新米錬金#5

 主人公が商売のスケールを拡大して村の特産品を作ろうとする話。なんか今回はそんな美しい話でもなくって、最初に村に売る商品開発ということだったのだけども、これ、村の資本が少ないときに主人公がドンドン商品を売ってしまえば、村の富を主人公が収奪して、主人公はモノを売れなくなるし、村全体の経済も停滞するという、まるで今の日本のような状況になる(現代日本ではその上重税を年々搾り取るからもっと酷い)。なのでかどうかわかんないが、結局終盤で村全体を豊かにしましょうという話にしたのかな?とか。
 あと、魔法の原価がよくわからん。くっころの治療でも述べたのだけども魔法を使って何かすると途端に付加価値が上がるのはどういう話なんだろうか?。

 帽子の原価に魔法を付加して約10倍になるのだけども、これが例えば付加する魔法力を補給するために@2000πなり3000πなりのポーションをその都度飲まなくてはならないのだったらわかるのだけども、なんかそれっぽくもないのだよな。別に原価に利益を上乗せして価格を決めるのではなく、達成される成果や効果について価格が決まるというやり方もあるので、おそらくそういう方式だろうけども、それだとおそらく魔法を仕切ってる組織が、これこれこういう魔法効果を付加したらその時の値段はこうと決めてるハズで、なら主人公のアイデアとか他の村や町で既に採用されてんじゃね?という気もする。まぁこれらも別に説明されてるわけでもなく自分の勝手な想像なのでどうなってるのかはわからん。
 あと戦後の日本人の消費行動をみると、これどーなん?と思うことしきり。いや別に日本に限らないんだけど、村を豊かにするってどういうこと?みたいな。便利な道具を売って村人の暮らしが楽に、便利になることが豊かなのだったら、バブル期までにあの戦前財閥が収奪しまくってその上滅亡戦争までやって庶民の生活が貧困でそのどん底から、重工業に重点配分して家電製品や自家用車を売りまくって、それが必要な国民にほぼ行き渡ったらどうなりましたか?という話。機能は大して変わらないのにマイナーチェンジばっかやってモデルチェンジごとにこれが新製品ですよ…と売りつけることがそんなに必要なことでしたか?という。
 なので、カネ儲けすればその分購買力も上がるしその分個人が所有するモノは増えるんだけど、その生活を維持するためには稼ぐ力も維持しなければならないし、で、市場が飽和するまでは同じものを売ってればいいんだけど、飽和させずに利益を上げ続けるためには商品開発だとかマーケティングとかとにかく走り続けなきゃならないので、それが本当の豊かさなのかね?というのが高度成長期を経てバブルが崩壊し、その後政官財が産業の振興を図ることなくとにかく身内に税金を横流しするために庶民に過大な負担を押し付けて、ついに中国に三倍以上の経済格差をつけられ、一人当たりのGDPも韓国に抜かれ、今絶賛経済がシュリンク中の日本を見てるとなぁという感じ。主人公が引越しをしてから特にあの村が働いても望むべき収穫が得られず食うに困るような状況ということでもないし、物々交換で暮らしていけるんならそれもまた一つの豊かさなんじゃネェの?と思ってしまうワケだが。もちろん強欲資本主義の波があの村にも押し寄せてこようとしてる…という状況だったら話は別なんだけども。