魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜 第6話、いろいろ感想を見て回ってみた。

 この作品の特徴として、“自然さ”というものがあるらしい。るり子がじぶん家のケーキのお持ち帰り箱を見て駆け出すシーンも、確かに箱のアップ前にるり子自身が確認するカットは入れてある。入れてあるんだけど、遠くからの視点で注意をしていないとわからない演出だ。西原姓の一致は確かにわかるようにはなっている。でも、実際に初見で視聴した時にはなぜるり子が駆け出したのかさっぱりわからず、るり子の背景がわかった後に見返してようやく意味がわかったという具合だ。しかし、直後のるり子が一人で画面を駆け抜けていく場面にそんなに意味があるとも思えず、なんかめくらましかなとも思わないでもない。
 で、普通のアニメであれば、余計であってもじぶん家のケーキ箱を見て驚くるり子のアップが入るはずであり、この作品ではそれを巧妙に排除している。ソラたち三人娘との会話では、なまじっかるり子のアップが続いて、子供が他人を気にしながらウソをつく表情を豊かに描写しているだけに、意図的な注意逸らしを感じる。しかし、各キャラの本心を絵面でわかりやすく強調する事はない。
 だから、他の作品と同様わかりやすく作られていると思うなよというスタッフの意図はなんとなく伝わってはいる。で、感想サイトさんも自分と同じようにソラが最後回復した理由を訝しがっている人がそれなりにいた。で、今回でスタッフが言いたかったのは、http://d.hatena.ne.jp/sagaakira/20080815/p1さんの、

ソラは原先生の言葉を繰り返す。「(魔法には)できないことだってある」

今回の話は、それに対する一つの答えであるような気もする。魔法にはできないことがある。けれど、魔法にできないことは、魔法以外のことにできるかもしれない。子供の気持ちを動かしたのは、「子供の頃、大人に一生懸命説明しても、わかってもらえなかったことって、なかった?」とみんなに問いかけるようなソラの思いやりであって、魔法の力ではなかったのだから。

 が近いのかもしれない。
 とはいえ、もし、スタッフの意図が本当にこうであったとしても、やっぱり自分には引っかかるものがある。それは、「トラブルは何はともあれまず魔法で解決しなきゃなんないものなのか?」という点だ。っつーか、魔法を使わなくても解決できる問題は、極力魔法を使わずに解決しろよと言いたい。最初に魔法を使うことが前提になるということはおかしくないか?。
 前回の覚醒のお話でも引っかかったのが、魔法で植物人間をそうでなくすることができるのなら、医者は要らないだろということだ。魔法に安易に頼るのではなく、当事者の努力を尽くしたその上で、後々問題にならないことが明らかな場合にのみ魔法の使用を許可するというのが自然な流れではないか?。なんというか、給食費は払わないのに携帯電話の使用料だけはしっかり払うとか、無重力空間でボールペンも万年筆も使えなくてアメリカは困っていたが一方ソ連は鉛筆を使った…とか、本末転倒しているという気がする。本当にこの回の意図がそうであったとも断言できないし、そうであったとしても、若者というものは大概本末転倒してしまうものだ…ということならわからないくもないが、でも今までのドラマに慣れている身としては、やっぱりわかりづらい。
 許可が無いと魔法が使えないのはおかしいという問題提起も、今回は問題提起だけで後々その問いかけに対する回収が行われるかもしれないので、この話でスルーされていたとしても焦る事は無いのかな?。でもまぁ、現実に近いっちゃぁ近いとは思うんだが、やっぱ面喰うよな。