凪あす視聴した。

 さすがに2日に分けて全編視聴。体力的に2クール分一気観することはできないお年頃なのだが、それでも連続視聴したいと思うだけの勢いはあった。
 ただ、色づくを前に見てしまっていた自分からすると、個人的には色づくのほうに軍配があがる感じ。凪あす視聴後にキーワード検索してみたが、大ヒットというわけではないがいちおうヒットしたといい切っても良いだけの人気を獲得していたように見受けられるのだが、まぁそうだろうなと思わせるものはある。それというのも凪あすは、こう、激情的というか、泣かせポイントが随所に散りばめられていて、実際に自分も大半の時間泣きながら視聴してたのだが、あぁ、こりゃ視聴者は退屈しないなという構成にしてある。この作品2013年公開で、もうそんなに経つのかとちょっとした驚きがあるが、2011年に同じ泣かせ作品のあの日見た花の名前を僕達はまだ知らないがヒットしているので、おそらくそれの系統を狙ったのだと思う。
 凪あす、作品の大半を恋愛要素で埋めているし、当然それがこの作品のウリではあるのだが、だからといってこの作品が伝えようとしている…というか語っていることが恋愛要素か?と言われると、それは違うんじゃね?というのがちょっと面白いところ。例えば色づくでは、感想で述べた通り作品のターゲット層はおそらくキャラと同じ高校生がメインだろうし、青春を謳歌しろというテーマも、そのまま当てはまると思うのだが、では凪あすがキャラが中学生だからターゲット層が中学生メインか?と言われると違うといい切ってもよいだろうし、「好きという気持ちを大切にしろ」という作品中で語られていることもこの作品のテーマかと言われると、冷静に考えるとそれもおかしくね?と思わせるものがある。
 となると、この作品が語っていることはなにか?というのは、まぁいろいろありはするが、P.A.Worksからしてフツーに考えるとやっぱり地方の過疎問題じゃね?という感じ。但し、そのテーマは背景として埋め込まれていて強い主張というふうにはなっていない。だからこれがメッセージ性という位置づけにあるわけではなく、あくまで恋愛要素を客寄せパンダとして効果的に利用しながらも、このテーマをとりあえず視聴者についでに見てもらうって体裁をとってる。
 この作品の舞台背景がちょっと複雑で、主人公たちの生活地である海村と、それに対置する陸の関係とは別に、電車でいく都市部という三箇所で成り立っており、もちろん海村が「過疎化に悩む地方」であることは間違いないのだけども、「陸」が都市部か?と言われるとそれは微妙なところ。実際に第2クールの五年後の物語ではフツーに人が減っているし、それは別に地方の問題というだけでなくって少子化として日本全体にもあてはまるわけで、単純な都市・地方の対立関係になってない。とはいえ、やはり海村に焦点を当てると、やはり日本の過疎の地方がモデルになっており、しかもTVなどの調度や自動車などのスタイルなんかを見ると、まだ人が残っていてある程度活気があり努力していればまだなんとかなっていたかもしれない昔の田舎という設定になってる。
 この作品を視聴して当初、村の掟というのが口の端に上っていたから、なんやろと思っていたら、海村の女が陸の男と結婚して子供を産めば、子供は海村では暮らせないから村を追放ってことになっていて、それ、結局の所海村の女の未練を断ち切るためのむしろ思いやりになってるんじゃね?と思ったわけで、そのへん不思議な感じがしてた。ただ、背景として構造的に示されているせいか、結構単純な話に落とし込んでいて、それは人口問題に尽きる。テキスト構成的に山場は2つに絞られていて、それは海村が休眠状態に入る第1クールラストと、海村が休眠状態から明ける第2クールラスト。それぞれ何が起こって(原因)、そうなった(結果)のかを言えば、

  • 第1クールは主人公姉が海村を結婚で出ていって、要するに人口流出したから休眠したという構図
  • 第2クールはサブヒロインが陸のイケメンゲットして、要するに人口流入したから休眠から明けたという構図

