オリエント#9

 赤髪がインナーワールドから脱出し、前回穴に堕としたキャラと戦いを始めるの巻。金髪キャラの親父との過去話はフォーマット通りながら力強くあんな感じで良いのではといったところ。だからこそなんだろうけど、昔はそれなりに理屈抜きの友情をそれと自覚することなく結んでいたりしたのではと思うが、今だと保育園はまぁ昔より託児所扱いだし、学齢期になってもスクールカーストで、基本自分勝手に振る舞うようになってるのがカジュアル化してるので、手を伸ばせば手の届くものというよりは、掲げるべき理想みたいなことになってるなという印象。でもまぁかといって昔が良かったかといえば今流の個性は殺されるだろうし、連帯責任で縛って行動を制限されていたわけで、単純に考えたら権利の拡張は行われてる。ただ、自己責任論は無意識に拡大してるわけで、昔はいじめはそれなりに酷くてもそんなに人間が壊れることがなかったのが、今だといじめがカジュアル化して日常から転落すると這い上がるのが難しくなってる感じ。今回の話でいえば金髪の親父が赤髪を許すということも、今だったら難しくなってんじゃネェの?と感じる。個人の権利は拡大したけど、その増加分だけ社会が壊れてる。
 それをなんとかしようという一つの方向性として、今回の話でいえば一緒に何かをやるってことなんだろうけど、正直ファンタジーとしては美しいけどそううまくいきますかね?といったところ。個人個人がいろんな場面において自分の選択肢を優先してきたわけで、トラブルに見舞われたらその時その時の個人の利益や主義に沿って自己決定論を行使してきた結果が今なわけで、とっかかりの段階から頓挫するようにしか思えないわけだが…。

リアデイル#9

 村に帰ってきてトラブルを解消しようとしたら人魚に出会い、その原因を探りに行くが…という話。で、ヒキでそのトラブルがやはりプレーヤーの仕業であるとほのめかされて次回へ…という展開。騎士団長との交流は、稚拙ではないけどドン臭いな…と思って眺めていたのだが、それを囃し立てる騎士たちの描き方、団長ああは言ってるけど実は…みたいなものが実に秀逸で、すごい人間臭さを感じた。まぁシナリオでどうとでもなる範疇ではあるのだが、主人公と騎士団長はプレーヤーであって、他の騎士たちはおそらくNPCだから、プレーヤーもNPCも同じ人格を持った存在というのがうまくできてるというか。プレーヤーの二人がこの世界を愛おしむのもそりゃわかるってのがよく伝わってきたような気はする。
 で、終盤のプレーヤーの悪事になるわけだが、正直またか…と思っていて、しかしもうアニメシリーズ終盤だろうし…とぼんやり眺めていた。で、はたと気づいたことがあって、これやっぱりわしかわいいでも触れた、ゲームなのにリアリティを感じる…というのと、リアル世界の事物をまるでゲーム感覚で…の対比ではあるんだろうなというのが一つ。そして、これ、今までこの作品にあまりそういう要素を認めてなかったんだけど、政治批判なんだろうなというのがもう一つ。ゲームプレーヤーがNPCに対しそこに実在を感じないからどんな酷い扱いもできるし、まぁDQ、FF全盛期の頃にも言われていたことだが、自分がプレーヤーとしてモンスターなどの敵狩りをやってることは、あれ、盗賊と変わらないことをやってるわけで、もしスライムの一匹だろうとあれが実際の世界の一般人なら絶対許されないことであり、でもあれはゲームだから何匹狩ってそれで金品や装備を奪っても、それはゲーム遂行上必要なことでもあるから、倫理観をスッパリ捨て去って追剥ぎ行動に邁進してるんだなという。相手はNPCだからどんな酷いことをしても平気だし、仮にそこにNPCではなく他のプレーヤーがのこのこやってきても平気でPKをやってしまう。
 で、それはそのまま、自分や自分に親しい人たちは優遇するが、そうでない、自分にとっては権力を維持するための養分としか考えてない多数の国民は、まるでゲームのNPCのようにどんな酷い目に遭わせても平気の平左というのは、アベトモに優先的に特権を渡し税金を横流しし、それ以外の国民は「こんな人たち」といみじくも言い放ったアベに通じるものがある。結局この作品では、絶大な力を持っている人はどう世界に接するべきか?という問いかけをし、その理想形として主人公がいるのだと考えると、あーなるほどと思った次第。つまり、主人公が俺TUEEEにしてあるのもちゃんと意味があったわけだ。

