とある魔術の禁書目録Ⅱ 第13話

 エンドロール二枚目の姫神は、当麻争奪レースに参加すらさせてもらえないのか。
 当麻のキレイ事は相変わらず上滑りしてたんだけど、リドヴィアの本性が現れてからの話運びは胸のすくものがあった。正直リドヴィアも心の底ではキリスト教の教えに従った、発想は斜め向いてるんだけど、彼女も当麻らに救われるべき存在になってしまうのか?と迷っていた。が、結末を見た後だから何とでもいえるんだが、そもそも他の国にクローチェ・ディ・ピエトロをおったてゝ、貧困に喘ぐ底辺層をローマ正教の教えとやらで救うというのではなく、富の集積地である日本をターゲットにしてる時点で見抜くべきだわな。まぁクローチェ・ディ・ピエトロがもたらす災厄が明示的に視聴者に示されておらず、オリアナだけでなくて、リドヴィアもさらに上層部からの指示に無理矢理従わされているかわいそうなヒト…となったら、当麻達はなにと戦ってるの?ということになるわけで、明確に悪を提示しておく事は物語上必要なことだとは思う。
 で、クローチェ・ディ・ピエトロは、やはりグローバリズムのメタファーなんだろうなと切に感じた。オリアナが敗れたことすらも、ローマ正教側に都合の良いように修正されるという、まぁ歴史修正主義とまでは言わないまでも、さんざん合衆国が今までやってきたメディアによる世論誘導に他ならない。宗教が科学を支配するというのは、まさに戦前戦中の日本の指導者が合理的発想(即ち科学)を打ち捨てて、天皇を頂点とする精神主義(即ち宗教)に則り、破滅へ向かう戦争を選択したのと繋がる。そしてそういう恵みというおためごかしをタテマエに宗教による支配を正当化するってのは、要するに福祉目的税としての消費税だの、改革には痛みが伴うだの、トリクルダウンだのといった、搾取を目的としたごまかしに相当する。今では空き菅政権もそうだが、長年自民盗がやってきたことゝ全く同じ構造である。学園都市ではまだ外国勢力による乗っ取りってのが成功していないという設定のようだが、残念なことに現代日本ではもうそうなっちゃっているってのがね。なんか悲しいというか、守るべきものは既にこてんぱんに壊されちゃってるという空虚感というか、そういうものを感じてしまうよね。
 結局終わってみれば、当麻周辺の要素群は、当麻自身の他者に対する思い、当麻周辺の女性群による争奪戦及びいちゃいちゃ、当麻周辺の男同士の暑苦しい友情?とやら、オリアナの呪縛からの解放、そして明確な悪の提示と排除で構成されていたと見ていゝのかな。当然にしてローマ正教側のリドヴィアの上司にあたる存在も想定しなくちゃならないワケだが、そういうのはまだ像を現す必要もないだろう。次回イタリアにてオルソラと再会するらしいが、オルソラ編も含めて、ローマ正教側は抑圧による搾取構造をもつ閉鎖的な組織、イギリス正教側は寛容を旨とした協調主義的な組織という対立構造が見えてきたように思う。これ、日本でいうブラック企業体質の会社と、Hidden Valueで述べたような社員に裁量を与えて存分に働かせる会社との構図に良く似ている。決して世界的規模だけじゃなくって、現代社会にも通じ、実際に身近に感じることのできる範囲でも述べられているワケだよね。まぁそうじゃなくっちゃ面白くないわけではあるんだけど。