 になっている。反論しようにも全くそのとおりですよねというしかない。もう一つ重要なのはまさにメインの主人公のカップリングであり、「そもそも村の男(女)が村の女(男)を引き止められなくて、なんで過疎化が避けられよう」という主張になっている。で、村の掟というか村の象徴である海神を筆頭に村がなにをやっているのかというと、この物語ではおふねひきという海陸共通の祭りですら、自分たちのちっぽけなプライドを満たすために排他的な態度を示してわざわざ人を寄せ付けないことをやってるわけで、そりゃ村の女が逃げようとするのも当然でしょといったところ。「えな」という、水の中で自然に呼吸できるギミックが仕込んであるが、これは村で暮らすための因習陋習にあたるものであって、陸の人間が海村で暮らすためのハードルになっているのは明らか。田舎のめんどくさい人間関係やその他諸々なのであって、田舎の人間はたやすく捨てて都市に逃げることができるが、都市の人間が田舎で暮らすためには獲得しないといけない資格のようなものなのだから、そりゃ田舎が忌避されて当然。で、物語ラストで海村が休眠から明けたのも、村の若者が努力奮闘して結果を出しており、村の長老だかしんないが老人共はなんにもしなかったのであって、状況を変えるのは結局の所、在地の若者の力に期待するしかないというのもまぁそうだよねというしかない。
 ドラマ部分は、主題に視聴者を引きずり込むためのエサでしかないのだが、そのエサ極上のものでないとたくさんの視聴者が釣れないのでさすがに練り込みはかなりのもの。ただ冷静に考えてみれば、これキャラクター同士のマッチングが過不足なく行われているのでもうフィクションとしか言いようがないのだが、とはいえ、人口の少ない環境ではそのマッチングこそがまさにクリティカルなものなので、ある意味リアリティを示したと言えなくもない。この物語は人間関係において徹底的に贈与に対しての返礼*1という構造になっていて、そこにラスト、デウスエクスマキナと思わせて実は海神様もその贈与-返礼の玉突きの行き着く先になっているのが面白い構図になっている。第2クールで、サブヒロインとイケメンがマッチングされて、それが物語がまとまっていく最初のフックになっているのだが、やはりクライマックスで示されているのは「一番の功労者に一番欲しかったものが与えられる」という主人公のマッチングなのであって、でも結局の所、どの男(女)にどの女(男)が与えられるのかという玉突きで、あぶれるキャラは一人もいないってのがまぁそりゃ美しいよねという感じにはなっている。視聴者の反感を買わないためにご苦労さんといったところだが、悲恋あってこそ幸せカップルが引き立つとは言ってもそんな時代じゃなし、誰かの幸せのために誰かの犠牲が必要ってのもこれまた田舎のダメな構造*2なので、純文学ならまだしも「物語」なのだから理想を語るの上等!で構わないと思う。
 青春を謳歌しろというわざわざ口に出して語ることの程のものでもないものをテーマにしていても、ちゃんとそれが必要であるという時代背景を押さえたものであることを考えると、個人的には色づくのほうが推しではあるんだけど、凪あすもかなり楽しめる作品ではあった。ただ、上記の通り、凪あすは感情スイッチのオンオフで視聴者を操ってやろうという要素が強いので、視聴して疲れる感じではある。まぁどちらもP.A.Worksを代表する作品と言ってよいのではなかろうかとは思う。

