夏目友人帳 肆 第3話

 やっぱ人(妖怪)助けのほうが泣けるな。
 なんかすごく教示的だな。恩知らずと報恩的との対比とか。アマナは典型的なクレーマーというかモンペだわな。友人帳に名が載っていたところを見ると、困っているところを夏目レイコに助けられたと見るべきなんだろうが、夏目貴志が名を返す際に流れてくるはずの記憶を視聴者に見せてくれなかったからなぁ。まぁ名を返した後の指輪の件も夏目の言う通りアマナ自体の不手際だし、指輪を手に取る場面でも、多分毛玉から返して貰った経緯を見ているはずなのに逆ギレだろ。
 対して毛玉のほうは助けてもらって恩返しだろ。アマナは単体でそれなりの力を持っているが、毛玉はそうではない。アマナは力を持っているからこそ夏目に相応の恩返しができるはずなのに、常に他責的である。中途半端な力が迷わせているのだろうか?。毛玉は力が無くとも自分に出来る精一杯のことをしているし、いざとなれば仲間の力を借りてでも恩返しだろ。で、妖の世界ってのはアマナを斑が罰したり、毛玉の共同体で報恩的に振舞うなど、まだ共同体としての体裁が整っていた昔の日本のあり方なんだよな。対してこの作品中の人間界の描かれ方は、夏目周辺の暖かな人間と、的場一門のような強欲な人間の対比があって、じゃぁ的場のような層を抑制したり罰したりするようなシステムが備わっていない。妖だろうと人間だろうと、人それぞれであって、良いヤツもいれば悪いヤツもいるという構造は同じなんだが、妖の側はちゃんと悪いものは罰せられるという仕組みが備わっているのに、人間の側は悪い側を抑制することができないという構造が提示されている。
 まぁ要するにこの作品内世界だろうと現実社会だろうと“人間側は共同体として壊れている”ということなんだろうけど、先ほどの妖側が昔の日本の共同体のメタファーだとすると、さしずめ人間側は近代以降の個人分断化が果たされた現代日本のあり方そのものに対する批判だとは思うんだよな。中級妖怪が夏目に対して“八つ原で面白おかしく暮らそう”というのを夏目自体はハネ除けてはいるんだが、これ、例えば夏目がブラック企業に勤めてでもいて、中級妖怪がまともな企業のヘッドハンターなら夏目は喜んで引き抜きに応じると思うんだよ。たゞ、八つ原というのは今となってはどこにも存在しない昔の良き日本の共同体であり、人間界がいくら住みにくいとはいっても逃げ場はどこにもないというのを示していると思わざるを得ないわな。藤原家だとか、学校での仲間のような存在というのは、自分自身が努力して獲得しなきゃならないわけであり、そのための努力の方法をこの作品で示していると見るしかない。その方法が、でもやはり昔からの共同体を維持していた方法であるところの、「人は本当に欲しいものは与えることによってしか獲得することが出来ない」ってのがまた泣けるよね。かといって近代以降の日本で個人分断化を押し進めてきたところの「とにかく欲を煽って奪え」という方法では結局のところすべてを失うという結果にしかならないという。
 というわけで、今期夏目は妖を選ぶのか、それとも人間を選ぶのか?といったテーマを推し進めてくるのかと思ったんだが、上記の通り、妖にも人間にも良いヤツ悪いヤツの両方が居るのであり、どちらかを選ぶって問題にはしないんだろうな…という気がしてきたよ。
 さて、アニメの感想としては以上なので、特に以下の文は読み飛ばしていただいて構わないのだが…、
 ゆうべんHK第一のラジオ深夜便を聞いていたのだが、なんか「団塊世代、戦後の昭和を振り返る」というのをテーマに、作家の三田誠広とアナウンサーが対談をしていたわけなんだが、ちょっと思うところがあった。結局のところ日本人全員が今の日本を良い状態だと思っていないというのは大前提で良いと思うのだが、日本をダメにしたのは団塊の世代ではないという責任逃れだったんだろうなと思ったのだ。対談中、三田誠広井上陽水の「傘がない」という曲を評して、アレは政治問題より日常の傘がないという問題のほうがよっぽど重要なんだというのを歌っていて、当時は憤慨もしたのだが、今考えてみると先見性があったなんて言ってたのだ。いやね、もうなんつーか、アホかと思ったよ。確かに日常をいかに生くべきか?のほうが政治よりはるかに大事なのはわかるんだが、問題なのは政治がその日常を全く無視していることだろと思うのだ。だから、実は日常と政治を切り離すことがダメなんだろうと思う。各人の日常の蓄積・集積が政治であり、また政治も日常を切り離して考えちゃダメだろ。
 今回の話で言えば、妖にとって夏目は共同体の一員を救ってくれた恩人であり、いや日常から妖側に理解を示し力を尽くしてくれるという、むしろ妖側の一員でもあるワケだ。だから彼が窮地に陥ったときも全体で助けようとするし、共同体の掟を破って夏目に危害を加えようとしたアマナを罰するワケだ。アマナに対して共同体がどのように振舞うべきか?という問題は極めて政治的であり、当の毛玉いがいにも斑・ヒノエ・中級妖怪がその政治問題に対して無自覚であっても、いわばあたりまえのことゝして取り組んでいるワケだ。悪いことをしたヤツは警察なり裁判所なりに託して自分はその問題を野次馬的態度でしか判断しない現代日本のあり方とはやはり一線を画していると言わざるを得ない。だって実際に行動してるもの。
 だが、前回までの話で夏目が困った時に実際に人間たちはシステムとして何をしたか?というわけだ。いくら藤原夫妻だとか夏目の学校での友達だとかゞ夏目の支えになっているとはいえ、的場一門を含む人間全体を共同体としてみた時に、何の罪もない夏目の危機に対して人間たちが何をしたか?というわけだ。やはり共同体としての夏目を守るという点において、極めて脆弱というか、理不尽な強者に対して弱者は我慢するだけといった構造が確固として存在しているワケだ。で、そういう構造は別に隠されているわけでもなくって、報道でも身近でもいくらでも目にする事は出来るんだが、そうはいってもその構造を見て憤慨することはできても変えることは出来ない。ちゃんと政治は日常の延長であると捉えた上で日々観察を絶やさず判断力を培って、まともな候補者に投票でもしてれば、まだ日本の政治も少しは良くなっていたかもしれないのだが、あまりに日常の目先の欲得だけに埋没してしまって全体を考えることを怠って、自民盗に好き放題させてきたツケが今になって噴出したのではないのか?と思うのである。
 だから、三田誠広とやらが政治問題を考えている事は馬鹿げていて、もっと目先の日常にだけ目を奪われていなさいといった主張というのは、あまりに他人をバカにしている発言なんじゃないかと思ったのだ。日常の生活に根ざしていない議論を振りかざした政治を語るのではなく、日常の生活の延長として政治を一人一人が考えていくべきなのに、政治問題を語ること自体をタブーとするのはね…。と思った次第。だって、今の日本だと自分が生きるか死ぬかといった問題に国が何もしてくれないというか、増税でカネを毟り取ろうとしてるんだぜ?。で、そういうのを選んだのが紛れもない日本人そのものってんだからね…。