リアデイル#8

 娘の旦那のしでかした不始末の処理と、他プレーヤーとの交流。内容はともかく、プレーヤー同士のセリフで割ときになったので。

  • 主人公が死んで半年でリアデイルのサービスが終わる。
  • 騎士団長は3年、その友人は10年、主人公は2ヶ月この世界にいる。
  • 騎士団長とその友人は主人公が死んでいることを聞いて驚いてたから、おそらく二人はリアルでは生きている。

 というわけで、主人公が死に、サービスが終わる半年間、主人公はどうなっていたのか?。騎士団長ら二人はゲームにログインしぱなっしでリアルでの生活をしてるのかどうか。がよくわからん。少なくともログアウトするというセリフを聞かなかったから、そのことだけで判断するとリアルでは死んでないが実生活をしておらず、実質終了してるはずのこのリアデイルの生活オンリーみたいな印象を受ける。
 今までのこの手の作品だと、もうリアルでの生活とスッパリ切れて転生先の生活オンリーか、SAOのように実生活は寝ているなど実生活での意識はなくて、ゲーム世界での仮想体験がメインだが、ゲーム世界はあくまで仮の生活で、実生活の肉体と魂が一体化しているというのが前提のもの。この作品だと主人公は転生先オンリーなのは間違いないだろうが、どういう形で精神や魂が存在してるのかわからんし、他のプレーヤーはリアルでは生きているけど、精神もしくは魂のあり方がまったくわからん。今回の他プレーヤーの二人は、自分の予想では実生活では昏睡状態が続いていて、ゲーム世界にだけ意識があってずっとログイン状態なのではないかと思っているが、そうなるとこの世界に来て3年と10年の差は何なのか、単にゲーム歴を言ってただけなのか、それとも実生活で目覚めることなくログイン状態が続いてそれだけの年数経過したのか判断できないが、後者だとするとその経過時間の差は何なのか、どうも自分の中での辻褄合わせが全然できなくて困ってる状態。
 で、こういう話にしてるからには、当然原作者の中ではそれに対する答えが用意されているんだろうけど、果たしてどうなるか。もうそのことが気になってストーリーが頭に入っていかない。

ルフレ、ハンター終わる。

 今月はコラボでのんのんびよりがモチーフ。自分最終日の今日まで気づいていなかったのだが、夜激をある程度狩って、7000位は安牌だなと思われるところでいろいろ探してるうちに、今回のコラボストーリーを見つけてしまった。というか初日にプロローグだけはそういや見てたな。
 ガルフレキャラがランダムに目的地を決めて旅行中、のんのんびよりキャラの住まう土地に訪れて一緒に遊ぶ…というストーリーで、そりゃまぁ双方のお約束満載の三文芝居ではあるんだが、それなりに世界観が良く組み合わされて何のかんの言って楽しんで最後まで読んでしまった。
 遊ぶ内容は、雪合戦や伝説の剣というおままごとに、家に招かれてトランプなどをするって感じのまぁよくあるものではあるんだが、ごっこ遊びってこれっていわゆるRPGの原型じゃんと気づいてなんか感慨深かった。ごっこ遊びをするとなると、参加者が暗黙の了解という形で世界観を共有して自然に割り振られた役割を演じるわけで、これって既存のゲームのようにあらかじめ世界観が提供されてるってわけでもないし、ステータスを上げるために作業なんかをしなくてもよく、普通にこれまた即興で物語っぽい何かを共同して作り上げるわけだから、ごっこ遊び、子供の遊びとバカにするもんでもないな…とちょっと思った次第。雪合戦も、雪玉を投げるって単純な行為なのだが、よくよく考えてみたら勝敗の判定って割と難しいのでは?と気づいて、まぁコラボストーリーでは勝敗がはっきりしてるわけなんだが、頭に血が昇って怪我人でも出るような流れにもならず、かといってみんながどちらが勝ったかというのをぼんやりとでも認めるような結果にしてるんだから、そういうなんか暗黙の了解に収まっていくって流れ自体が結構組織員の調整がうまくいくようなそんな共同体になってるんだろうなと思われて、あーなるほど、単純な遊びでもそこから社会性を育む要素ってのはそう思えば含んでいたんだなと。まぁ子供の遊びなんで、そりゃ我儘と我儘がぶつかってうまくいかないこともあるんだろうけど、そういう失敗も含めて社会とは何かを自然に学習できるんだなという。これが商業主義的なゲームだと、まず世界観が実生活すっ飛ばしてフィクションで組み立てられてるし、判定もゲームが強制的に決めてるから裁量の余地があんまりない。既に決まってるルールに従ってそのルールで許容されてる手段の身を組み合わせて最適化するしかないから、みかけにいくら凝っていても奥行きは自然と制限がかかるんだろうねぇ。
 でもまぁ、現代社会ってのはもうネットで商売が自然に成り立ってる時代だし、地方の自然の豊かさなんてものがそういう高度に電子化された現代社会にどれだけ寄与できるのかと思うと、そのへんもう逆転してしまって人工物のほうこそ社会を構成する基本要素に近い存在になってるんだろうなとかそんなことをぼんやり考えながらシナリオを読んでた次第。