*1:贈与だけならまだしも、贈与に対しての返礼は「交換」ではないのか?という議論はさておき

*2:実は都市部でこそそれが意識されないよう効率的に行われているのではあるが

色づく世界の明日から 追記のようなもの

 さすがに幽奈さんと比べると見ごたえがあったのだが、ふと人気はどうだったんだろうな?と気になってggってみたが今一つよくわからんかった。アニコレというサイトだと野良感想がたくさんあるのだけども、どうにも評者の立ち位置がまちまちで正直印象だけで良し悪しを判断してるのが多そうな感じで今一参考にしにくい。
 自分がよくできているなと思ったのはタイムトラベルの矛盾があまりないように構成されていること。琥珀視点で見てみると判るが、未来から飛んできた孫の様子を実際に会って体感し、自分の使命を忘れずに60年間こつこつと準備してきたんだなと思うと、細かな齟齬はあるが、孫を過去に送り飛ばすのを孫の誕生以降に思いついた…というふうになっていないことが明らかなので、パズルのピースがうまく嵌っている感じはする。描写されていないが、琥珀が子(瞳美の母)を生み、高校生の頃瞳美が語った不幸のとおりにならなきゃ良いがと心配しながらも、タイムトラベルの準備を怠っていなかったのが窺える。でも結局は瞳美が語った通りになってしまい、その時が来るまでじっと機会を窺い、いざその時が来たらなんの説明もなく問答無用で過去に送り届けるというときの琥珀の思いみたいなものも自然に想像できてしまう。だからこそ過去から戻った瞳美に「おばあちゃんはヤメて」というのが自分にとっては最高に輝いている台詞。なんというか、タイムトラベルといえば大抵運命の改変という、今ドキのループものに見られる何度でもやり直し可能な物語…というふうにはなっていなくて、タイムトラベルしたこともビルトインされた形ですべてが運命のように時間が不可逆的に流れていくって構造が個人的にはイカしてるという評価。青春とは決してやり直しができないかけがえのない時間ってのがきちんと守られていて、そのへんテキストの誠実さを感じる。
 そのへん昨日も述べた通り、やり直しのできない貴重な時間なんだから必死に生きろだとか、今この瞬間を最大限に楽しめという若者向けのメッセージが生きてくるのであって、まぁこの作品を必要としているであろう層にきちんと届くといいなとは思う。シュタゲやリゼロは論外と思っているが、ではYUNOが押さえるべきところを押さえているからよいか?と言われると、個人的には主人公が時々下品になるとはいえ、テキストの構成としてはお行儀が良すぎるので、まさにこういう作品を時代が求めるべきなんじゃなかろうかとは思ってる。
 あと、やはりやはりこの作品が他力本願ではなく自力救済の構造をとっていることを評価したいと思う。タイムトラベル直後の瞳美は、その段階では無力であって大勢の人からの「贈与」だけで生かされているという状態なのだが、だからといってその状況に甘んじるんじゃなくて、過去踏み出せなかった一歩一歩を少しずつ踏み出していくことが他人のためにもなり、それが廻り廻って自分を救うことにつながるという流れになっているように見えて、その丁寧な構成が個人的には好感度高いのだ。きっと文字ベースのテキストにはこの程度のものが他にありそうな感じだが、アニメで表現してるのは経験的にそんなになかったような気がする。昨日もこの作品が突き抜けてないと言ったが、ある程度平凡に仕上げることに意味があるとは思う。
 というわけで、凪あす見なきゃなんないんだろうなと、この作品を視聴中ぼんやり考えていたんだけど、今日ggってみたら同じ監督の作品らしいので、時期はいつになるかわからないけど、実は録り溜めはしてるので、そう遠くないうちに視聴したいとは思ってる。

ターボトレーナー、現段階メモ。

 といっても画像撮ったからという。



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 ブルーマチック外箱。平べったい構造で意外だった。


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 真ん中に大きな空きがあるが、おそらくライザーブロックが嵌る箇所だろう。



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 ターボトレーナー部。板を前後の足に跨るように敷いている。本当は横に敷くつもりだったが長さが微妙になりない。長さを目分量では買っちゃダメだなと再確認した次第。55㌢あれば十分かと思っていたが60㌢でも短かった。
 ちなみにホイールはACLASSのALX320(DX)。昔BMCにつけてたのを外して放置してた。
 タイヤはザフィロプロホームトレーナー。



