スローループ#4

 釣り具屋の娘の誕生日祝いと、主人公がょぅι″ょに絡まれる話。うーん、なんだろ?、特にストーリーでというわけでもなく、前回言ってたようにキャスト動作が整ってるからというわけでもないと思うのだが、自分でもあの糸を操作するってのをやってみたくなってしまった。シナリオはきらら枠特有のフォーマット通りで、何がダメってわけでも、かといって特筆すべきところもないのだが、自分がそういう気になったということは、趣味導入としてそれなりに悪くはないってことなのかな。ループを作ることとか、思った通りに投げられるとおそらく気持ちよいだろうなと思ってしまうんだよ。それで魚が釣れたら最高なんだろうけど、自分の場合近場に海はないし、川はあるんだけどそこで釣った川魚を喰うか?といわれると、それはちょっと…という感じなのでどうにも。まぁ思いつきの類なので、仮に道具を揃えて一通り体験したら飽きるんだとは思うけど、ちょっとこれは意外だったな…という感じ。

明日ちゃん#4

 主人公の撮影会&寮訪問の巻。茶道部の茶室?でのシーンは、もうショットがグラビア写真のそれなのでそりゃイメージと違うだろうではあるのだが、あそこでうまく写真が取れました…という展開ならそれで話が終わってしまうからまぁ。菓子作りはなんかほんわかするが、小麦粉は安いところで1㎏100円からあるんだけど、バターは200gで400円からするので、なんか最近ネットでも見たが、手作りより買って済ます方が結果的に安いし失敗もないという。買い物に制限があるというエクスキューズはまぁよくできてるわな。
 うーん、もうなんつーかね、思春期のいろんな要素の中でも、都合よくええとこだけ抽出して再構成してるから美しいのなんの。OPもそうだし、主人公の興味からして、もう最近流行りのアイドルなんかを取り入れてるところはもう現代的で、生活実感とかそういうのは昔からの日本人のありうべき姿とされていたものなんだけど、うまい具合にリファインされてる。だからノスタルジーといわれたらそれはちょっと違うという感じだし、それでもなんか視聴してると悲しいわけでも懐かしいわけでもないが、涙が出てくるんだよね。
 結局これは昭和期の、高度成長からうまくやった場合に日本はこういう風になれたかもしれないんじゃないの?というファンタジーなんだろうなという気がする。もし中曽根土光が日本を新自由主義に舵取りをしなければ、その後のバブルもなかったし、バブルがなければバブル崩壊もなかったし、狂乱の金融沸騰がなければ急激な成長も無かったろうけど、少なくとも今のギスギスした状況よりはマシだったんじゃね?という、もうひとつのありえた日本の姿の一つというか。もうすでに変わってしまってるから、その変わった現実を要所要所に取り入れながらも、それでも変わってほしくなかった要素をうまく嵌めこんでるというか。

失格紋#4

 魔族退治遠征をやり遂げ、龍を学園に入学させる話。もう魔族退治は俺TUEEE展開でどーでもええって感じ。龍の入学話もまぁありきたりといったところ。本当なら入学試験であれだけやらかしたらお断りではあるんだが、逆に教育の役割とは力の制御を教えて社会に役立てる…なので、むしろ積極的に(社会の側が)入学させる動機になってはいるんだよな。

怪人開発部#3

 第3の怪人登場の巻。日本のサラリーマンあるある文化。正社員は正社員でも正社員貴族ではないし、非正規も描いてるからそれなりに涙を誘う。ある意味個人的には浪花節しか期待してないという態度なので、ハマってきた模様。
 しかし首の数を増やすより、毒の実装のほうが先なのではないだろうかと思ってしまった。

現国アニメ#17

 国内の戦後処理もほぼ終わって、ヒロインズとの縁談が進んでハーレムが達成される話。ライオンの人は神明裁判で社会的には殺すが…の展開が頭をよぎったのだがそのへん容赦なかった。その割に反乱貴族の子孫は許すというのだから甘ちゃんだよな。満州国の国家運営資金をⅯ資金として私物化し中央政界への工作に使ってのし上がり、滅亡戦争に突入させたニキサンスケ、戦後反共の防波堤として合衆国に許されて権力に再度のしあがって子孫がまたもや日本を食い潰してる現状、クズの子孫は根絶やしにしとけとしか思わないのだが…。
 あの世界観だと主人公登場前はルネサンスもまだ達成してないように見受けられるし、ルネサンス(のヒューマニズム)も人間回復ではあっても人命尊重だとか人権という思想ではないから、そのへん近代をすっ飛ばして現代哲学思想との喰い合わせはちょっと違和感がある。その割には一夫多妻制を受け入れるのだから矛盾してるというか…。