たまゆら曜日、観光地化?。

 今回のたまゆらで、竹原も蒲刈も観光地化していてある意味ビックリした。前回は町興しは定住者を求めるか観光客にカネを落としてもらうかで性質が違ってくるんじゃ?なんてことを考えていたのだが、こうなると観光地という側面しか見えないな。で、観光地化するにしても定住地化するにしても目玉がないとねぇというのは痛切に感じる。特にこのたまゆらを見てしまうと、観光地化するためには必ず客寄せパンダ的な要素、そしてそういうのは大抵歴史に由来するものなんだろうなという、「持てる者、持たざる者」の条件が響く。まぁ定住地化するのだったら、歴史というのは住民が負うコストゝして厄介だったりするんだけど、地域コミュニティを形成するためにも社会資本など観光地とは違った意味での目玉はやはり必要だと思われる。
 で、定住地化のために必要なものは、まぁトートロジーっぽくはあるが、やはり都市に奪われた人なり資本なんだけど、今回は竹原と蒲刈の描写にあった観光地化が気になったのでうだうだ考えてみたい。
 蒲刈に美術館なんて、誰が利用するのか?と思ったときに、でもまぁなるほど美術館を建てゝ、その中に目玉を詰め込んでという手順を踏まないと、客は呼べないわなとは思った。自分は過去広島市に住んでいたことがあって、でもまぁ小学生の頃なんで美術に興味も無かったわけだが、フツー広島市の美術館で展示をすべきだろと思ったりしたのだ。そうだと人口の多いところだから、アクセスもよく地方テレヴィ局に取り上げられでもすれば集客力も上がる。なんでそういう便利なところを利用しないかな?とも思ったのだ。
 だが、それだとまさに今都市部が地方からカネも人も奪っている構造を強化するだけにしかならないわけだ。そして利便性を求める人は、まさにハコの中のものだけにしか興味が無いわけで、そうなると中身をいつも充実させておかないといけないわけで、田舎の美術館ではコストも手間もかゝりすぎて現実的ではない。
 が、田舎の美術館だと、不便であるがゆえにその不便さをセットで楽しむ客を相手にすることができるんだろう。郊外に出かける際の道のりを楽しみ、美術館だけでなくその土地全体を楽しみ、で、ハコの中身も楽しむ。言わば美術と旅をセットで楽しませるってことなんだろう。もちろん、そうなるとよっぽど今回のぽってのように障害をものともせず中身に興味がある人間だけでなく、旅程を含めて時間を贅沢に使う人間を相手にすることになる。もう初めっから中途半端な客は相手にしないという商売にしてしまうということなんだろう。まぁハコの中身も何を入れるか大変そうではある。その土地に愛着を持った作家を育成することも重要だろうし、そんなの関係なくコストパフォーマンスに優れた作品群を発掘しないとしんどいだろう。でもまぁ上手くいけば、娯楽を求めて他所に行かなくても、地元に居ながらにして中身を楽しめるってことであれば、影響は微々たるもんだろうが、人の流出も止められるかもしれないな。
 しかし、山陽本線じゃないとはいえ、呉線の駅で下車してバス一本ってのは割とアクセスがよいかもしんない。船の乗り継ぎだと、思ったよりハードルが高くなるもんな。
 観光客を呼ぶためにはある程度のあざとさは必要なんかなと思ってみたり。