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 前ホイール部。ターボトレーナーに板を敷いているので、これも板を敷いてからライザーブロックを乗せている。ハンドルにつけている負荷調整レバー硬いのなんの。とはいえ負荷1か2しか使わないだろうから特に問題はなさそう。ホイールはスピナジーのスポークにザイロン繊維を採用をしたもの。商品名SPOXだったと思うが、カネを惜しんでセカンドグレードのやつ。繊維採用で乗り心地がよいとのことだったが、路面の衝撃をマイルドにしてはくれるが、ポンポン跳ねるので正直乗りづらかった記憶がある。ユーロスピードにはこれをつけて放置していた。タイヤは懐かしいミシュランアキシャルプロ。もうこの自転車購入してから20年近く経ってるが、ちょっと試しに回してみてもタイヤがパンクすることなくなんとか役に立ってる。ゴムなんてもう劣化していてもおかしくないのに。



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 フラッシュがうまく当たってないが、ペダルとBOA付きシューズ。ペダルに古さが感じられる。クリートを付けるときも、やたら加工が甘くて苦労した。やっぱこのような部分も進化し続けているんだな。



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 非常に分かりづらいが、塗装がちょっと特殊で緑色のラメっぽい反射がちょっと見える。ユーロスピード1、エンジェルホワイトという塗装でちょっと凝っていた。日光下だともうちょっとキレイになるが、といってもはっきりラメ反射がみられるほとのものでもない。上の画像を見てもらうとわかるが、これ、フレームのみの塗装で、フォークは別塗装らしい。フォークのホワイトは経年変化で黄ばみが酷くなってる。

色づく世界の明日から視聴した。

 幽奈さんが若干手応えがなかったので、なんか一つ視聴してみるかと在庫を漁ってなんの気なしに見始めたら完走してしまったという。
 確か視聴対象にするかと思った時の記憶は、過去にタイムトラベルするのか都合良いな…ぐらいで、それほど積極的でもなかった。イントロを見たときも、昭和時代にタイムトラベルするのだろうと勘違いしていて、まさかトラベル先がまさに今の時代だとは思っていなかった。
 一通り視聴し終わったあとに、この作品のテーマは何かというのを考えて思いついたのが、昔風に言うところの「命短し恋せよ乙女」だった。そしてこの作品のテキストの大きな主軸の一つに恋愛があるが、しかしそれすらこの作品の伝えようとしているメッセージからすると、数ある構成要素の一つであってこれ自体がメインテーマでもなんでもないという。
 まぁミソは、主人公が本来の時間に帰還する日付が9月であること、そしてタイムトラベル先が普通だったら現代ではないいつかというものが他の作品では一般的なのに、この作品はまさにコンテンポラリーであるというところ。
 ラジオを聞いていてもタイムリーなことに新学期になって云々という話がよくあって、なんというか、自分が子供の頃には「現代っ子はひ弱」と言われたものだが、今ドキだともう突き抜けて大の大人が子供の生死まで気にする時代になったんだな…ともう半ば呆れるような状態。単に嘆いているだけで何もしないなら事態は悪化しかねないだろうから、若者向け*1にこういう作品を作ってみせたんだろうが、青春群像劇としてそれなりに整っている出来ながら、そういう背景があるんだろうなと思うと素直に楽しめない自分がいる。
 前半部分では、キャラたちやたら繊細だなとかめんどくさい連中だなとか思っていたのだが、まぁそのへん上記の通り、この作品のターゲット層がその繊細でめんどくさい連中なんだろうからさもありなんといったところ。話の構成はよく練られていて、青春モノと言ったら若さにまかせてやりたい放題で、勢いで爆発したら割とやりっぱなしという側面があるが、ケツ持ちを丁寧にやってる感じ。後半は割とgdgdやなと思いながら視聴してたのだが、最後で盛り上げどころはきちんと盛り上げているし、風呂敷もきちんと畳んでるのできっちり〆たなというところ。
 自分なんで主人公が会ったばかりの葵の絵に、なんの精神的なつながりもないはずなのにいきなり色が見えたのかずっと不思議に思っていたが、最後の最後で種明かしをしてくれてフツーに感心した。相互相補的に影響し合うって主張も恩着せがましくなく感じられて、そのへんいろいろ濃淡はあるが、基本爽やか青春テイストなのが心地よい感じ。
 P.A.ワークスと言ったら、社会問題を取り上げることに前向きな割には突き抜け具合が中途半端って感じなのだが、この作品に関して言えばその中途半端さが逆に良い効果を発揮してるんかなという気はした。あと自分のようなおっさんにはちょっと目に毒な感じ。まぁそれも上記の通り、この作品全然おっさん向けではないので。

