果として家族を描いていることになっているし、でもこれは本当に家族と言ってよいのか疑問は残るわけで。
 嘉祥の立ち位置も面白い。ショコラやバニラはカカオの母親という役割なのだが、嘉祥にとってはショコラやバニラは子供というまなざしで、だからといって嘉祥がカカオの祖父という立ち位置でもないし、ではカカオの父親という立ち位置なのかといっても微妙な感じ。発言の内容はショコラの旦那としてのようにも思えるが、実際聞いてみるとやはりショコラは嘉祥の子供みたいな言いっぷり。ぴったりというつもりもないが、やはり、ネコたちは擬似母娘関係であって、水無月兄妹とネコたちはやはり理解ある奴隷主と奴隷という関係性といわれたほうがまだしっくり来る。いや、だって、やはり鈴の存在を根拠としてるわけだからして。
 しかしなんだな、エピソード群は丁寧だし、単なる萌え作品とは違う感じで、ネコには人格があるだけでなく近代的自我まであり、ネコミミがついていて動作にネコっぽさがありはするんだが人間とほぼ変わらないのに、この物語世界では厳然と人間とネコには境界というか差別が存在してるのであって、ネコはまぁいうなればフェミが毛嫌いした昔の専業主婦っぽいものが感じられるんだけど、なんかネコは男女関係ないある種の現実の庶民のメタファーみたいなものが感じられて、ほんわかとした雰囲気とは逆に、ゆる~いディストピアが感じられるのは気のせいかなといつも思う。
 あと、最終回にいうのも何だから今言ってしまうのがいいと思うからなのだが、なんかこうキャラに思い入れを持ってしまうと、例えばアニメから入った層が興味を持ってゲームに手を出しても抜けないと思うんだがどうか。


 おまけ。気がついた人もいると思うが。


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 前回まではショコラとバニラのハモりEDだったのが、


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 今回はメインVo.カカオ。