ハコヅメ#9

 訓練の巻と、通報に対応するの巻。訓練の話はまぁ若手はともかく、退職間際なのにというのはわかる気はするなぁ。これ歳取ると痛切に感じるんだけど、よく新しい業種への労働者の再教育や再配置とか言ってるけど、若い時にはすぐに覚えてしまうようなことでも歳を取れば何度も繰り返さないと覚えられないしそうやって苦労しても忘れてしまうので、そう簡単なことでもないんだよな。もちろん体力もそう。疲れても疲労が抜けるまでに時間もかかるし、下手すると過度な体力仕事で体を壊すことも多くなる。結局成長産業への労働者の移動って勇ましいことを言ってるのは他人の労働の成果を横取りするような連中だとか、モノを右から左に動かして中抜きするような連中ばっか。本当に技術や知識を使うような業種で、まだ老化とは何かわかってないバカな若者はともかく、40代にもなれば人間限界があるものだということがわかってくるから無茶を言わなくなってくるんだよな。で、高齢になると保守的になってシルバー民主主義とかいっていかにも老人が若者を搾取するような言説が世を惑わすんだけど、高齢者にとっては、今は威勢が良い若者に対してもムリすんなというメッセージを込めているわけで、それが読み取れない若者はついアベやケケ中の味方をしてイキってしまう。本当は特権階級や上級国民の搾取のためにいいように使い倒されてるだけなのに、自分の才能をひけらかしていかにも自分は優れた人間なんだということを誇示して弱者からの搾取をしてしまってることに気づかない。階級構造が本質なのに世代間対立の構図に落とし込まされて社会を壊してしまうのだから救えない。仕事で成功すればするほど若者は天狗になるし、もちろん若者の中にも自制の利くものがいて、やろうと思えば仕事上の成果につなげることもできるんだけど、それを強行すると弱者を痛めつけることになるから敢えて全力を出さないものもいるが、そういうのは一切目に入らず、成功すれば自分が天才なんだという認知バイアスに陥ってしまう。そういうものが実力者として世の中を動かしていった結果が、高度成長期にあれだけ太い中流層を構成できた日本を下流だらけにしてしまうことになったのであって。
 しかしなんだな、後半は後半で、こんなしんどい仕事をしてるオレ達という視点で見たら警察関係なくサラリーマン応援歌のように見えるんだけど、冷静に考えたら愚民どもに振り回される警察官たちという構図にもなっているんで、あーこんな困ったちゃんに痛めつけられるぐらいなら、特権階級の重大な犯罪や搾取を見逃して、ことによっては警察や検察が自ら特権階級の犯罪幇助までしてアベトモとして優遇され出世できるんなら、そりゃ簡単に転んじゃうわなとぼんやり思ってた。医療関係者や教員、企業に対してはモンペやクレーマーという用語があり、顧客が圧倒的に強いという関係になってるが、警察に関してはそういうものがないわけで、転び公防などで何とでもなってる現状、仕事が大変なのはそうなんだろうけど、やはり他の職種とは一線を画してるとは思う。この作品を視聴する前から、警察の本当の暗部は描かないという評判を耳にしていたけど、そう思われないようにいくら原作者が気を付けてもどうしても特権側の傲慢さは滲み出てしまうわな。