*1:主題歌のタイトルに「17才」とあるからもう間違えようがない

ゆらぎ荘の幽奈さん、視聴完了。

 昨日ふむふむのお供で半分ぐらい視聴してしまったので、今日のうちに最後まで。もともと視聴しようと録ってあったものだが、放置していたのを消化したことになる。
 普通公式サイトのイントロを読んでから視聴対象にするのを決めているはずなのだが、これはその記憶がない。それどころか、トップ絵でヒロインの幽奈を見て思っていたのは、彼女が下宿の管理人役なんだろうなということ。で、OP動画見てて気づいたのがジャンプ連載。なるほどテイストがトラブルダークネスや僕勉に似てる。
 テキストのメインは、もうお色気を前面に出した他愛のないものなのだが、ちょっと引っかかるのは幽霊と人間との間の交流の部分に焦点を当てているのかなというところ。妖怪だとか幽霊などは、夏目友人帳あたりでもそうだが、日本のマイノリティなんだろうという気がしていて、まぁそれも遠からずなんだろうし、やれ土蜘蛛だとか酒呑童子だとかも大和朝廷にまつろわない地方豪族という見方もあって、どっちにしろ人間と対等という描き方なんだったら幽霊にするはずがない。幽奈以外のゆらぎ荘の住人がどちらかというと妖怪の末裔って感じだから、彼女たちに保護されている幽奈は階級的にはいっこ下の存在ということだと思う。
 人間のメインヒロインである宮崎が幽奈と知り合いになるわけなんだが、彼女とのコミュニケーション手段が筆談であることや、主人公以外の人間に幽奈が見えないということから(つまり同等の存在と認められていないということ)、おそらく幽奈は外国人のメタファーなんかなと思ってしまった。移民法が話題になってた時期のアニメ化だし、最終話で生前の記憶がないと言ってたから、まぁそう解釈してもそれほど違和感はない。
 で、幽奈との交流が主人公絡みだと恋愛、宮崎絡みだと学校という共同作業の場での利害関係抜きの交流あたりを見ると、まぁそうだろうなといった感じ。パレスチナ問題でも同じ学校に通っているパレスチナ人とユダヤ人との子供同士はそれほど対立感情はないというし手っ取り早い外国との交流は国際結婚であったりするわけで、示されているエピソードも手垢のついたもののように思える。
 ただ、ジャンプ連載だと正直そういうテーマが込められていたのか?というと、まぁおそらく違うんじゃねという感じ。最大限好意的に解釈して、アニメ化に際しテキストスタッフがそういう要素を強調した程度ぐらいなんだろうという。原作を読んでいないしアニメから推測するしかないが、まぁマイノリティの問題の立て方としては無難だし予定調和っぷりもお色気作品に見られる下品さの緩和にはちゃんと機能しているようなので、そのへんのバランスはそれなりによく取れてるんじゃねという感じはした。
 Wikipediaを視聴後読んでみたが、最後の項でフェミが噛み付いている様子が書かれていてげんなりした。こういうお色気作品10年前や20年前も普通にあったと思うんだが、今どきだと手っ取り早い攻撃対象なんだろうねぇ。


