Angel Beats! 第4話 追記

 レールガン総評をしなきゃなと思っていたんだが、やっぱ話題になるだけあってABの印象は強烈。仕事しているときも考えちゃってるもんな。
 さて、今回考えさせられたのは、クライマックスで提示されていた「消える」ことの是非だ。ガルデモのバンドリーダーだった岩沢は、歌うことに生きがいを感じ、成仏してしまったワケだが、第3話だとこれが感動的に演出されていたこともあって、消えるという事はいわゆる「良いこと」のようにも思われた。
 が、今回音無が日向を「消えて欲しくない」と心で叫んだ場面で、ハテ?、実は良いことでもないんじゃないか?と思い始めたワケだ。岩沢はどこへ行ったのか?、消えて別の世界に生まれ変わり、「歌うことに生きる」ことができるのか?を考えた時に、あぁ、勝手に自己完結して存在自体が文字通り消えちゃったんじゃねぇか?と思い至ったワケだ。存在が消えれば歌をうたうこともできない。で、ガルデモは一般生徒の支持を得ていたのではないのか?。熱狂的なファンであるユイが岩沢亡き後、彼女のあとを継ぎたいと熱望するぐらいに強烈な影響を現に与えていたワケだ。が、岩沢はユイ達ファンを見捨てて自分の世界に旅立ってしまった。ソレって、歌に生きるのとは結果的に反する行為だったりしないか?というワケだ。
 で、そもそも音無たちが生きるABの世界ってなんなの?と考えてみた時に、これは未練があって成仏しきれない人たちが自分の生を取り戻すための挽回の地と考えることができるワケだ。で、その世界は自分一人でいきているわけでなく、自分を支えてくれる仲間が居、その仲間が協力し合うことで第二の生を生きているという形になっている。その共同体がSSSなのだろう。
 で、音無が日向を世界に引き止めることになりそうだったのが、相手に存在しつづけて欲しいという熱望なのだ。他人に必要とされて社会的に存在することができるってのは、これはまさに現実の世界にも通じることだ。自殺も確かに自分が自分を否定することによって起こるものと見ることもできるのだが、それだけでなく、自殺者が世界からの疎外感を極端にすることによっても起こると見なすことができる。自分で自分を必要としなくなるだけでなく、他人からも必要とされないのであれば生きる意味がないと考えてもおかしくないってことだ。
 だからといって岩沢を非難するのも酷な話だ。満足して消えるってことは、岩沢を初め、SSSの面々は誰も知らなかったようだ。ただ岩沢は一匹狼っぽい描写だったから、視聴者として救われる。もしただのファンでなく密接な繋がりのある友人がいたら、もっと悲劇的になっていただろう。シリーズ構成として彼女は早くから消えるという予定だったから、わざと心の友を作らなかったに違いない。
 で、他人に承認されるってことが(ABの世界だろうと現実の世界だろうと)存在の一要件であっても、それは音無が日向に対して自覚的に熱望するような形でなくても、別の形でもよいってのが示されていたんじゃないかという気がする。ユイは岩沢が消えたことを残念がっても、消える条件について深く考えていたようには見えない。考えていたとしても、日向の過去を知らなかったワケだから、セカンドフライを邪魔しなければ日向が消えると思ってプロレス技をかけたわけではない。他人に承認されるって事はいろんな形があり、それは些細なことでいいんだって主張のようにも思える。
 ただ、他人から必要とされているのに、岩沢のように満足して成仏するってこともABの世界ではそんなに悪いことでもないんじゃないかという気はするのだ。本来いなくてもいい場所ではあるわけで、第二の人生を謳歌したと判断して退場することを非難してもなぁと思うわけだ。ま、どっちにせよ、他人を承認しあうこと*1が社会の存立条件の一つであり、それは決して難しいことではないんだよってのが今回提示されたことなんかなと思い至って、そうそう薄い話でも無かったのでは?と思い直した。

*1:他人の認知欲求を満たしあうこととは全く別なのに注意してもらうと有難い。