ヴェルメイユ#10

 敵の必殺の攻撃が飛んできたときに限って主人公が覚醒したりデウスエクスマキナっぽく助けが入って過去話(以下に続く…の巻。今までの話が話だったから、仕方がないというか、もう今回のバトルシーンもげんなりだったんだけど、今回の、このこの世界での現実時間でのクライマックスっぽいところで理念だとか、お気持ちの強さだとかを象徴的に示すのはそりゃそうなんだけどサ…といったところ。
 結局サ、今まで主人公が活躍してきたというのも、初期設定として主人公がべらぼうに強い魔力を持っているということ、で、おねえさんを使い魔にして、現実には彼女が主人公の剣となって解決できたってことなんだよな。つまり主人公は想いが強いってだけで、おねえさんがいなければ彼はいつまでたっても芽の出ないモブだったハズってこと。そりゃもちろん彼が努力してるってことにはなってるし、今回もおねえさんの口からそう言わせていたんだけどサ、お勉強なわけでしょ。つまり正しい答えがすでに用意されていて、そこに到達するルートを辿ってきたかどうかってだけ。主人公が少ないリソースをフルに活用して、答えのないトラブルを彼自身が試行錯誤し、ときには失敗挫折して、それでもなんとか針の目を通すような答えを見つけて周囲の信用を得て評価をされるって形じゃない。いっちゃぁなんだが、昔ばなしの英雄譚は皆そういう形をとっているのであって、主人公が「こうあれ」と思うだけで、あとは他人がおぜん立てしてくれてなぜか主人公が類稀なる能力を持って解決してしまうというものではない。ファーストガンダムも、主人公は初期から中期にかけての長い期間、時には能力を発揮しながらも、舞台となった軍用艦の中ではひよっこ扱いで、時にはその甘さを上官に殴られたりして矯正されようとしたりしたわけなんだけど、ナニ?、このもうサクセスストーリーを周囲が既にお膳立てしてくれちゃってるような構造は?…みたいな。
 まぁファーストガンダムですらあの「親にも殴られたことがないのに」という有名なセリフに見られる通り、あの時代の若者も相当に上の世代からは甘ちゃんだとみられてたってことなんだけど、それにしてもこの主人公の甘々な設定はどーなの?って感じ。結局ストーリーの初期の部分、主人公の成長のためにいろいろ失敗だの挫折だのというシナリオを入れ込んでも、今ドキの若いものは見向きもしないから、いちおうそこは詳しく描写しないんだけど努力したことにしておいて、悪役が倒されたり、人助けの善行をしたりのオイシイところだけ見せてカタルシスとかを得る、なろう系のラノベでも結局俺TUEEE系のものが大流行なのも、主人公と自分を重ね合わせて勝利だのといった成果を達成するってカタルシスを得る部分だけ取り入れてスカッとするとか、正直幼稚としか言いようがないという気はするのだが。生まれつき類稀なる万人に影響を与えるほどの才能があって、成果の達成には主人公の意に従って他人が手足となって解決にあたってくれるって、まぁそりゃ親ガチャに勝ったというのとどれほどの違いがあんの?って感じ。
 今回の話だって、以前にも問われた命題、世界中を敵に回してもお姉さんを優先するかってのは、決意の問いかけとしては結構深いものがあるし、これは最近ネットでもよく見かけるようになった、他の誰もが見捨てるような、ぱっと見救う価値が無いような人もあなたは救える、もしくは救うべきと思うのかって問いにもつながってくるワケで、それは主人公が問答無用でおねえさんを救うといったその心意気やヨシではあるんだけども、でもおねえさん、色気のある見目麗しき外見で、話が通じるし筋を通すってことも理解できてるし、どうやら過去何かやらかしたようなのだけども、それについて海より深い反省をしているようなので、いや、ブスで何言っても反抗してくるし助けてやっても感謝など一切せず恩を仇で返すし過去の悪行を反省することなく次々と罪を犯していってホントこいつこれだけ手を差し伸べてやっても学習能力あるの?っていうぐらいクズでも本当にあなたは救おうとするのか?、でもそういう100人中99人には必ず嫌われるようなどうしようもない人間を救うことこそ本当の福祉だろ…みたいな話でもないように思われるんで、結局今ドキの若者の、なにか世の中のためになることをしたい、で、自分が不快な感情を抱かずに済むようなテストケースをこの物語にしたためてみましたってだけの話になっているんだったら、まぁポルノはポルノでもほんっとに下品なポルノだよなって感じなのだが。