ターボトレーナー設置完了。

 作業自体は昨日に終わってちょっとばかし回してみた。確かにトレーニングとしてこれは退屈するだろうなとは思った。
 結局マットはダイソーに行って600円のヨガマットを購入した。ネットでダイソーのヨガマットを使ったエントリーを見たときは400円だったので、値上げしたのかなと思ったのだが、600円の隣に400円のが並んでいたので、要するに400円のと比べると豪華版という位置づけなのだろう。400円のより面積が若干広いし、マットの厚みが単純に倍なので、こちらのほうがお得だと判断して購入した。
 トレーナーとマットの間は板を敷いた。騒音はうるさくはないがそれなりにある感じ。他機種との比較がそもそもできないので、これが騒音多いのか少ないのかわからないといったところ。
 画像はまた後にアップするかどうかわかんないが概略を示すと、
 使用した自転車は自分の初ロードであるユーロスピード1。台湾パシフィック製造のものにプジョーのブランドを乗っけて売ってたものを20年ほど前に買っていたもの。物置に放置してたのを引っ張り出してきた。使用コンポは77デュラでなんと9s時代の物。クランク長が170㍉で、自分の常用である172.5㍉のと違うのでちょっと心配だが、クランクを踏むのではなく回す練習になるから良いかと気にしないことにした。
 ペダルはLOOKの古いやつ。これこのユーロスピードだか、キャノのシルクロードを買ったときにおまけでついてきたやつだったと思う。今でも昔でも完成車にはペダルがついていないのだが、自分ロードに乗り始めた頃はクリップで乗っていたし、クリップレスペダルに乗るつもりもなかったので、自分で買うはずはない。
 シューズはMerlinで安く売ってたSpuikの安いロード用のを新規に購入した。別に今使ってるDHBのを洗って使い、外用には別に購入しているフィジークのを新しくおろしてもよかったのだが、Merlinで売ってたのはBOAダイヤル付きで6000円ほどだったから、脱ぎやすさを考えて購入した。
 ブルーマチックだが、10段階に負荷が調節可能で最大750㍗らしいのだが、ちょっと乗ってみた限り、負荷1~10までのうち、中程度の4~5程度でもう重たくてたまらない。実際に使うときは1か2で十分。
 汗よけマットも届いているが、正直汗が吹き出すようになる前に飽きるという気がしてならない。まぁどれだけ使うことになるかわからないが、ペダリングに飽きてしまう前にやめて、極力無理をせず長続きするよいなとは思ってる。

ルフレふむふむ、2000位以内に入れた

 もともとは最終日に焦らなくてもマカロン1つ確保できるように7000位以内に入ることが目的。なので、昨日はキャロチュー見ながらポチポチやってたのだ。が、昨日の段階で1000位台まで行ってしまう。
 で、目標を変更して、3000位以内を死守してマカロン2つ、つまり合計で5つ確保することにしたのだ。が、昼頃確認してみるとまだ1000位台の2000位以内。なので、ここは一つ2000位以内を目標にしようかと思ったのだ。で、ゆらぎ荘の幽奈さんをお供にポチポチやってた。残り一時間の段階でもおそらく2000位以内に入れてたとは思うが、200万pt稼いだらぷちプリンが貰えるということで、そのへんも背伸びしてしまった。おそらく1500位前後だろうからほぼ確実にランキング2000位の報酬がもらえると思う。
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 ということで初の上位SR最終進展できそう。報酬は2枚だが、SRバッジで1枚追加できると思うので、それも合わせて3枚になり、これで最終まで進展できるというわけ。



 ちなみに、なぜ最終日に焦らないようにしたのかと言えば、それは艦これのランキング報酬を狙っていたから。今月のメンテで戦果砲が追加されたが、自分クォータリーの戦果砲は全部温存してたので、EO砲もすべてぶっぱなしたらもしかして500位以内に入れるかもとチャンスを窺っていたのだ。結果は昨日の期間限定海域メンテ明けで520位で、500位までと40ほど差がついていた。最終日のランキング更新で500位以内に入っていなかったら、おそらくEO砲をギリギリまで温存しているユーザーのことを考えたら無理だろうなと思って、結局諦めたのだ。午後の更新でさらに130差ついていたから諦める判断は正しかったと思う。
 とはいえ、諦めたのにはもう一つ理由があって、昨日までに戦果稼ぎで7-1を周回していたら猫が頻発してたから。10周回(14~15出撃)する間に4~5回猫ってたと思う。猫の何がイライラするかと言われたら、もちろん出撃が無駄になることもさることながら、疲労が一気に溜まること。7-1、割と命中が効いてくるので、自分ユニットを複数入れ替えとっかえしてcond.49の無疲労で出撃するようにしているのだが、そのローテーションが狂ってしまうのだ。
 艦これねぇ、いろんな新要素を盛り込むのもわかるんだけど、安定してプレイできる環境をまず整えて欲しい。これサービスの基本だと思うのだが。他のゲームだと通信不良で中断しても、中断したところから続きをやってくれるので、せめてそういうのをなんで取り入れないかなと思う。どうせ陣形選択したあとはサーバーで戦闘結果は出ており、以後のアニメーションは単に結果を再生しているだけなんで、リジューム自体はできるはずなんだけどな。
 ちなみに現段階でも一定時間放置すると必ず猫る。なんなんだろ?。ホントユーザー舐めてると思う。

