ネコぱら#10

 ネコが単独行動するために必要な許可証である鈴の更新の巻。おーまた階級社会ネタかと思いながら視聴してたんだけど、そういや前回飼い主の許可なしにメイプルが楽器店でバイトしてたし、鈴持ってたらそれなりに自立できる社会なのかなとか、例えば高校生でもバイトするためには保証人がいるんじゃなかったっけと思えば、よくわからん社会設定ではある。ネコが自制心を持たなければ単独行動を許可されないってのも、別に人間の子供だって公共空間で自制心のない行動はやっちゃぁいけないと思うが、とはいえ、それはモラルの範疇なのであって、別に小学生ぐらいの子供が子供だけでいろんなところに遊びに行けるのだし、わざわざネコだけで行動するのに国家権力の規制を受ける謂れはどこにもないないはずだよなぁ、仮にこの世界が人間もネコも同じ近代市民として位置づけられてるんだったら…とかあれこれ思ってた。
 ただ、そういう近代社会という側面ではなくて、ショコラもバニラも未成年であって、成人になるための社会化の過程なり、イニシエーションをこの回で示しているのならそれはそれで自然な話でもあって、ちょっと先輩の成長の姿を見ながら、カカオのような下の世代も成長段階に応じた社会化を果たしていくってことなら、まぁよーできた感じではあるんだが、でもやっぱり近代市民のあり方としてネコだけが行動を国家権力に制限されるのもまた違うよなぁと思い直してしまう。
 で、水無月兄妹もそうだし、ショコラバニラの姉たちも別に許可制度に何の疑問も持ってないところとか、そうであってもショコラバニラやカカオの成長モノとして、至るところにノリツッコミのギャグを織り交ぜながら軽いノリで物語が進んでいくのも、かなり軽減されているにも関わらずちょっとしたディストピア感を漂わせながら描かれる日常もなかなか侮れんなといった感じ。
 そもそも公共空間での適切な行動って、権力に規定や規制をしてもらったり、逸脱したら罰してもらうとかそんなものなのではなくて、近代市民ならそういうのを内面化しておかなくちゃならないんじゃねぇの?と思うのだが、ただ、それは一市民として方便としてうまく利用しながらも、子供に対してはなんのかんのいって成長の糧にするっていうのなら、このような話もよくできてるわなとは思うんだが。前近代ならそういう役割を宗教だとかが果たしていたわけだし、例えばなまはげなんかもそういうものの1つだったりしたんだろうしでなんとも。