クロスアンジュ 第9話

 ちょっと舐めてた。間違いなくテキスト担当者はアーロン収容所をよく読んでいる。
 アンジュが実はおびき出されたのだというお話。ヒルダが母親に会いに行くことによる悲劇はまぁうまくいかんでしょというのは読める(もし母親がヒルダを受け入れても隠れ続けられるはずがないので早晩破綻する)んだけど、アンジュの場合はどうなんだろうな?という不確定要素を排除しきれない。そもそもおびき出さなくても、アンジュが邪魔者であって一切の交渉を断ちたいのであれば小細工を弄しなくとも閉じ込めておけるし、別に命令で殺すことも出来る。よく考えてみれば妹を助けても逃避行が続くわけがないのだから、その方向性はないはずなのではあるが、誘って返り討ちは合理性がないと判断したのでちょっと甘かった。
 アーロン収容所では、敗戦直後、著者は捕虜として収容されるわけなんだが、そのときに早期帰国が検討されていると英軍から知らされるのだ。もちろん捕虜達はその情報を信じていつ帰国できるのか心待ちにするのだが、その実英軍は早期帰国のための嘆願もしていなければ、本国で捕虜の早期帰国の検討すらされていなかったということがあとからわかり、絶望したということがあったらしい。今回の話も基本線はそれに則ってる。すなわち、アンジュはぬか喜びさせられて希望を断たれるという仕打ちを受けたわけだ。おそらくアンジュ兄はアンジュがモヽカを救った経緯の詳細を報告として受けていたろうから、自分を慕う人間に対してどのような行動に出るかというのを予測され、罠が仕掛けられたのだろう。実はこのたくらみが成功する鍵はモヽカの行動なのだが、次号予告を見る限り、モヽカゞアンジュ兄側に加担してアンジュを騙したとは考えにくい。物語により深みを与えるためにはむしろモヽカもアンジュを騙す側に立たすほうがよいのだが、それだとあまりのショックで視聴者が離れるリスクが大きくなるので、さすがにないと思いたいが…。
 それに対してヒルダは、悲劇ではあるがヒルダ母がヒルダを騙すということにはなっていない。親子の情を否定するということにおいて十分な重みがあって(だからこそ後のアンジュとの比較対象(照)になる)、あの社会がディストピアであることを表現できる。さらに面白いのは、過去話でヒルダ母が叫ぶ台詞が、「娘を連れて行かないで」というのではなく、「見逃してくれ」ということ。この言葉一つであの国の社会通念がどんなものであるのか想像させられる。
 で、ヒルダよりアンジュのほうが精神的ダメーヂが大きいわけで、そこには「社会的地位が高いものがより重い罰を受けるべき」ということが描かれている。もちろん彼女が特権階級であるからこそノーマであることが機密として隠されるだけの権力があって実行されており、より罪が重いのではあるが、アンジュがノーマであると明らかになってもなお彼女の母は彼女を守ろうとして死を選んだのであり、だからこそアンジュの喪失感は大きい。そしてアンジュが受ける罰は、彼女が特権階級にいたときはノーマを公然と差別していたという描写があったことから決して理不尽なものではないという提示がなされている。つまりヒルダは悲劇的要素、理不尽な要素のほうが大きいが、アンジュは自業自得的な要素が大きい。ヒルダとアンジュを別々の回で独立して描くのではなく、視聴者に相違点を探させて比較させる手法をわざと取ったハズ。両者とも酷い目にあったというのではなく、アンジュのほうがより罪深いのはちゃんと理由があるという主張。
 もちろん基本構造は世界名作劇場だから、底本とした古典そのものがそのような理論武装がきちんとできているわけで、参考にしたこの作品は、一から作ったものよりは作劇を間違う可能性は低くなるのだが、そうはいってもまるごとコピーしたわけでもなく、理屈付けが矛盾しないようかなり整理されている件については舌を巻かざるを得ない。B級なのに。
 そしてさらに恐ろしいのはアンジュ兄やアンジュ妹はこの先どんな目に遭おうとも認識を変えることがないということ。アンジュの場合はモヽカとのつながりもあって更正できる(または更正の余地がある)ということになっており、だからこそ主人公になっているわけだが、アンジュ兄やアンジュ妹は、現実社会の法体系でいう「自分のやっていることが犯罪であるという自覚が最初からあって」、「計画性がある」という、情状酌量が一切なされない条件がクリアされている。つまり、アンジュ兄やアンジュ妹は正当な裁きがなされたときに、仮に心から反省していたとしても救われる可能性が排除されている。だから彼らは自主的に存在を消すという選択をしなければ、“必ず”強権的な行動に出て社会を破壊する結果をもたらす。そしてそういう権力者の姿は、この作品のようなファンタジー世界だけの存在ではなくって、現実の、そのまゝよその国よその組織ではなく、現代の、まさに今、この瞬間にでも起こっていることであるよというのがまたね…。