キャロル&チューズデイ最新話まで。

 いちおう新番チェックのときは視聴対象にはしてたんだけど、ガルフレふむふむのお供に消化してみた。
 おそらくアメリカの社会問題とも併せてもうちょっと重たいものかと思っていたんだけど、意外にテイストは軽め。舞台はどう考えてもアメリカがモチーフなのだが、物語的には火星が舞台ってことになっていて、第1クール中盤までどうにも引っ掛かっていた。まぁおそらくだが、現実のアメリカ社会ということだと、「こんなのアメリカじゃない」というクレームがつく可能性があって、それを避けたのかなという気がしないでもない。ざっと視聴した限り、確かに社会問題がいろいろ散りばめられていて、それはアメリカのものだったりするんだろうけど、実際にはそういう重苦しいテーマがすごく骨抜きにされていて、先進国だったらどこにでもありそうな感じに一般化する作業をしているのかなという感じ。
 もしかしたらこれからのクライマックスでテキスト的な盛り上がりがあるのかもしれないが、今のところ全体的には音楽自体が主役であって、キャラが繰り広げるドラマ部分は個人的には三文芝居の範疇。
 正直あちらの事情に詳しいわけではないので、何が正しいとかそういう判断基準がわからないから主観的なものになる。視聴した感じ、あちらの文化をスタッフはよく調査していろいろな要素を盛り込んでいると思うので、あっちでは本当はこうなってるなんて言える根拠を持ち合わせてない。自分あちらの音楽に詳しくもないし、わざわざ選って聞くこともないのだが、あちらの音楽が好きな人が作ったんだろうなとは思う。主役級の二組の楽曲はまぁ似たような感じのものなのだが、個人的に面白いと思ったのが前半で大部を割いて描写されていたオーディション番組のあたり。おそらくあちらのTV番組にああいうのがあって、都合よく構成してみせたんだろうけど、なるほど日本に輸入されているあちらの楽曲は選別されているんだなと思った。かの地ではあんなにバリエーションがあるんだなと裾野の広さが窺えてこれは終始感心しながら視聴してた。出演者のキャラをわざと濃くしているのはげっぷが出るのだが、その濃いキャラの歌うものが揃いも揃ってクォリティ高く仕上がっているの、なかなかのもの。
 この作品に通底している大きなテーマに「AI」というものがあるが、これが微妙なのが残念。もちろん実用化されて現にAIの問題になっているものもあるんだろうが、ほとんどがAIが実用化されたらきっとこんな問題が起こるだろうという想像の産物という要素のほうが強いので、今一と感じてしまう。まぁだからこそ火星が舞台という近未来SF設定でもあるんだろう。が上述の通り、この作品の優先順位は音楽>人間ドラマ>社会問題なので、そのへん扱いは軽いしスルーできる範囲に収まってる。
 うーん、音楽を主軸としてあらゆる要素がバランスよく配置されているのはよくやってるなという感じだが、個人的にはこれだけ音楽にこだわりをみせてその部分のクォリティが高いというものでなかったら途中で見切っていたかも。ドラマとしては、あちらでは決して避けて通らない人種差別問題を、この作品では今の所見事にスルーしてるし、孤児であるキャロルがピアノで金銭的に余裕のあるチューズデイがギターなのも、普通逆じゃね?とも思うんで、トラブルを避けるためにいろんなことから逃げすぎてはいませんか?といった感じ。まぁ普通に考えて火星に人類が移住してから50年であのような社会になるはずがないでしょ*1ってなもんで、そのへん突っ込んでも益はないのだが。
 いろいろぬるさが感じられて視聴中背筋が伸びるって感じではないんだけど、音楽部分の作り込みがよいので不思議と退屈しない。まぁダラダラ視聴を続けていくと思う。あと一ヶ月ほどだろうけど。



