エクハ#11

 一話丸々使ってバスケの試合をする話。なんかもうちょっと新しい展開とか構成とかが見られると思ってたのでなんか意外というか肩透かしというか、とはいえ、今までを振り返ってみるといわゆる成り上がり形式の古い物語が全体的な構造なので、そこから逸脱しなかったというだけの話なのかも。試合も古いタイプの勝負が大枠であって、スポ根時代のもの。しかもけがをしたのに無理をして継続という、今となっては禁じ手の要素も入れ込んでいて、どーなんかなと思わなくもないが、これを入れるとほぼ間違いなくシナリオの温度は高くなるからわかってて入れてるのだと思う。実際これがなかったらパワーとパワーのぶつかり合いになってしまって話は単調になってしまってたとは思う。試合運びもスーパープレイの連続だから見ごたえがないわけではないし、全体の構成としてもおかしなことはしてなかったから迫力も緊迫感もあったという。ただ、試合は単発だし練習で特訓して汗臭さを出すってことをしてないから、スポ根テイストでもスポ根要素を丁寧に排除してるからなんか妙な感じ。
 うーん、なんだろ?。なのはシリーズが魔法だけを使っていて、その後シリーズ内で格闘要素が強まって、ビビッドストライクでは格闘技が物語のメインになり、魔法はその補助ということに収まったのだけども、本来その人が持ってない力を行使するのではなく、自分由来の力を重視すべきという主張のように思われたのだけども、結局補助に魔法を使ってしまったのでは論理矛盾じゃね?と思わせる作りだったので、個人的には成功の範疇ではないなと思ってた。ところが、本作では自分本来の力だけで頑張るという要素は消え去ってしまって、キャラクターに多数のスポーツに習熟させるのとバーターなのかどうかはともかく、あんま外部動力の導入に躊躇がなかった。
 ビビッドストライクでは外部動力を使えば得られる成果は桁違いだけども、その反面誰かを傷つけてしまう時には容赦なくその人を破壊してしまうので、自分自身の力にとどめましょう、もしくは外部動力を使うのなら際限なく使うのではなく人体の保護優先で、力を上乗せして使う場合にもルールに従いましょうというのは主張として間違ってはないと思うけど、その主張があまり説得力を持たなかったのは結局のところ我々が近代に生きているから外部動力の使用に何の疑問も持てないところにあるのではないかという気はする。この作品の場合、AIロボットにしろ試合で使う魔法もあくまで補助的なものという風に、やはり際限なく使うのはやめておきましょうねという節度らしきものは見られるんだけど、どうなんかなといったところ。シナリオとして破綻してはいなかったからビビッドストライクよりマシとは思うんだが、例えば、バレーボールでいえば男子バレーボールがあっという間に強力スパイクをうってしまったらそこでゲームが止まるという段階に入ってしまったので、スポーツに外部動力を導入してしまったらそれと同じ現象が起こってしまって、この作品で描かれたように試合にメリハリがついて面白くなるという事態にはならないのではないか?という気はする。
 なんか今回ナラティブ消費の要素を排除しててなんか肩透かしだったんだけど、よくよく考えてみたらクライマックスでは視聴者は物語に没頭したいのであり、メタ視点で俯瞰しても興醒めだと考えるとまぁ悪くない判断。次回はご褒美のステージだが、どうするんだろ?というちょっとした期待と不安がないまぜといったところかな。正直スポーツで勝てば栄誉を称えられてせいぜい打ち上げで盛り上がって一息つきたいのであり、さらにステージで観客とコミュニケーションを迫られるなんてせわしないからこちとらゴメンって感じなのだけども、主人公にとってはアイドル活動こそがやりたいことの本命だからなぁ。やっぱ個人個人が多種多様なスキルを求められる世界とはディストピアでしかないと自分は思うのだけども。それを言語化すると途端にストーリーが険悪な雰囲気になるから今の今まで構造として示しはしてもわざわざ言及してこなかったのであり、その辺も間違ってないのだけども、どーすんの?といったところ。
 構造として面白いものはあるけど、物語としてはハンコなので、どう評価してよいものやら。


