電池少女#1~3

 おそらく表現規制をテーマにしてるのだろうが正直なんのために戦ってるのかよくわからん感じのオリジナルロボットアニメ。ふむふむのお供のつもりが、ふむふむ全然進んでない。
 #3まで視聴した感じ、どちらかというと主体性の話なんだろうかと思ってしまった。ちょっとオモロイのが、では主体性というのはスタンドアローンで存在できるか否かという問いが仕込まれてそうなのだが、そのへんは答えのようなものも示されてないし、自分が過剰に読み込もうとしてるのかもしれん。なんかパイロットを動かすためのヒロインの役目が、結局のところオタクの原動力である萌えを表現させる人身御供なのかなと考えると、なんかあざといというか、エロくはないけどなんか即物的やなという感じ。彼女がOSとしての役割を持っていて、実際の戦闘には参加してないから…というのが根拠にあるのだが#3では主人公と一緒にパイロットとして戦っているようで、そのへんもよくわからんところ。
 しかし表現規制がテーマ?、なんつーか、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、リベラルが表現の自由を標榜して、まぁ具体的には自民盗のように権力勾配を利用して表現規制をして、あわよくば資本の奴隷にするのは許せんみたいな流れかと思えば、実際自民盗は時々見せしめのために理不尽を押し付けてくるが全体的に大規模な表現規制をするという形はずっと取ってこなくて、いざ選挙を控えて共産盗が非実在表現を規制すると言い出して、あちゃーといった感じ。フェミの票が欲しくて自分が何をしてるのかわからんようになっているのか、それとも共産ソ連のように官僚制で人民を統治して気に入らんのは排除したいという本音がつい漏れたのか、個人的には既存政党がどいつもこいつも著しく腐ってんなぁ~みたいな。
 蛇足になるが、王ランと比較すると、あちらは作家性はあるし手堅い話運びながらどうにも突き抜けないというか、小ぢんまりした感じを受けるのに対し、こちらはオタク層にウケそうな要素をてんこ盛りにしてる割には記号化が丁寧で、作品としての勢いはこっちの方が断然あるという評価。なぜこの二作品をわざわざ比較することにしたのか深い意味はないが、B級作品と割り切って突き抜ける作風のほうが、B級テイストは避けていながら手法は全然垢抜けてないより、現時点では前者の方が自分に合ってるのかなという。それだけ王ランが気になっていて、どうにか息切れせずに楽しませてほしいという期待感があるってことなのだと思う。


86#16

 激戦地でのメインキャラの活躍を示し、視聴者に対して「ドヤァお前らこういう熱いシチュエーションがみたかったんだろ」の巻。うーん、なんとも微妙な感じで、今回は連邦だけでなく共和国側も描写してたので、そろそろ接点づくりを開始したのかなという気はする。で、スピアヘッドのほうは劇的な活躍で味方に評価されてよかったねという風に見えるし、女王のほうは祖国の危機に踏ん張って見せるところを見せてこれまた胸熱展開、思いが認めてもらえてよかったねという風に見える展開。
 いや、よかったねじゃねーんだよ…という。ただ、これは原作者による意図的なミスリードの可能性が大きくて、だから別にこの展開がダメだというつもりもない。逆にこういう展開を是とする視聴者にあとから本当にこれで良かったのかという突きつけをするための前段段階なのかもしれずで、その判断が現段階ではつかないから、だから微妙に感じてるという。
 オモロイのはスピアヘッドのほうではなくて、女王のほうなのだが、これ、1期の頃はスピアヘッドが使い捨ての部隊であり、彼女が赴任した当時はその状況に胸を痛めながらも結局のところウエメセで結果的に彼女もスピアヘッドを使い捨ての部隊のような扱いをしてたという話になってた。それが明確に言語化されて女王に突きつけられたのが3~4話なので、タイミング的には大体一緒にしてあるといってよい。今回の女王の振る舞いの何が滑稽かというと、女王が普段から部下に示している厚情は呉子の「吮疽の仁」なのであって

呉起は軍中にある時は兵士と同じ物を食べ、同じ所に寝て、兵士の中に傷が膿んだ者があると膿を自分の口で吸い出してやった。ある時に呉起が兵士の膿を吸い出してやると、その母が嘆き悲しんだ。将軍がじきじきにあんな事をやってくだされているのに、何故泣くのだと聞かれると「あの子の父親は将軍に膿を吸っていただいて、感激して命もいらずと敵に突撃し戦死しました。あの子もきっとそうなるだろうと嘆いていたのです」と答えたと言う。

ja.wikipedia.org
 で、今回彼女がわざわざ部隊を本土に呼び戻して防衛にあたるというのは、結局彼女が部隊をいざというとき使い捨てにするために普段から手をかけていたということになってる。むしろ叔父の将軍のほうが、どうせ国が滅亡するのなら早々と86を解放して自由にしてやれと暗に言ってるわけで人としてよっぽどまとも。女王の、祖国の御楯として使いつぶします。そのために日常から配下の部隊に厚情を示して洗脳してるからという、もう1クールでお前は何を反省したのか、全然成長してないという構図になっているように見える。どうせ部隊が活躍して危機を脱したという形にするのだろうし、仮にそうなった、86が超人的活躍をして祖国を救ったからといって、市民が英雄扱いするかと言われたらそんなことあるはずないのであって、そのへんは若干連邦と対比関係にしてるのかなといったところ。


