たまゆら〜hitotose〜 第1話

 なぁんだ、カメコの話か…。
 とはいえ、この場合のカメコのコは娘と書くんだろうなと。いきなりレヴェルの高い写真を撮れてしまうのは、ご都合主義というより日頃からレヴェルの高い作品に触れているから、フレーミングは身に付いちゃってるってことなんだろう。
 いや、なんつーか、実はシュタゲの後釜ということで、ずいぶん先送りしてきた日常か、全8話と言われるブラック・ロックシューターにしようか迷っていたのだ。が、今朝アニメの聖地巡礼を当て込んだ地域興しについて感じたこと - flower in my headさんのエントリーを目にして「コレだ!」と思いついた次第。まぁどうせ今視聴中の作品が一斉に終わったら、どれかの後釜に据えようとは思っていたので大した決断でもないんだけどな。2〜3日前から読んでいる本の影響もあるとは思うが、それについては別エントリーにて言及してみたい。町興しというか、地方再生の観点とかビビッときたものがあるのだが、でも考えれば考えるほど地方の復権って難しいと考えざるを得ない。まぁそれはおいおい考えていくとして。
 ちょっとキーワードだかウィキペだかを見てみるとサトジュンの久しぶりの監督作品らしい。サトジュンって異国迷路のクロワーゼでも名前を見るんだが、案外メガホン*1をとることが少なくて意外だ。この作品では脚本も第1話だけで、あとは豪華な脚本陣に任せているし、この人の仕事の仕方って結構考えさせられるものがある。
 話の進め方なんだけど、冒頭のナレーションからもう既に高校生活をしているところから始めるのかと思っていた。が、まるまる1話中学生の時の話だった。中学の時の親友とやらもすぐに出番がなくなるのに、もったいない使い方をするなぁという気がしたが、こういう構成にした効果がどうあらわれるのか気になるところではある。が、忘れちゃうんだろうなと。
 割と気になったのが、泣かせのテクニックを多用していたこと。キャラについての前知識が無い以上、話の蓄積による感動では無いんだよな。まったくもってスタッフによる「オマエらこういうシチュに弱いだろ」という技巧に踊らされているだけなんだけど、不思議と嫌悪感は無い。本当ならちひろとの交友を描いてこそのとか、父との思い出を描いてこそのとか、かおるとの思い出を描いてこそのとか、それぞれの泣かせのシーンのための伏線が必要なハズなのに、すべて省略の早回しので済ませてしまっている。まぁよく考えてみればそういうのは本作のテーマじゃないから…で済んでしまうのではあるが、どうもストーリーテラーとしてのサトジュンに対する固定観念があるせいか、物語好き(のオタクとでもいったらよいか)を狙い撃ちにしたやっつけ仕事のような気がしないでもないので、どうにも面食らう。が、基本経緯紹介を手短にかつ濃密に描くって処理は手堅く済ませているわけで、こゝは1つ次を楽しみにしていれば良いのだろうとは思うのだが。

*1:アニメでメガホンっていうのも可笑しいが。