リコリコ#12

 新たな心臓を諦めるのと、仲間のリコリス救出作戦の巻。前回からの動画の流れ、金髪ボブが弾を避けるのではなくカバンで受けるところから、敵の耳を潰して拘束する流れ、あれだけ動きが速いのに何やってるか一度で見て分かったし、それぞれの動作に意味が込められていて、これぞジャパニメーションの粋といったところで見ごたえ十分だった。言葉で説明されてなくても示されてる意味まで分かるというのは動画で一番重要な要素でもあるから、このシーンだけは文句のつけようもないという。
 しかしなんだな、命の選択みたいなのがテーマのようでありながら、いや、結局金髪ボブは他人の命を奪わないというところは揺るがないことわかってたでしょとしかいえないし、ならば金髪ボブに自分が犠牲になっても人殺しの経験をさせることで歯止めをなくすって意図だったんだろうけど、最初っからうまくいかないのも承知で、しかもほうほうの体で逃げ帰ってるんだから、オマエなにしにきたんだよって感じ。金髪ボブも相手の意図が分かった時点でその場からすたこら逃げれば相手の意図をくじくことができるのに、ダラダラ会話を続けていたわけで、そこで黒髪ロングが突入しに来ても結局危険に晒してたというだけの話。
 リコリス殲滅もオカシな話で、衆目に晒されてリコリスを処分するならリコリスの男版も処分するのが筋*1で、リコリスの古株がどうやら自分たちが処分されるようだと気づいたかのような描写だったのだけども、リコリスの男版も自分たちが処分されない前提で動いているのもよくわからん。映画の撮影でしたということでいかにも誤魔化せましたという流れのようだが、人の口に戸は立てられぬのであって、あんなんでごまかしきれるものでもないのだけども、まぁこの部分だけはあんまり責めてもなという感じではある。なにせファンタジーなので。
 なんつーか、基本的に人間は未経験なものを体験するときには大抵シーケンシャルにしか考えることができないんで、こう新しいものを矢継ぎ早にパッパと見せられてる時にはただ受け入れるだけしかできないんだけど、その習性を利用して後から考えたら破綻してる論理でしたーみたいなものを押し付けられるのはなんかズルい感じはする。今回の助けられた命を使って人の命を奪うことはできないというのもテーマ設定としてはいいと思うんだが、リコリス全員が孤児であるという段階で、社会によって命を助けられているともいえるわけで、金髪ボブ以外のリコリスが全員躊躇なく人を殺してるし、別に金髪ボブは自分がやらないだけで組織としてやってる現状を一つも変えることができてないし変えようともしてないので、結局のところは彼女の自己満、しかも卓越した能力があるからやれてるだけの話で、それを普遍的なテーマとして視聴者に突きつけるためにはいろいろ足りないものがあるんじゃネーノ?という感じ。
 ただ、逆にそれゆえに彼女が聖女として成り立ってるという部分はあるので、エンタメ重視でいろいろ論理を破綻させて、それでもなおかろうじて残ったひと粒の砂のようではある。

カッコウ#20・21

 妹ちゃんと紫髪が距離を詰めてくる話。好きだという気持ちを表に出さずに、思わせぶりな態度でつながりを強くしようとしてるのオモロイ。しかもどうやらライバルを蹴落とす方向で仕込みをかけてくるところとか女ってコエーみたいな感じではあるんだけど、この場合は好きにならなきゃ回避できるものではあるんだよな。
 やはりよくわからんのは兄とされる人物の存在可否。妹ちゃんとのクリスマスの思い出を示されて、自分てっきり主人公はそういやそういうこともあったなと思い出す展開になると思ってたんで、そうでないところにカギがあるのかなとか。主人公が子供の頃のことを覚えてないとか、実はやはり兄がいてその時期取り換えられてたとか可能性はいろいろあるんだけど、どれも決め手に欠ける。ホテル王の息子は一人だけというセリフも、こうキャラの内心を吐露するという形ではなくてキャラ同士の会話なのだからウソをついても構わないわけだし、なんかもやもやする~。しかしこの手の作品だと本当に別個に兄がいるというならほのめかしてるもんなんだよなー。そういうのが一切ないあたり、本当にいないのではという気はしてるのだが、サプライズのために隠し通してる可能性もあってやはりなんとも。

*1:例えば自衛隊特殊部隊のような合法的な組織が秘密裏にリコリスの女版も男版も皆殺しにするのが正しい