リアデイル#11

 ゾンビ騒動から救い出した孤児を引き取って育てるためにいろいろ準備をする話。うーん、なんかこの話を視聴後エライ余韻に浸っていたというか、いろいろ整理してみてはいるんだけど、どうもうまくまとまらないというか、まぁ考えがまとまらないならまとまらないなりに、視聴後に頭に浮かんだいろんなことを書き留めていくのがアニメ感想エントリーの主旨でもあるし、メモしておくことにする。
 前回まででぼんやり考えていたのが、俺TUEEEなのは、持ってる力をどう使うべきか?みたいなイシューが提示されていると考えていたんだけど、今回引き取った娘、それまで彼女が面倒見てきたゲーム時代の息子娘たちとあまりに年が離れすぎていてちょっと困惑した。で、いろいろ考えていたんだけど、個人的な事情なんかも併せて考えていたら、あーそうか、これは母になるということなんだ…と思い至り、なんかもつれていた糸がほぐれていくような感じを受けた。それだけでなく、今回は前野声の獣人族の嫁まで出てきて、ハイハイハイという感じ。というのも、そもそも主人公は死んでしまってるから、やろうと思えばこの世界でも形式的に母親にもなれ、なんなら結婚も形式的にはできるんだけど、それは前にプレーヤーに会った時にフレンドリストに登録するがごとくのものであって、生身の体を持っていたら実感するであろう動物としての感触感覚とは別の物。だけども、主人公は何の因果かこのゲーム世界に転生するような形で意識があり、たとえその母になることや妻になることが仮想空間上の、いわば紛い物であっても、命あっての物種というか、実際にゲームとしてプレイしていた過去に比べると実感もあることだし、もう本人としてはこの世界がゲームであろうと他の何物かであろうとそれを躊躇してる場合ではないのだ。まぁ本当は本人も自分が死んでしまってることをすごく気にしているのかもしれないが、かといって作品上ではそれをモノローグなどの形で表現することもなく、あくまで彼女がこの世界で精いっぱい生きていることを示す、そのことに意味があるんだなと気づいた次第。というか、死んでしまった自分とこの世界で行動してる自分との対比をわざとしていない。この作品を視聴し始めたごく初期になんで一度は死んでしまったのに、ゲーム世界で縦横無尽に動き回れることに喜びを感じる描写がないんだろう?と気にしていたのを今でも思い出すが、なるほどそういう葛藤などを描かずに生とは何かを表現してるんだなという感じ。だから、他のプレーヤーと出会っても、そのプレーヤーは死んでいないハズなのにログアウトしたリアル生活の話をしないなぁと思っていたのだが、なるほどそんな無粋なことは最初っからしないと決めてるんだ…と思った次第。
 あとで後悔することがないよう今この瞬間瞬間をまっすぐ生きる…って直球勝負なテーマ、なんかすごいご無沙汰といった感じ。何がまっすぐ生きることなのか、一生懸命生きることなのかは、主人公のありかたをみて視聴者の一人ひとりが考えてくれ…言語化すると途端に薄っぺらくなってしまうから…なんだろうなみたいなことをぼんやり考えてた。割とテーマは深刻なんだけど、深刻ぶらないであくまで他の異世界転生モノと同じような軽さで表現してるってところが今ドキの作品かな。