商店街復興って、なかなかにして難しそう。

 http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110915/1316084952
 いや、自分もブコメで済ませようかと思ったんだけど、読むうちにこりゃ長くなるなと思った次第。リンク先のジャスコの話は自分も目を通していた。
 この人の商売論は結構面白くて、ちょくちょく参考にさせてもらっているんだけど、実際に自分に応用できるかどうかは別にして、うならされることが多い。で、このエントリーを読み終わって、結局この人の商店街に求めていることって、繋がりを重視した関係なんだろうなと思った。八百屋だと、卸売市場で本当に掘り出し物を格安で拾ってきて、売る時には奥様方にレシピ付き(口頭)で売ったらいゝじゃんってのは、かなり昔のエントリーで自分も書いた気がする。そうすると、逆に顧客のほうで、八百屋にこんなものを仕入れてくれなんて双方向なやりとりができるじゃんってなもんだ。
 で、ふと気がついたんだが、絆重視だと一見さんお断りってのは筋は通っている。もちろん自分も常識的に考えて、そういう商売のやり方はスゴク閉鎖的で、そういう店には行きたくないなと思わせる。が、その店が、売れ残りを嫌ってかつかつの仕入れをしているのだとすると、一見さんに売ってしまって、馴染み客の分が無くなるって事態は避けたいのだろう。一見さん用に毎日余分に仕入れして、廃棄するってのは、一見さんが統計的に一定数あるって見込みが立たない限り、たゞの無駄でしかない。カネをドブに捨てるのと等しい。極力無駄を無くす、つまり効率を重視すれば不確定要素の一見さんを相手にするほうが馬鹿げている。一見さんお断りの態度で一見さんの信用を失うのと、一見さんに売って常連客の信用を失うのとゞちらが痛いか?は、論ずるまでもないだろう。一見さんを大切にしろっていうのは、最初っから一見さんを相手にする前提の商売の仕方では正しい。そして、一見さんを相手にする商売ってのは、当然にして人口の少ない地域では成り立たない。一見さんが一日一人来るかこないかの地域でそういう商売をするか?。
 いや、じゃぁそういう商売が正しいか?と言われゝば、いや難しい問題だ。しかし商店街の衰退は、一見さん云々の話でいえば、商売のやり方でなんとかなる場合もあるだろうが、基本人口の多寡で決まってしまう要素が多い。町から人口が流出するのを商店街がなんとかできるもんなのか?。そりゃ魅力的な街づくりの一端を商店街が担っている部分はあるが、基本人口が流出する地域ってのは、職が無くて過疎化するわけなんで、それを商店街の商売のやり方でなんとかできるもんなら既にそうなっているだろうし、商店街のがんばりで人口の流出が止まったという例を寡聞にして一つも聞かない。やっぱ商店街の閉鎖性とか発展性の無さってのは環境に適応したがゆえの結果に過ぎない気がするので、あまり責める気にはならないんだよな。
 で、もう一つ問題があって、それは商店街自身が顧客を信用してないんだろうなというのがある。スーパーもそうだが、郊外型大規模店舗にしたって、それができたときに、今までの客がさーぁっとそちらに逃げちゃったワケだよ。客にしてみりゃ目新しさだけじゃなくって価格も安い、で、そちらに流れたら、流行に乗り遅れまいとさらに客が流れちゃう。それを商店街の側から見ると、どう感じるか?だよ。客が逃げたと書いたが、もっとあけすけに言えば、商店街は客に見捨てられたんだよ。そしてその段階で危機感のあった商店は工夫をしているはず。アタックNo.1で、主人公こずえの友達である一之瀬だったっけ?が八百屋の息子で、中学を卒業して高校に進学せず、家業を継いで、スーパーの安売り攻勢を凌ぐために、無理をして事故死した回があった。あれ、昭和40年代前半の話だぜ。
 それまでは品物を捌くだけで精一杯で、人口が多いときだと一見さん常連客関係無しに利用してたから、商店のほうでも別に差別なんかしなくとも誰にでも親切に接していたワケだ。が、スーパーの進出で、あれほど親切に対応していた客が「商店街を捨てた」のだ。これはヘコむだろ。絆の商売が量の商売に負けたという現実がまず最初にあったワケだ。で、その大きな流れの前ではちょっとした工夫なんてのは焼け石に水程度の効果しかなかったろう。そして、そういう大きな流れに商店主は絶望もし、そしてそんな流れの中でも自分の店を贔屓にしてくれる客に感謝するのは当然だ。支えてくれた常連客と、見捨てた一見ライクな客、どっちが店にとって大事なのかはいうまでもないだろう。
 となると、このエントリーでは、やたら絆重視の商売をやれといってはいるのだが、そもそもその商売がスーパーの薄利多売の商売に負けた経緯があって、ダメだった方法をやれって言われても、そりゃ商店主は納得はしないワナ。人口が流出した地域は、今のほうが人口の実数が少ないわけで、まだ人口が多かった(と思われる)昔より状況はさらに悪くなっているのに、昔失敗した方法でやれって言うほうがどうかしている。もう代替わりしている商店が多いだろうけど、商店街は精神的に傷ついてるんだよ。自分の親がそういう経験をしているだろうし、絆商売を守って討ち死にしている例も商店街だったら枚挙に暇が無いだろう。で、そういう努力をもっとしろと?。全然説得力ないよ。
 となれば、方策は何にも無いのか?と言われると、まぁそうだなと答えるしかない。自家用車での移動が増えると、鉄道駅だろうとバスターミナルだろうと、人の集積地自体がなくなっちゃってるワケだから、そこを中心に展開する商店街がさびれるのも必定。本当に活性化させたいんだったら、まず地方に産業を持ってきて職を創出し、人口を増やし、都市計画として宅地などの人の集積地をつくり、公共交通機関を発達させ、自家用車を維持するのがバカらしくなるぐらいの運賃設定をする。そうして徒歩圏内で商店街を利用できる状況を作りゃぁ、嫌でも商店街に客は来るよ。でもそれは商店街の努力でなんとかなるものか?。いや、そりゃ商店街にやるべきことはあるだろうけど、そもそも商店街が寂れたのは商店街の努力以外の要素のほうが圧倒的に大きかったんじゃないかと思うのだ。だとすれば、なんとかするってのは商店街の努力以外の要素をなんとかしてやるべきだろ。でも商店街を復興させるために産業・交通や生活インフラを整えるという、郊外型大規模店舗を作るより何十倍も何百倍ものコストをかけるつもりなの?。無理だろ。もっとも費用が少ない方法が、それこそ法律で郊外型大規模店舗の出店を規制、それも全部潰すぐらいの厳しさが要る。モノ買う場所が商店街しかなければ、嫌でも客はそこに来ざるを得んだろ。でもそれができるの?。ジャスコ岡田がなんで今政権担当党にいて、それも重職を占めている(た)が、その最大の要因がカネだろ。その集金システムとして効率の良かった形態が郊外型大規模店舗なわけであって、そんな法律ができようはずもない。となると、コストもかゝらず、現実的な方法が、それこそ引用先のエントリーの奥様言うところの、「火つければいんじゃね?」ということになる。いや、この奥様賢いよ。一瞬でスマートな解決方法を導き出してるジャン。