響け!ユーフォニアム 第7話

 前から思っていたが、黄前久美子という名づけはOh! my Kumikoなんだろうな。
 葵が部活動をやめ、前年の退部騒動が明らかになるの巻。今の部長に部をまとめるための実力が…という問題はまぁそうなんだが、だからといってあすかに部長の素養があったか?というのも難しい。ヘンな話、フィクションだからそういう設定にしてあり、そして信憑性を増すために作者がそのように表現しているってのは第一にあって議論しても仕方がない部分ではあるが、自分が見る限りあすかは境界をしっかり引く…というか認識できる能力があって、境界内は存分に力を発揮できることがわかっているし努力もできるが、その外部では限界があるとわかっているんだろうと思う。混乱が起こっているときにそれを沈静化できるかどうかに関して、いったんめちゃくちゃになったら一気にハードルが上がるし、混乱の収束には実力も運もいる。あすかの場合、上手くいく可能性は0ではないが、失敗したときは状況がさらに悪化する可能性が高く、その場合あすかにはとてつもないダメーヂがいく。それが晴香(現部長)の場合、混乱を劇的に収束させることはできなくて、基本小康状態を維持か、ほんの少しの改善状態にしかもっていけないんだけど、逆にいうと事態が混乱の極みになる可能性は少なくすることができるという風に作ってあるように見える。まぁ攻めのあすかに守りの晴香といったところだろうが、結果的に滝先生の登場を持って解決に至るのだから、このじっと我慢して好機を待つというのは実は最善の方法であったという流れにしてるんだよな。こういう展開(といっても過去話だが)は、昔から漫画に取り入れられているフォーマットの一つではあるが、そういう漫画はあまりメジャーどころでは見られないことが多くて、どちらかというと落ち着いた雰囲気が作風の漫画家によく見られる形ではある。昔のメジャーどころは大抵インフレ傾向が強く、なぜインフレがリアリティもないのに当時ウけたのかというと、それは視聴者に高揚感(感動)を与えるのが容易だったというだけの話で、昔はこういう地味な展開の漫画は読者を選ぶものではあった。が、本作もその過去の話を切り取って、主人公が入学時からの展開としてはフツーにインフレ傾向ではあるのでなんとも。
 自分の経験を振り返ってみると、当時のブラスバンドは十数名と数も少なく、しかも大会に向けて成果を出さねばならないという制約もなく、大抵学校行事の賑やかしに形になっていればよい程度だったから、そもそもいがみあう原因自体がない。だからそれ以後ブラスバンドの内紛は凄いというのを伝聞で知って驚いたものだが、別にブラスバンドでなくても組織をまとめるということは元来しんどいことであって、それこそ起源は古代中国の尭舜の時代にまでさかのぼる。そもそも国をまとめる作業は王自体が汗をかく必要があって、しんどい割には見返りがないものだった。ところが振り返って現代を見るにつけ、政治の頂点にいる特権階級は、国のための仕事を一切せず、為政者であるメリットで私腹の肥やし放題。もちろんそれは今のトップを見たらわかるとおり、能力なんて無いどころではなく、国益を損ねるという意味で能力がマイナスに振り切っているのだからげんなり。ある意味トップに立つことで得られるものがないこの学校の部活動の部長だからこそ彼らの青春が輝いて見えるという部分はあるのだろう。