ななつま#11
前回からの一年生最強決定戦の続きと新しいトラブル発生の巻。うーん、ハーフエルフちゃんが本気を出してなかった云々言ってたけど、主人公も自分が魔剣の使い手だと他にバレるわけにはいかないから彼もおそらく本気は出してないハズで、だからこそ復讐エピソードの件以来彼がやれ窮地に陥るだの力負けしそうになるのだのがもうどっちらけ。
今回危機に際してトロールが動物愛護ちゃんを守ってなんらかのダメージを織っていたようだけど、なんのかんのいって、メインキャラ側も、番を張ってる優遇されたキャラと、彼等の引き立て役で何か事が起こればやられ役になるキャラとに分けられるわけで、キャラの扱いが差別的なのはまぁ物語上分業体制になるのはそれは当然なんだけど、結局ポリコレ要素って物語上でメッセージ性を帯びさせるけども、物語の構成上は全然ポリコレなんてビルトインされてないわけで、そのへんなんだかなーという感じ。
これでアニメ版は〆なのか、それとも分割2クールなのかわからんけど、とりあえずこの1クール目、期待感は結構高かったけど、ストーリーの潜在能力の高さをほのめかされるばかりで、全体としてはシオシオな感じだったなー。原作者が商業作家なので、アイデア自体は彼のものだろうけど、ストーリー自体は編集との協議のうえで何らかの方向性を決めたり修正したものだからこれが本当に原作者が書きたかったものなのかよくわからん。でも編集のアドバイスでそれなりの支持を得てアニメ化までされるんだから結果として間違ってないんだろうけど、個人的には児童文学寄りのハリポタだったかなぁという印象。なんでもアリの学園環境とか、ブラック企業だとか税金チューチューしてる企業でわんさかの現代日本の状況と相似形だし、魔剣使いという点は差し置いても、基本に忠実で魔剣使いであること以外はどれも平均以上ではあるものの、何か一つは他人を超越するような能力はない主人公ってのは、庶民が塾や習い事などに行かず学校の勉強を真面目にコツコツやってるみたいな印象を受ける*1から、それなりに読者が自分と重ね合わせて感情移入できるキャラに仕立てられてるし、侍ヒロインは、こう内助の功というのではなく主人公と肩を並べて困難を切り開いていく戦友のようなヨメなので、かなり現代日本の状況に寄った構成なんだよな。そういう現代的要素の落とし込みができる作家がストーリーであの生温さは、こうやって1クール眺めてみた感じだとちょっとバランスが悪いというか、でもまぁポリコレにも配慮してキレイごと多めで読者になるべくストレスを与えないのがヒットの秘訣だったりするんだろうね…。
デキ猫#11
雑エピソード。まぁ新規キャラを増やしてもハンドリングに困るし、かといって主人公二人のエピソードばかりでも話もどん詰まりだから、既存キャラを複雑に絡ませるしかないんだろうなーとも思うんで、スーパーの店員と職場の同僚が親戚同士でも今更驚かないんだが、まぁハッキリ言ってネタ切れなんだろうなというか、ダラダラ日常を続けていくにはこういう方向性しかないんだろうなという感じ。
ダラダラしたネコを想像してそれが本来の猫の姿といわれても、こっちとしてはいつ見てもネコは何らかの仕事をしていて、本来ならじっとしたりのんびりしたりする時間にもコロコロを使って部屋の掃除をして、ネコの時間がすべて家事に費やされてる描写しかないのは正直差別的だと思っていたから、なんなんだろうなという感じ。
かのかり#34
寡黙少女の担当回。なんつーか、浮名を流した男がいよいよ年貢の納め時ということになって、本命以外のつきあってる女とすべて縁切りをするステージに入ったのかと思ったらそうではなかった。とはいえ、今回の寡黙少女は別に主人公とつきあってるというほど恋愛要素は強くなかったから、むしろお別れするのはこのヒロインと主人公ではなく、ヒロインと読者っていったところだろうか。
今回ちょっと感心したのはやはりレンタル彼女的な要素で、個人的な人間関係も現代では既に資本主義的な要素が侵食してるんですよという部分を再度提示してきたこと。そういった意味では逃げ恥と同じと言えなくもないのだけども、逃げ恥は最初は両者に個人的な感情はなく単なる契約による割り切った関係だったのが、この作品だと主人公は最初っから相手に恋愛感情を抱いていて、関係性をカネで買ってたこと。とはいえ、別に恋愛をカネで買うのは人類史上最古の職業がそれだし、カネ持ちはカネで二号さんを囲うとかやってたわけで、要素分析をすればそんなに新しいというワケでもないんだよな。
ただ、貧乏人でもカネがあれば女を買えるんですよ…と、これも昔でもあったことだけど、現代では特にその貧乏人が女を買うためのカネを稼ぐ方法が社会的にビルトインされてるのが昔と比べて整備され尽くしているので洒落にならんよな…という。で、主人公とヒロインがそういう資本主義的な関係だけだったら精神的なつながりができましたか?というとそんなことはなく、主人公とヒロインそれぞれの祖母がコネで繋がってたからお互いの身柄保証ができ、主人公はヒロインのプライベートな問題を知ることもできたし、ヒロインは主人公の人格を知ることもできた…ということになっている。結局市場原理による資本主義的な要素だけでカップリングが成立するかと言われたら?、まぁそういう事例もあるけど、結局はコネなんですよというのは近代というより前近代的要素が前面に来たって感じなんだけど、そのへんどーなんだろ?。まぁ所詮この作品はフィクションだし、個人分断化が行き着いた先には地縁血縁を基本としたコネの入り込む余地はなくなってくるとは思うんだけど。
アイノイデンシ#10
陰謀論とスピリチュアル。なんか今頃になってフックしてきた。そういやSFって新技術は話の枕程度で、本体は人間ドラマだったり現代社会批判だったりするのが結構多いので、これも来るべきAIと人間の関係性というよりメインはやっぱり新技術以外の何かという感じ。自分はAIに人格を付与することに対する是非だとかそういうものに気を取られていたからAI要素要らんじゃんと思っていたのだけども、この作品自体がAI技術をそんなに重視してなかったという。
まぁそんなわけで今回の見どころ、スピリチュアル教祖と雑誌記者のサイン会での対話、そりゃあんな公衆の面前で教義に反する受け答えをするハズがないわなという感じで、うまくオチがついていたという。
*1:但し主人公は貴族っぽい感じはするんだよなー。ただ、この学園は貴族でもなければ、平均的な能力を持った平民が入学できるようなところではないので…