スパファ#10

 学校編ドッヂボールの授業の巻。クライマックス、子供に見せ場が回ってきたときに、どっちに転ぶのかわからないのが秀逸。
 シナリオの方向性に文句があるわけではないのだが、今回の、男だったら子供であっても矜持を持つべきとか、その他色々背景的には昭和の価値観なんだよな…。その頃を知ってる層だけがターゲットではないだろうし、実際今の若者もこの作品を読んで結構面白いと判断した結果のアニメ化だとは思うんで、現代の倫理観と乖離したその要素に肯定的に惹かれてるのか、それともこのお涙頂戴的展開を自分たちの価値観とは異なったものとしてどちらかというと好奇なものとして評価してるのかよくわからん感じやな。

くノ一ツバキ#10

 雨をネタに話ふたつ。テーマは組織運営。まぁどちらも日本のメンバーシップ的な感性だよな…という。別に主人公がメンバーシップ制的なリーダーではない…というわけではないんだけど、ゲストキャラがまぁ明確な調整型のリーダーとして描かれていて、これが作中では頼りないという設定だから間違えそうになるが、日本の場合独裁的なリーダーシップが有効か調整型のリーダーシップが有効かといわれると、もう結論は明らかで、独裁的なリーダーが現れると、途端に日本の国力が落ちたり、果ては滅亡したりしてる。別に独裁的なリーダーシップでも、別にそのリーダーが立派であればよい方向に転んでもよさそうなもんだが、なぜか日本の場合、こう打つ手なしみたいな状況になってから、オレがオレがと自己主張の強いのが他人を押しのけてリーダーになり、それでさらに日本を窮地に陥らせる結果しかもたらさない。なにせそのように世が極まったときにそのリーダーは全体のことを考えてなにか改良しようとかやり方を変えてみようとするのではなく、とにかく強権的な手法で自分だけが肥え太る、つまり困ってる人たちをさらに困らせるようなことしかしない。そういうときに調整型のリーダーはやれ何もしなかっただのと批判されることも多いのだが、実際にもたらされた結果からすると、強権的なリーダーはむしろそいつがなにもしなかったほうが事態は悪化しなかったということが多くて、その強権的なリーダーを褒めたたえるのは、よーく観察すると、そいつに甘い汁を吸わせてもらった連中ばかりだったりする。
 まぁそんなわけで、なんとも主張が弱い感じに仕上げられているけど、今回のように、誰も望まないこと、しかも自分ですらそう思ってないことを強権的な手法で押し付けても、結局付け焼刃だし、そういうものがうまくいくはずないでしょ…というのを描いてるし、そんなの柄じゃないとか気弱な主張でまとめてしまったけど、組織内から出てくる意見はそれ自体に大きな問題がなければ尊重しても構わないし、自然発生的に出てきた意見ならやり方自体は当人たちが分かってるからわざわざ改めて指示したり命令しなおしたりする必要もないでしょってなもんで、最終的に肯定的な結論にまとめてるのは昨今のそのリーダーシップとやらを観察しての主張なんじゃネェの?と思った次第。

カッコウ#8

 妹が主人公争奪戦に参戦してくる話。とはいえ、妹ちゃん本当に恋愛感情なの?みたいな。今回の話だとちょっとしたブラコンなのではという気もする。ただ、それが日本の場合ちょっと難しくて、古代あたりは近親婚が結構当たり前であって、前近代ではそもそも皇族がごく最近まで近親婚を残してたぐらいだし、事例はそう多くないとしても江戸期、人の往来の少ない山奥の村落とか割と近親婚やってわけで。その古代では妻や恋人のことを妹と呼んでたぐらいなのだから、そもそも認識として境界があいまいなのが日本文化の特徴なんじゃネェのという気はする。まぁ姉を持つ男は甘え上手だという話も聞くし、なら妹しかいない男は恋人ができても妹に接するようにつきあってしまうとか、兄を持つ妹は庇護欲を満たしてくれる男性を求めがち…とかそういう話なのかなとか。要するに、人間は家族と一緒にいる時間が一番長いのだから異性との付き合い方をその家族間の関係性で学習してしまうとかそういう話。まぁ兄妹で恋愛関係になる…っていうほうが現実にはほぼありえない話なので、いちおう妹が兄に恋をするような状況に「仮に」なったとしたら、それは多分にそいつ自身が兄との親密な関係を恋愛と勘違いしてるだけなんじゃネーノという話。
 別に例外がないというワケではないんだけど、人間、近親婚はNGという社会的タブーの共同体に属していると、なんのかんのいって何故かそれを内面化してしまうものなので、こういう作品だと分が悪いし、近親婚がオッケーの物語は悲恋だとか世間的には例外扱いされるよね…。