月がきれい 第11話

 なぜサブタイが「斜陽」?。
 もしかしてこれからの二人を暗示ってことなのか?。しかし千夏の件といゝ比良の件といゝ、義理を通すってのを律儀に描くネェ。誰が誰を好きだとか別に他人に言わなくても良いし、くっついたらくっついたで、普通に接していたら別に他人に報告する義務もなにもないと思うんだけど、いや、なんというか、教育番組みたいに事態が推移していくのに、あんまりそうは見えないんだよな。自分が誰が好きであるかタイミングがずれても告知しているし、自分に好意を持っている人に諦めさせるし。親には親にでこれまた認知を試みるとか、いちおう中学生を題材にしてるけど、高校生でも大学生でも、社会人と考えてすら設定をズらせばどんな年齢層にも通用するような汎用性を感じた。
 いやまぁ日本だと明治以降成人が20歳以降とされたからアレだが、別に伝統的には数えで15にもなれば成人だから大人扱いなんだよね。だから結婚を意識して物事を考える年齢として中学三年生というのは別に若すぎるということはないわけで。そして今では大学に入ってから就職を考えるというのは遅いという時代になっているような気がする。もう大企業の社員になって安定した生活を送るということ自体がかなり無理ゲーになっている時代なので、企業もどの大学をでたかとかよりも、もう大企業は出身大学でふるいにかけること前提で、さらにどの高校を出ているか?に注目しているというのは10年以上前からやってるらしいし、そういった意味では現代的かも。
 後2話あるからまだ何があるか、隠しだまでもどんでん返しも可能性としてはあるんだけど、もう基本線は決まったろうという感覚。安曇は親を説得するとか言っているが、小うるさそうなあの母親にしてみれば、茜は息子に将来のことをしっかり考えさせるきっかけを作り、ハイレヴェルな高校を目指して勉強するという状況に現実に追い込んだ大恩人だからそりゃ二つ返事でオッケーだろうとは思うのだが。