侵略!?イカ娘 第2話

 イカ娘が初登場時に開けた海の家れもんの壁の穴、意地でも直さないみたいだな。
 感想を書くことも無いかなと思っていたんだけど、いきなり色々考えさせられたな。いつも通り三本立てゞ、イカ娘小学校でモテる、内気娘容姿で変化するがそれはうわべだけと反省する、ダイエットとは機能を求めてするものなのか?だった。
 イカ娘が小学校に行って、小学生共に遊ばれるわけなんだが、なんだろ?、イカ娘は一見わけのわからないオジサンって役割なんだよな。クラスに浸入して小学生に侵略(といっても環境問題を提起するのだが)の必要性を説くわけなんだが、これ、職場でいうとネジの外れた上司ポジションなんだよ。で、だからといって上司のメタファーなのか?と言われたら、それともちょっと違う。接待サッカーあたりそれを示していると思わなくも無いんだが、イカ娘の存在は一過性のものであって、むしろ接待するなら取引先の決裁者と言った感じだが、それとも違う。まぁこゝは1つ、なんでイカ娘が人を惹きつけるのか?を考えるのも面白いのだが、やはり小学生視点で考えたほうが面白いだろう。
 小学生にとってイカ娘は退屈な日常をぶち壊してくれる存在なので、娯楽の少ない田舎に来た旅芸人のような扱いなんだろうな。が、イカ娘の言っていることは支離滅裂に近い(環境問題はなぜか筋が通っているという構成になってはいるが)。本当なら担任とイカ娘で小学生を取り合う情景を描くべきなんだろうが、それをやると尺が足りない上に生々しく(いや、逆にリアリティは無くなるか)なってしまう。担任が身を引くという形にはなっているが、小学生がイカ娘を支持するという構造だろう。
 で、闖入者にサッカーを取り仕切らせるのだが、小学生のイカ娘に対する対応が、それこそ客人に対するものであるわけだ。これも旅芸人を歓待する娯楽の少ない村人の対応にそっくり。で、ふとこゝで気付くのだが、イカ娘を歓待する小学生の姿は、授業を放棄した小学生とはとても同一のものとも思われない大人の対応なんだよな。担任のアイスで日常に戻るわけなんだが、結局モノという実利を重視するということゝ、じゃぁモノという実利を得たら、貰うものだけは貰ってまたイカ娘の所に戻るという身勝手が描かれるのではなく、素直に日常に戻る小学生というのが描かれる。だから構造的に、人の心は移ろいやすく、小学生のような判断力の無い子供は困るというものでは決して無く、むしろちょっとしたイレギュラーでもその場その場でイヴェントを楽しむよう対応して、やがて日常に戻っていくという、共同体の懐の深さなんかが描かれているように感じた。まぁなんだろ?、小学生という姿が用いられてはいるが、基本肩の力の抜けた庶民のメタファーに近いんだろうな。
 現代だと企業なんかはグローバル化だとか市場原理主義に対応するため、組織は常に社会に対応して変化すべき、そのためにリストラは必要だし、その過程で組織に要らないと判断された人間は容赦なく切り捨てられるべき、そして利益のために業種ですらガラッと変わって別の会社になることも厭わず、変化できない組織は淘汰され、消滅してしまう…という言説が蔓延している現代ではなんとものどかな情景だ。この作品がどうやら海の家を題材にしていることから夏限定で、イカ娘がドタバタ騒動を起こす割には変わらない日常を描いたものであることを考えると、なるほどゝ思える構造ではある。変化という変化をすべて嫌っているわけではないが、でも現代日本を覆っている「変わらなきゃ教」に対する明らかな否定のような気がするな。
 というわけで、長くなったので力尽きたよ。でも後二本は感想要らないよね?、渚は自己解決してたし。