参加した評価調査の結果が出ました

 http://www.planning-ai.com/~yuuki/special/に参加しておりましたが、結果が出ました。自分の評価と他人の評価が結構食い違っているようで苦笑です。世間様の考え方とずれていることが明らかになるという、なんともいいがたい結果となりました。
 私が評価した作品は2つ。お伽草子神無月の巫女です。見苦しいのですが言い訳を。
 お伽草子の評価の一つに、サブカルチャーで語られている世の中の変化がこのアニメで表現されていることがあげられます。すなわち、東浩紀の「動物化するポストモダン」で語られていた、大きな物語の消滅、データベース型消費の勃興がそれです。データベース型消費というのとは少しずれており、小さなエピソードの集積といったほうがぴったり来るかもしれません。
 お伽草子は二部構成になっており、前半が平安編で中世を描き、後半が東京編で現代を描いています。平安編と東京編でストーリーががらっと変わっており、プロデューサーはよくOKをだしたなぁと変なところで感心していました。平安編では主人公が都を救うために5つのアイテムを探し出すという流れになっていました。つまり一つの目的にむかって主人公を中心にミッション達成のために努力し、何らかの結末を迎えるという「大きな物語」を志向していました。東京編では主人公の兄を探すために登場人物たちがいろいろな怪奇現象に巻き込まれながら、なし崩し的に結末を迎えてしまうという「エピソードの集積」の形をとっていました。東京編の結末は平安編で明らかにされた「民を救う」というもので、そこに注目すれば東京編だって「大きな物語」のようにも見えます。しかし、平安編の主人公は最初からそれを目的としていたのに対し、東京編の主人公は初めはまったく意識していないのに、まるで降りかかってくる災いを避けるような感じでストーリーの進行とともに解決が図られます。主人公の目的意識が全然違う。仮に問題の解決という視点を持ったとしても、それは東京編の結末ではなく、平安編+東京編の結末と見たほうがいいでしょう。東京編のメインは大塚英志が主張するところの「都市伝説」がだらだらと語られます。また、オープニングの「明日は今日と同じ未来」はやはりサブカル学者宮台真司の「おわりなき日常を生きろ」とつながります。東京編はこのあり方を映像化したもののように思えます。
 お伽草子はこれらのサブカルの主張の映像化という側面で見た場合、とても興味深いものでした。ストーリーとしては平凡です。平安編の愚直なまでの任務に対するこだわり、わかりやすすぎるキャラクター造形、先が読めそうなストーリーと、あまり誉められたものではありません。東京編の都市伝説にしたって、どっかで見たようなエピソードばかりでパンチが効いたものはなかったし。ただ、サブカル論とのリンク、表現方法に冒険が見られることなどいろいろ考えるネタが豊富でしたので私的には評価が高かったです。そして、無意識なんでしょうけどこの作品の支持者に女性が多かったのも興味深い現象でした。

 うーん。今日は職場の打ち上げで帰宅が遅かったのですが、メールチェックで気になったのでこういうエントリーになりました。ちょっと疲れ気味なんですがこれからスターシップ・オペレーターズ第11話を見ることにします。神無月の巫女の概観もあとで。