ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った? 第2話

 なんか侮れんな。
 オフ会で面合わせをしたパーティーが、学校での奇妙なコミュニケーションに困惑するの巻。亜子以外の面子はゲームと現実は別であり、日常でのバレなしという態度だったが、亜子はゲームでの人間関係を現実にも求めるという。これ、自分がその場に居合わせたら確かにこっ恥ずかしいというか、自分も極力避けると思うんだが、なんというか、亜子のあり方がそんなにおかしいのか?と冷静に考えてみると、これがまた難しい。おそらく亜子以外の三人は、言わば現実逃避の一手段としてゲームを取り扱っているようであり、それは主人公でない女二人が選択している男キャラの造形がいかにも腐そのものっていうところからも類察される。ところが亜子はキャラ名も自分の名前を使っているように、ゲームにおいても現実世界の延長として捉えているようである。かといって主人公が言っているように本当にゲームと現実を混同しているのか?と言われると、例えば結婚ということ一つとっても、別に本当の婚姻関係を結んでそういう手続きをしているわけでもなく、あくまでゲーム世界での結婚のルールに従っているだけである。
 亜子のあり方は別に不思議でもなんでもなくって、今だと知り合う場がネトゲだからネトゲが主戦場ということになるが、共通の趣味を持つ友人関係ということになると、まづ知り合う場が現実世界であり、その趣味は友人との付き合いにおいて割と他人にそれほど隠すようなものでもなかったりする。仕事の場だと控えたりするが、それは仕事中に趣味のことをするのは道理に反するからやらないのであって、別にコミュニケーションとしては現実世界ではかなりあからさまになる。話の展開として、亜子が授業中であっても夫婦のようにベタベタする場面が現れるであろうが、もし、そうではなく、休憩時間中にあのような態度をとるというのは、熱中の度合いが過ぎるというだけで別におかしいというほどのものではない。
 主題がそれではないのだろうが、匿名性に関しての提起も面白い。SAO(名前は匿名のまゝだが、現実世界での素顔が晒される)でもそうだし、ガッチャマンクラウズでも匿名性の排除がテーマになってた。亜子は匿名を使わず素顔で接するわけで、こういう態度を社会的におかしいということ自体がおかしいんじゃないの?というぐらいには言えそう。
 亜子にとってはネトゲはコミュニケーションツールの有力な一つであって、あくまで現実社会の延長であり、彼女にとっての生存戦略を有利にするものぐらいの認識はあってもおかしくない。妄想と現実の区別がつかないというのであれば、頭の中の他人と共有しようのない妄想は確かに妄想だが、ネトゲは市場に提供されたサーヴィス、つまり商慣行に則った現実の仕事の結果なのであって、世界観やそのなかでの法則が仮想ではあるが、MMOなんていうのはむしろゲームシステムというよりプレーヤー同士のコミュニケーションを期待して提供されるサーヴィスだったりするわけで、仮想と現実の線引きが実は亜子のほうが正しくて、主人公側のほうが間違っているということも考えられる(というより、サーヴィスを利用するプレーヤーそれぞれの判断に依拠するといったほうが正しいか)。本当にゲームは現実とは峻別すべきだというのなら、オフ会なんてやらなければよいのであって、いや、ゲーム内での仮想的な人間関係から抜け出して現実の人間関係につなげたいからオフ会をやるんだろ?と考えると、おそらく正しいのは亜子のほうなんだろうなと思わされる。
 実際問題学校にほとんど登校してなかった亜子が、ネトゲ上の人間関係を手掛かりに登校するようになったわけだから、無意識だろうとそうでなかろうと彼女にとっての切実な問題というか状況なんだろうなと思わざるを得ないんだがどうか。それまで学校教育が亜子を助けられず、これは現実の問題として例えばいじめに関して学校の問題解決能力が低下し、抑制効果もなく、その結果としての亜子の登校日数問題になってたという話なんだろうから、学校における個人の社会化機能がなくなっており、それがネトゲとはいえ再び社会化への流れに入っていけているわけなんで、おそらく原作者もそれを念頭に入れているに違いないとは思うのだが。
 というわけで、実はこの問題提起でお話は終わってしまっているような。結末として主人公と亜子が現実の婚姻関係になりましたというなまなましい話にするわけでもないだろうし、そのへんドタバタコメディで終わるんだから、深刻なエピソードを挿入するにせよ、どうせ軽い形で解決しちゃうんでしょと思うとね。あとは現代人なら当たり前と思っていることではあるが冷静に考えると実はおかしいことを、今回のようにいかにキャラに語らせるかってのを楽しむぐらいか。