異国迷路のクロワーゼ 第2話

 最后の場面で涙腺が決壊。
 うーん、この作品のコンセプトがよくわかってないのだが、サトジュンがシリーズ構成をしているってことで、ある意味Aria的なものと見ていゝのかな?。でも監督がサトジュンじゃないのはなんでだろうな?。
 前回気になっていた、この物語の時代設定なんだが、今回出てきたグラン・マガザンいわゆる百貨店っていうのか、これがどうもパリの有名なボン・マルシェらしいのだ。ボン・マルシェはWikipediaだと1852年開業らしいが、どうもあの形になったのは1887年らしい。OP動画を見ると、エッフェル塔が無く、パリの象徴であるあれが描かれていないとなれば、たぶんまだ完成していないと見るべきで、1889年竣工らしいから、もうほとんどピンポイントで時代が特定される。もちろん劇中の百貨店がボン・マルシェをモデルとしていても、それそのものであるというものでもないだろうから、あくまでそう考えられるってだけなんだけどね。となると、日本では明治時代になっており、フランスは1870年の普仏戦争後の第三共和政の時期ということになる。もちろんナポレオン三世はいないわけだ。
 湯音の素性なんだが、よくわからないな。振袖を着ていることから、いゝとこの娘さんってことがわかるんだが、連れてきたオスカーは看板屋の親父だろ。接点が考えつかないんだよな。明治維新以降とはいえ、あの湯音の身なりだと元武家の娘か、商人だったら大店の娘ぐらいしか考えつかない。農家だったとしても大きな地主の娘でも普段着に振袖はないだろうしな。この時代だと森林太郎夏目金之助が国費留学していたぐらいだから、湯音に何の目的も無くポンとフランスに旅行させる余裕のある家庭というのも考えられるが、あの様子だとなんか身内が誰もいなくなってオスカーが引き取ってフランスに連れてきたって様相だわな。しつけが行き届いているが、子供の無邪気さが抜けきれないところがあるって感じで、当時の日本でもかなり稀有な存在のようにも思えてしまう。
 で、オスカーもなんで日本に…というのがよくわからん。当時の日本が富国強兵のため、お抱え外国人を破格の高給で雇っていたにせよ、看板屋の技術が求められていたとも思えないし、当然個人的な用事だったんだろう。でもやはり気軽に海外旅行できる身分とも思えないし、どうなんだろうな?。看板屋ってそんなに儲かるものなのか?。ナンパしてたところをみると、気楽な身分ではあるんだろうケド。まぁそのへんの事情は追々されるんだろう。
 しかし、クロードもたいがい優男だな。若いとはいえ職人っぽいから、頑固だという設定なのかと思っていた。だいたい世界名作劇場なんかのパターンだと、文化・習慣の違いから衝突を繰り返し、徐々に歩み寄っていくとかそんなのが多いだろ。これだとそういうのが全くない感じだよな。というか、前回それを済ませてしまったというか。でもまぁ自分が最初に中国を旅行した20年ほどまえの記憶を辿ると、異国の客人に対しての態度そのものって感じはするんだよ。当時のフランスの庶民に異邦人に対する歓待の気風があったかどうかもさっぱりわからない状態ではあるんだが、なんか和む。
 というわけで、何が言いたいのか自分でもさっぱりなんだが、物語のテーマがよく掴めないまゝ、それでもキャラ同士の気遣いに癒されながら次が楽しみであるという…。