真の仲間#11

 魔王討伐組と合流して勇者を加護から解放しようとする話。前にヒロインが会っていた脳筋はニセモノだったらしい。魔導士は魔導士でもうなんというか認知欲求の塊で、これは現代でもそうだが、やりがいだとかアイデンティティのために周囲が振り回されるという姿そのものだワナ。
 うーん、なるほど、勇者が服用してた薬の効果で、新しい加護とやらがあって、それは何か効果を発現するような加護ではなく、いわば空っぽの加護で、あーこれが近代化における自己決定権をこういう描き方をしたのね…という感じ。というより、この世界での加護とやらが、むしろ前近代の、「人は生まれながらにしてイエのあり方に縛られる、家業を継ぐのが宿命だし、自分が他にやりたいことがあったとしてもそういう生き方は普通庶民には許されない」とかそんなの。今回これがちょっとオモロイなと感じたのは、そういう前近代のあり方が近代の自己決定権に比べて劣っているとかダメだとかいってるわけではないこと。家業を継げばその商売のノウハウも、まったく無知識で一から学ぶより有利な状況で受け継がれるし、親も子供の素質に関してはそれなりの知識なり目利きができるから、教育もそれなりにやりやすくなる。まぁ現代でも甘い汁を吸える職業前提だとは思うが、伝統芸能だの芸能界だのスポーツ選手などは何のかんの言って一定の条件を満たせば家業を継ぐのがオイシイわけだし、実際能力が無くても親の七光りで甘い汁にありつけてる人間はそれなりにいるわけで、そういう連中にそういう特権を手放して公平に勝負しろといったとして、そうそうたやすくアドバンテージを捨てさせることはできない。
 で、自己決定権があったとして、それは個人の願望を叶える可能性はあるとはいえ、ノウハウがなければ徒手空拳もいいところ。この物語だと、勇者は勇者で今までの蓄積もあろうし、万が一そういうメリットを全部捨て去ったとしても兄が保護してくれるわけで、そのへん何も持たない庶民が見果てぬ夢を見るというのとは話が違ってはくる。ただ、そのへんを念頭に入れて、別に自己決定権だけが手に入ったとしてもそれで願いをかなえる可能性が高まるかどうかは別問題というエクスキューズはこれでも十分できているとは思うんで、昨今の「近代化による自己決定権マンセー」という風潮から冷静に距離を取っているのはなかなか考えさせられるものがある。この作品における加護とは、もうちょっと個人の生まれつきの能力というか資質みたいなものを想定していたのだけども、ここにきてもうちょっと社会的な階級みたいな話になってきてあーそうくるかって感じ。
 しかしそうなると、魔王討伐の理由だよな。勇者は勇者として魔王は討伐されるべきというドグマに従ってたわけだけど、そういや魔王がなにか人間側?にどんな悪さをしてたのかとか明かされてないよな…。魔王討伐というのが実は現代における国家間の争いみたいなものであったとしたら、勇者は自分がその理由に納得できないのであれば別に勇者であることを放棄しても何の問題もないってわけだ。

暗殺貴族#11

 依頼の内容は実は…という話。もうナンダヨーってな感じ。もっと主人公がアンビバレンツな選択を迫られるのかと思ったら、崖から一メートルほど下には温かいオフトゥンが敷かれてました…みたいなガッカリ感。ただ、よくわからんのは原作もこうなっていたのかな…いやなっているんだろうけど、こんな甘々な展開なのに、わざわざ次回どうなる!!!みたいな展開をする必然性が感じられなくて、しかも原作はなろうなので、仮にこういう引っ掛けの展開があったとして、なろう自体は(この作品がそうかどうかは別にして)毎日更新って作品がそれなりにあるから、そんなに読者の興味を引き付けるためのテクニックとしてそんなに機能してない可能性はある。どうせ次には展開が明らかになるんだから、驚きのシーンをつくってみても、読者の方でそんな大したことにはならんでしょみたいな感覚がデフォルトであるのかなと。ただ、原作を知らない層にとってはアニメだと一週間も待たされるし、その間にいろいろ考える時間を与えて視聴者に試行錯誤させる…というのがゴールデンタイムにアニメが放映されていた頃のデフォルトなので、その感覚でこういう切り方をしたのならちょっと酷くね?みたいな感覚はある。
 最初っからこれは救出ミッションなのね…と思えば、まぁフツーの話運びであって、多勢に無勢をチートでどう乗り越えていくか、どうせ結論はわかっているから、カタルシスを感じさせるためにどう工夫しているかって話でしかないから、ラス前である程度爽快感を感じさせるのはまぁそうねぇといったところ。
 ただ、個人的にはやはり転生前と転生後での主人公の変化に焦点を当てるのなら、やはり家を捨てるかヒロインを捨てるかの選択は欲しかった感じ。ましてや金髪ツインテを通じて道具であった前世と自己決定権を追い求めてる現世の対比をさせてるのだから、その辺に関して主人公が順風満帆なのもちょっと気になる。金髪ツインテの扱いも、まー仕方がないのだろうが、中国古典では「士は己を知る者のために死す」なんて物語が、脚色はあるだろうが史実の物語として山ほどあるわけだし、そういうのに比べると力強さに欠けるとは思う。二人で帰って来いという願いに、必ず帰ってくるという答えに泣くのもよくわからん話で、アレはおそらく金髪ツインテが自分の思いを受け止めてもらえず願いとは逆の方向に自分が行動してしまうことに対しての何らかの思いだとは思うんだが、主人公は二人で帰ってくるとはいってないわけで、あれ、考えようによっては「万が一どうしようもない状況に陥ったら、銀髪ヒロインは見捨てて自分だけは金髪ツインテのもとに帰る」というメッセージなのかもしれず、そのへん意図を明言してないのは上手いとは思うが、ちょっとミスリード入っていませんかねぇみたいな。
 まぁ細部に関していろいろツッコみどころはあるんだけど、全体的な構造として、道具として人に使われるのではなく、自律的に生きていくというメッセージ性に関してはちゃんと力強く主張できているので、少なくとも回復術士よりは視聴していてもどかしさは少ないというか。