っつーわけで、たまゆら曜日。

 いや、何の虫が騒いだのか、今、バカをあやつれ!を読んでいる。このたまゆらとはまさに対極をいく作品で、地方の崩壊をえげつなく描いているのだ。まだ途中なのだが、地方の崩壊と併せて都市部の崩壊も描いていてギョッとさせられる。日常を慎ましやかに暮らしている人たちが俎上に上がっているわけでもないのだが、こゝ日本の失われた20年、いや失われた30年に突入しようとしている現在、いつ何時、今フツーとみなされている人たちがこういう風に突き落とされないとも限らないと思うとなんか背筋がゾッとするような気がしないでもない。
 最近他の地方の人と話してビックリしたのが、地方の変貌が郊外型大型店舗の進出→シャッター商店街の歓楽街化という現象がもう10年も前に起こっていて、これは将来日本全国に起こりうることなんじゃないかとその人は憂えていた。地方ってったってまだカネと欲望が充満しているところは、そのカネすら搾り取るために歓楽街が集金装置として働くんだろうけど、産業のサの字もないところは、そもそもカネ自体がほとんどないから、歓楽街を作っても商売にならないんじゃないかとも思ってしまう。あまりおおっぴらには知られることが無いんだが、本当に貧しいところでのそういう営業形態は、一般主婦がデリヘルをして家計の足しにするってことになってるんじゃないかと思うんだよな。限界集落だったらそれすら無いというか。まぁパチ屋だとか歓楽街なんてのはカネの廻りかたがあまりよくないような気がするんで、もっと生活に根ざした、人が人を支えるような形でカネがまわるように設計しなおすべきなんだろうなとは思う。カネを搾り取るために人々の欲望を掻き立てるというか射幸心を煽るってのは、最終的に疲弊するだけなんだよね。まぁ合衆国が狙っているのはまさにそういう形だろうし、それはすなわち乾いた雑巾を絞って絞って最后にポイ捨てということだろう。昔自民盗、今民主党、そして将来は維新の会がそれに大いに加担しているってことだろう。
 いったんそういう欲望充足モードに入ったら、もうたまゆらなんてヌルいやり方は激流に押し流されてしまって、人々への訴求力という意味ではなんの役にも立たない…というか思い出されもしないってことになるんだろうな。