C 第7話

 嗚呼、なるほど、だから「C」なのか!。*1
 なんか急に気付いてしまったよ。まぁそれはともかく、今回は三國と真朱担当回という構成。三國は過去話、真朱は傍観者としての公麿観察日記になっていた。どちらも現在の重要さを説くモノになっていて、この訴求力の強さには参ってしまう。
 三國は想像を絶する不幸な体験をしていたのか…とずっと思っていたんだけど、うーん、お坊ちゃんの生活を続けてきただけじゃんかと拍子抜け。妹の重篤といってもまだ命は失っていないようだし、せいぜい実の親が商売を口実に身内を見捨てるという現実を目の当たりにしてショックを受けていた程度。三國父の公人であるといった主張も家族としてつれないってだけで、別に間違った考えではないし、妹の手術にしてもどうしても治したいといった願望があったのなら、三國自身がもっと早くに手を打っていればよかったこと。そして妹の病気は別に誰かゞ努力して何とかなる性質のもんでもないわな。たゞ、ストーリー上の機能として三國にモノを深く考えさせるきっかけとはなっているわけであり、そのへん御都合主義というつもりも無い。たゞ、前回三國が切って捨てゝいたボランティアにいちゃんを、父親から帝王学を直伝され、生活に困った経験も無い三國が甘いだのいう資格は全く無かったよな。なるほど、だから最後で三國と公麿が戦う羽目になるのかと、この段階で明らかに。
 アセットはアントレの失われた未来ってのは良く出来てたな。というか、「失われた」ってのは、前から言ってたか?。失われた未来だからこそ、三國のアセット、Qが妹の姿をしているってのは納得だな。で、確かに真朱が公麿のどんな失われた「未来」なのかよくわからん。そこを今明かさないところがまた憎いねぇ。もしかしてカネがあれば恋人に出来ていたかもしれない羽奈日のことかとも思わなくも無いんだけど、それなら@牧野由依を声当てに使うだろうしな。視聴者になんだろ?と考えさせるんだろう。
 しかし、三國妹といゝ、三國といゝ、もちろん公麿や真朱といゝ、台詞が多いのなんの。でもちっとも煩わしいと思わなかったし、一字一句を聞き逃すってことも無かった。まぁこういう作品を自分が好きなのも、まだまだ枯れてないからかなと思いながらも、その青っぽい自分がそんなに悪いものとも思わない。ちょっとはこっ恥ずかしいところはあるんだけどなぁ。そういやこの作品、あんまり不評といった感じでもなかったような気もするけど、かといって絶賛というほどでもなかったような。テーマがテーマなだけに初めっから試聴対象にされないってことはあるんだろうけど、スゴクもったいない。世界を解釈するってとこまで堅苦しくなくても、いろいろ考えさせられる作品ではあるんだよ。

*1:A or Bじゃないや…だから