ヒーラーガール#5
緑髪の実家に行く話。うーん、空中浮遊する人のイメージだとか、空間に散在する光の奔流のイメージだとか、KURAUにも見られた入江監督の特徴で、圧倒的な三次元表現は定評があるとも思うし、音とのコラボも確かにいいとは思うんだけど、やっぱりシナリオだよな。こういう田舎があったらいいなって徹底的なお客様めせんで、それも地元の人専用のおすすめスポットがあるという、地方では恵まれた土地であって、別れの時には後ろ髪を引かれる想いとか、VR体験としての観光地というもの。まぁ別に田舎のドロドロした関係を見たいわけでもないし、キレイごとならキレイごとを突き進んでもらっても構わないんだけど、こういうとってつけたような地方描写だったら、のんのんびよりで十分じゃね?みたいな感じはある。それで結論が奇跡的な出会いに感謝とか、うーん、うーん…。
まだ数作品程度残っているが、そろそろ4月スタートの新番組をざっと見渡してふとおもったのだけども、B級だとかエンタメにリソースを振り向けた作品は、まぁ三文芝居ではあるんだけど、その範囲でバランスが良いとか悪いとかで十分楽しめるかどうかを判断できるのだけども、シリアスがメインの作品だと、やっぱ世界観だとか理屈を真剣に突き詰めてくれないとどうにも空回りって感じから免れない。いやまぁこの作品があくまで歌って(踊れる)声優ユニット売り込みのPV程度なんだよっていうのなら、別にキレイごとで飾り立てるのも好きにしてくれと思うだけだが、やっぱ視聴者の一人としてはストーリーに期待をしてはいるので、前も述べたのだけども投入してるリソースや才能の無駄遣いみたいな感覚がどーしても抜けないというか。
司書#30
主人公が恵みの象徴としてドサ回りする話。なんか今回は宗教要素がグダグダであるという理由でオモロい感じ。キリスト教が豊穣の神の役割を果たしていたとは思えないから、これはむしろ多神教である日本の前近代に近い話だと思うのだが、なるほど、収穫が天候に左右されて、人為では何ともしがたい時代には、こういう巫女のような役割にはかなり農民が期待していたんだろうなというのはわかる。この作品だと魔力が可視化されているという設定だから、あのように器からなにか効果がありそうなものを受け取っていたらなおさらだろう。まぁこのへん魔法というものを都合よく使いすぎとは思うのだけども、前近代の民衆が何に期待していたのかというのを近代人が探るにはいい表現だとは思う。あれで来期の収穫が約束されるのであれば、そりゃ信仰は深くなるわな。ただ、昔だと宗教儀式が収穫を保証するなんてことはなかったのだけども、信仰を篤くしてダメだった場合と、無信心でダメだった場合の比較のしようがないので、神を称えるだけ称えてという部分はやれるべき対策をやった上で…と同義であって、それでもだめなら諦めるしかないという境地だったんだろうと思う。まぁそりゃ収穫量が主人公の能力に左右されるのだから、他の貴族も血眼になるだろうし、それで国力が決められるというのであれば、ある意味彼女は戦略兵器扱いというのは納得。ただ、昔の日本だったらたとえ平民であっても神扱いされたであろうから、そのへん身分制度を中世西欧に合わせてるなーとは思う。