月がきれい 第5話

 千夏はニブチンなのか?。
 なんかオモロイというよりは楽しいな。よく出来ているのが人間関係の部分で、これがリアリティあるとまではいわないんだが、構築されている関係性から視聴者にあれこれ類推させるってのがうまくいってる感じ。一つ思い浮かんだのは、これは中高生向けのやはり恋愛マニュアルなのかなという視点。あんまり教育番組っぽくないなという気が前回まではしてたんだけど、よくよく考えてみれば中学生なのにホテルに行ってるという描写があり、それに関してはあからさまな否定はしていないのだが、本編の主人公-ヒロインラインと比べると明らかに下げられているので、ありうべき中高生の恋愛の形はこうなんですよというマイルドな推奨のように思えてきた。
 最近は性風俗の被害者が出る原因として学校教育で正しい性教育がなされてないからという主張が結構見受けられて、あ〜、わかってないな〜と思わされるわけだが、そもそも思春期の性に関する個人的なことについて立ち入るのは公の機関としてはNGというのがこんなにもわかってない人が増えたんだなぁと思うしかない。近代以前は村の若者は若者宿(娘宿)などで家庭から切り離され、独立・自立する前準備がコミュニティで行われていたという側面があるわけだが、当然にしてそこでは性に関する正しい知識の伝達というよりは性情報の交換はなされていたわけで、もちろんそこには成功も失敗もあって、しかもそれが果たして正しいことなのか間違っていることなのかもわからず、前例主義というか、そういう風習っていう形になっていたわけだ。それは現代の基準でいえばおかしいことであってもその地域ではそのやり方でうまくまわっていたかもしれないし、もちろんその逆や反対のケースであっても正逆どちらも存立しうるわけで、じゃぁその今では正しいとされる基準が本当に正しいのか、正しいというコンセンサスが得られるとしてそこから外れるケースを本当に間違っているといって切り捨てゝよいものか、また、その基準が以降も正しいというコンセンサスが得られ続けるのか、もう性に関することだけでなく、いろんな事柄に言えることでもあるわけなんだが、それらを学校に引き受けさせることは危険だし、引き受けさせたところで責任をとれるわけでもないし、いや、引き受けさせたら失敗の責任も学校に引き受けさせたいんだろうけど、そんなことをやってうまくいくはずがない。もちろん現段階で正しいとされる性教育を学校がやったとして救われるのもいるだろうが、それを上回るデメリットもあるわけで、大体にして学校に負担を背負わせる層はそのデメリットに関しては知らず存ぜぬの態度なのでまともに相手してはいけない。現政権などは社会システムを変えることによってもたらされる利益は支配者層のもの、増えたコストは貧乏人にだけ負担させるって態度がずっと続いてきたから、教育に関してだけでも、勉強は学校でするものではない、塾でするものであるという倒錯した結果になっているわけで、昔なら学習するための前提条件は家庭でするものだったのが、家庭の教育力がなくなり、学校で学習するための前提条件を整える→勉強は塾でどうぞという流れになっており、学校で授業を受けてればそうそう落ちこぼれることもなかった昔を知るものとしてはなんだかなぁという状態になっている。もちろんこれは二極化したうちの片方なんで、ちゃんとしている家庭もそれなりにあるし、日本全体がこうであるというわけでもない。産業化が進めば地域のコミュニティが破壊され、こうなることは予測できていたし、昔からそれに関する警鐘を鳴らしていた人も少なからずいたのに、特に産業界はカネさえ儲かれば、負担は貧乏人にという流れは甘い汁以外のなにものでもないわけなので、当然といえば当然の帰結ではある。
 そしてコミュニティがなくなったから、民間でということになるかもしれないのだが、慈善事業でないのならやるインセンティヴは働かないし、ましてや慈善事業でなく営利としてやるのなら、対象は食い物にすればするほど儲かるわけで、これまたうまくいくはずがない。それがアニメというサブカルでそういう風潮に疑問を持ち、なんらかの提唱をしてくれるってんだから、奇特というしかないかな。


 さて、本編だが、いやなんというか、前回の修学旅行で携帯電話を没収された主人公に千夏が気を利かせてヒロインに連絡をとってくれたぐらいなんだから、おそらく察していたという気がするんだけど、そのへんいろんな情報戦をやってるのかなと思うと面白い。個人的にはヒロインはめんどくさい女であって、千夏のほうがさっぱりしたという風に見えるので、魅力的なのは千夏のほうではあるのだが、そこを先行者利益というか、そもそも主人公は最初っから千夏よりはヒロインにホの字だから千夏に勝ちの目はない*1というのはわかる。ヒロインは千夏に対して自分の気持ちを秘匿しているのに対し、千夏はオープンだからフェアなのも千夏のほう。視聴者にとっては作品の方針が明らかなので、千夏が擾乱要員だというのは間違えようがないが、といって千夏に魅力がないとヒロインの敵にならないから底上げというかライヴァルとして逆にヒロインを上回る魅力にあたる部分を与えられてる。で、昔のドラマを思い出すと、このへん割と鞘当ての対象には猛烈なアタックだとかというのがあたりまえだったような気がするので、物理量で殴るんじゃなくてしっとりとした仕込を重視しているように見えるのは、これが現代的というか、どちらかというと大人の距離感を取り入れているのかなと思わなくもない。なんのかんのいって主役は手順を踏んでいるように思うし、関係性を深めるに当ってもたもたしているというのは、やっぱうまい料理もがつがつ喰ったら味わえないし食ってる幸せを実感する時間も短くて損だろ、味・臭い・歯ごたえなどじっくり楽しんで味わえという主張のようにも思える。ED映像で二人の眼前に広がる風景が、まづ形を成し、そこから色づくって順番なので、二人の関係性だけでなくてその場の状況・風景も楽しめって感じなのかねぇ。

*1:千夏は当て馬の役割ですらない