Angel Beats! 第13話

 いや、麻婆豆腐の歌だろ。
 話題作なだけあって、結構ネタバレも見てしまっていたわけなんだが、フツーに泣けた。が、やはり臓器移植で心臓を与えた側と貰った側が同時に存在している時点で作為的なものを感じる。そういやAirのアニメ版も過去視聴した記憶があるが、ヒロインの観鈴もありえない病気だったような気がする。ED後の最後の場面も蛇足のような気がするが。
 というわけで、しゅーりょーした。途中ストーリーラインに気をとられながらも、いやこの作品は徹底的に逆説的なんだというのを念頭に入れて視聴すると、少し冷静になれたような気がする。第1話で妙に感心したのは、世界を把握するのに「経験して覚えていく」というゆりの台詞。突如訳のわからない世界に放り込まれ、何が正しく何が有効なのか全くわからない状況で唯一頼りになるのが試行錯誤による世界把握。こういう現実的手段をSSSはとっているわけで、そのあとのギルド編などもあわせて、SSSは世界把握をした上で、上位構造に迫っていくのかなと思っていた。
 で、そういう部分もあったのだが、上位構造の存在は徹底的にはぐらかされ、物語の進行とともに明かされた「成仏システム」に沿う形での決着を目指すようになった。なんじゃそりゃといった感じである。音無はそういう意味では現実にあの世界で充実した生活を送ろうとするキャラ達にとっては裏切りモノ的立場に立っているのでは?とも以前書いた。
 が、SSSのいる世界がブラック企業だと考えるとちょっと話は違ってくる。SSSが日常を有意義に過ごそうとするとそれを邪魔してくる存在が居、不毛な戦いを強いてくるワケだ。かなでは途中までそのブラック企業の管理職の立場に居たわけなんだが、彼女自身の存在理由が極まると、SSSと共闘するという立場に立つ。そうなると、そういう状態を不安定化するために社会の改変が行われる。そういった意味で世界を作り上げ、キャラをその掌で躍らせている上位構造の存在(ブラック企業の経営者)はいるということになる。
 で、音無達が手に取った選択肢ってのが、「上位構造を明らかにして、世界を変えていく」というものではなく、「この世界からの離脱」というものであった。いや、これ、この世界がブラック企業*1のメタファーであるって仮定すると、なかなかにして含蓄の深い選択だ。なにもブラック企業を変えるのにすごいエネルギーが必要だし、そしてほとんど変えるのは不可能である。なら、そんなブラック企業を辞めてしまえばいゝってことだ。ブラック企業のあり方が自分の働く意義に沿わないとか、とにかくやってられないってことであれば、退場するのが賢いといえる。無理して居ることもないだろ。
 ブラック企業の中で戦友を見つけたのなら、ブラック企業の外で人間関係を再構築すればいいだけの話だ。それがラストシーンの普通ならありえない心臓を与えたはずの音無と心臓を貰ったはずのかなでの再会シーンだ。そして彼らが出会った「外」の世界は彼らがかつて一緒にいた世界と(よりましである可能性は高いのだが)比べてよりよい環境であるという保証はない。そしてブラック企業といえども、SSSが消えたあともNPCが残っているだろうということを考えると、やはり適応して生きている人間はいると思うのだ。
 とまぁ、なんつーか、ただのエクソダスものとして見ることも可能なんかな?と思ったりした。泣かせエピソードは単発では素晴らしいのだが、埋め込まれたものとして全体を眺めてみると確かに違和感はある。どう考えても、あのふざけた世界が存在するという時点で上位構造は存在するのだが、それを明らかにしてしまうとどうしてもそれとの対峙を描かなくてはならないわけで、そうするとキャラが勝手に昇華していくって物語にはならない。だから敢えて神側を描かなかったんだろう。で、それは賢い選択だ。
 脚本というかシリーズ構成の麻枝准は今まであまり注目していなかったせいか、この作風をどのように判断していいかよくわかんない。岸監督について言えば、彼はノリは抜群だが、ほんのちょっと視聴者を置いてけぼりの面があるので、それは今回も感じられた。いや、十分間とか余韻とかは考えられているんだけど、組み合わせだか深さにもう一段欲しいといったところか?。まぁとりあえず魅力的なエピソードを投げときゃ観客側で勝手に解釈してくれるだろってのはそうなんだけどな。
 というわけで、総評的にはやはり無難におもろ+。この作品の力の入れどころの一つである音楽面については後述したい。

*1:学校という閉鎖的な空間だけしかなかったことを考えると