 そうそう、窪之内英策の名前久しぶりに見た。今でこそ全然見ないが、若い頃はビッグコミックスピリッツを目にしていたのであぁあの人かぐらいの懐かしさはあった。

*1:地球と同じ環境が整っているので投下資本は莫大だから、これまたコストがべらぼうに高い宇宙旅行までして貧民が火星であのような日常生活ができるはずがない

式姫の庭、ついに公式ダウン

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 公式トップページを再読込してみるとやはり白背景のエラー画面。予想通りだがやはり寂しい。公式が正式に切り捨てたって事実に直面して本当に終わりなんだなという感じはする。
 せっかくだから掲示板に書き込みをするかと試してみたんだけど、最後の最後で書き込みが不可だった。枝ごとのスレでは投稿するフォームが現れないし、それぞれの板のトップページのフォームでも投稿ボタンを押すとユーザー名を求められる。自分ゲソなのでおそらくゲソのユーザー切り離しがゲーム本体のサービス終了時に行われていたのかもしれない。アピリッツのゲームアカウントを持っていないからそこからの書き込みもできたのかどうかも今となってはわからない。
 やはりガチャ主体では有りながら、難易度の高い攻略をしないのであればレア度の高いカードをわざわざ課金までして確保しなくても、箱庭機能は十分楽しめるわけで、やはり収益性が高くなかったも一因だと思う。あとはやはりゲームジャンルによるユーザー獲得の限界かな。よほど運良く大当たりしなかったら、DAUの自然減でゲーム寿命が宿命的に決まっていたんだろう。
 あとサ終後一ヶ月経ってみると代替として他のゲームに手を付けたということがなく、わりとのんびりした時間を過ごしているから、結構時間的に縛り付けられていたのかなと思う。進化素材の確保やキャンペーンでの納品物集めはそれなりに周回を要求されるし、その討伐地周回は退屈そのもの。拘束時間が長いといったらかくりよもそうで、自分それがログイン時のハードルになって嫌になってやめているのだが、こうやって庭と比較してみると、おそらく拘束時間自体はそんなに変わらないと思う。となると、かくりよのほうに力を入れて飽きさせないような作業を盛り込んできているし、MMOならではのプレーヤー同士の縛りでログインを迫られるってところで、少なくとも目先の楽しさはかくりよのほうが上。庭は自分のペースでやれるのが一つのメリットであり、いつプレイを中断しても、ゲームの変化に追いつけないってことはないし、いつ復帰してもそのへんデメリットはないのだが、肝心の討伐地周回がルーチンワークなので、そこを乗り越えられなければ復帰するユーザーは少ないわけで、いくら中断復帰のハードルが低くても、カムバックさせる魅力が少なければDAUは減っていくばかりだろう。自分にはそれでも十分だったのだが、世の中のゲーム愛好家のなかでは特異な存在だと思う。
 どうしても、庭が続いていけた条件は何なんだろう?、自分にできたことは何だったんだろう?と考えてしまうのだが、仮に自分が月に数千円程度の課金をしていたとしてもムリだったんだろうなというのがわかるだけに、残当という言葉が頭から離れない。前にも述べた通り、おそらく庭は、式姫シリーズのキャラを流用して徹底的にコストを削減してニッチ層を拾う&式姫シリーズの裾野を広げるってのが目的だったのだろうが、草子も転遊記もポシャり、シリーズも衰退期に入ったと見てその役割をようやっと終えたということなのだろう。時代の徒花といってしまえば身も蓋もないが、個人的にはこれだけ思い入れを持って楽しめたゲームに出会えたのは奇跡だとして、大切な思い出になっている。