ルフレふむふむ終わる。

 結局終了まで走り続けてLv70にてアガリ。まぁ本日走り始めたのが終了2~3時間前だし、Lv20弱からのスタートだったからいつもに比べて全然走ってないということになる。それでも5000位以内に入っていたから、7000位以内のマカロン取って3マカ、もちろんLv50を突破してるから下位SRは四枚取りしてる。ランキング関係なくLv100まで達すればマカロンが無条件で貰えるので、一時間ほど余分に走っていればおそらく達していたはずで、もうちょっとがんばるべきだったかも。
 ただ、難しいところで、ふむふむの報酬は大体ステータス低め。4Mフルマカで攻援26000ほどなので、たとえLv100まで走ったとしても4マカがせいぜいだから3MExで25000強だから副セン中位になる。こうなると一年ほどたてばステのインフレで副センからも弾かれるからそんなに気合入れてフルマカを達成するのもダルいということになる。
 しかしなんだな、ふむふむはとにかく時間拘束がキツくて、しかもやってる間はクリックし続けないといけないから他の作業と同時並行というのが難しい。だからアニメのように、クリックを伴わない娯楽が適しているわけなのだが、これがまたくせ者で、一旦アニメを見ながらふむふむということに慣れてしまうと、アニメを見ずにふむふむすることが、とてつもなくストレスに感じてしまう。アニメを見ないでふむふむに熱中していたときには、確かにストレスは感じるんだけどそんなもんかと思っているから自然に諦めている状態になれるが、一旦楽を覚えてしまうと、楽じゃないときの落差が気になってしまうので、どうにもやりきれない。
 これが他のイベント、レイドや対抗戦ハンターカリスマだと、行動力の自然回復分を消費したり、差し入れを間欠的に受け取るなど、拘束時間はそこそこあるのだが、実際にマウスをクリックする作業が強制的に伴うという意味での拘束時間はふむふむとは比較にならないほど負担が少ないから、なるほど上位層がふむふむに乗り気でないのもよくわかるといった感じ。


投票行ってきた

 小選挙区はもうホントに投票先がなくて、それでも今までの貢献を考えて、自民盗やなぜかクソ田舎にも候補者を立ててきた維新ではない候補者に入れてきた。比例が、まぁわかっていたけど、ホントれいわぐらいしか投票先がなくて、他の政党はなんでこんなに嫌悪感を感じるんだろぐらいの忌避感があった。その唯一と自分が思っているれいわですらも先の参院選では障害者に議席を譲って主張に期待してた中間層をガン無視してたから、厳密にいうとどの政党にも重大な瑕疵があるのだが、そのなかで実害が他の政党と比べて極端に少ないって程度ではある。れいわに投票したところで、仮に全員当選したとしても単独で政権を取ることは100000%ないので、政権選択という意味では死票になる。れいわをウォッチして個人的な見どころは、参院選で障害者に議席を譲って発言の機会を最大限与えたのだから、障害者全体でその恩に報い、こんかい比例しか発揮しようがないのだが、障害者団体がこぞって投票して得票数が爆上がりするかどうか。躍進すれば山本の判断は正しかったということになり、では今度は障害者も健常者も手を携えていきましょうということになるが、そうならなかった場合は結局障害者は自分たちだけの特権を追い求める身勝手な連中なのであり、次からは中間層を主軸に動いていきますねとなるだけの話なので、まぁ次につながらんこともないというか、でも今回獲得議席数0でしょぼくれて消滅の可能性もあるよなみたいな。
 まぁ実際自分が白票も含めてどう投票したのかは伏せておくが、国民審査は全員×をつけた。まぁあいつら自分たちの出世しか考えてないので、最高裁判決でドシロートですらそういう判決するわというもの以外で、あんまりまともな判決を見たことがない上に、個人個人がまともな判断をしていても、「あんまり全員が出世のためのヒラメ行動してると本格的に信用を失うから、オマエは国民の味方の役ね、で、結果として自民盗の意に沿うような判決をして行こう」でしかないから、一旦全員を落とす必要がある。違憲立法審査権をただの一度も発動したことのない裁判所になんでそんなに信用を置くのか、意見が分かれそうな判断こそ最高裁に持ち込まれるべきなのに、ほとんどが上告棄却だとかで、最高裁の判断で国民が湧くといったことが全然なかったということの意味をよく考えた方がよいと思う。いろいろ問題はあるが、日本はそもそも民主主義であったことなどないし、アベで民主主義であるというタテマエすらかなぐり捨ててしまった。近代国家のスタートラインにすら立ってないのだから、本当に民主主義とやらが大切なのであれば、まず基盤作りからする必要があるんじゃなかろうか。
 個人的な予測では、今回の野党共闘政権交代が起こるはずもないと思ってるし、仮に起こったとしても、立民は公約を反故にして結局自民盗と何ら変わりない政権運営をしてしまうのは先の政権交代を振り返っても明らかだし、選挙直前の奥歯にものが挟まってる物言いだったことからも濃厚。与党野党の二極でものを考えること自体が無意味になってしまっているよなという判断。
 というかね、選挙制度自体に信用を置いてないのよ。駄菓子屋でくじを引くようなもので、引く紐にはアタリが全然つながってない出来レースで、でも紐を引いたんだからその結果には従えとか、イカサマ賭博でしかないと思ってる。イカサマ賭場にはいかないのがまともな人間なのであり、結局投票作業というのは選択の意味が全くないのだから、自民盗政治を追認する儀式でしかない。追認なんてやりたくないよって話。逆にね、投票結果自民盗創価盗維新の得票率が100%で、投票率が数%みたいな結果になったら海外も驚くし、国内でもこれはオカシイという風潮におそらくなる。今は選挙に行かないと糾弾されかねない勢いだから仕方なく投票所に行ってるけど、投票以外に有効に政治を変えられる手段があるなら、投票になんか行かないよって話。