夏目友人帳 伍 第2話

 つくづく情の深い女を描くのが好きだなぁ。
 やっぱこういう作品を見ると他の作品との違いが際立って精神的な衝撃を喰らう。整理すると単に一度っきり親切にしてもらった妖怪が思いを遂げられなかったという話立てなんだが、なんでこんなにも面食らわされてしまうんだろうと考えると感慨深い。そういう要素は少なめだとしか思えないんだが、傘を貸してもらった少女に失恋するエピソードを挟みこんでいるからには、あの少女妖怪もタオルを貸してもらった男性に恋をしてたんだろうなというのはわかるが、そういうのはあくまで調味料程度であって、主な食材はやはり別のところにあると考えるべきだろう。
 ではあの妖怪は何物?ということだが、残念ながらエンドロールにも少女妖怪としか書かれておらず、名前ばかりか特徴も与えられていなかった。普通妖怪という設定だと前回の壺のように他の何物でもなく(社会的に)特有の役割を与えられているということになる。が、この描写だと少女妖怪は力も弱ければ孤立もしており、これはむしろ妖怪というよりは個人分断化された庶民のメタファーのように思えてしまう。
 結局のところ夏目祖母のやってたことは、妖怪の領分に踏み込んで、無茶な勝負を仕掛けて友人帳に名を書き込むということから、分断化されている個を繋ぐという行為であって、これはなかなかにして感慨深い。しかし妖怪にとってはそれを束縛と感じて厄介払いとばかりに名を返してもらって安心する(もちろん夏目祖母は繋ぐだけ繋いでフォローせずに死んでしまったから妖怪としては無責任と感じるようになったという要素も大きいだろうが)ものもおり、それで夏目がその意に沿うよう努力もするわけだが、今回は逆に少女妖怪に新しいタオルを与えることによって祖母と同じ行為をしているという構図になっているのが面白い。
 しかしそう考えてみるとふと思いついたのだが、夏目祖母は学生運動のメタファーなのかなという気がしてきた。真の民主主義を目指していたにも関わらず、運動自体は世間に理解されないし、早々に当局に弾圧(これが夏目祖母の死にあたる)されて、その結果社会は個人分断化が進み(妖怪=社会的弱者の孤立化)、地方の過疎化だけでなく都市が稠密化したからそれで民衆の暮らしが楽になったかというと、むしろ社会の機能不全が進んでしまった現実とおどろくほど一致しているというか。さすがに原作者がそこまで考えているというよりは、社会の現実を反映させることから導き出されるものは、そもそも現状は過去の事象の連続してきた帰結であるということから、そう意図せずとも歴史的な現象と結果的に似通ってしまうのはむしろ当然の帰結というだけの話だとは思うんだけど。