タクト#2

 主人公が敵を倒す特殊能力を持つに至った経緯。うーん、やっぱりわからん。とはいえ、おそらくこれはコロナ禍で密を避けるためにコンサートが御法度になった現状をそのままモチーフにしてる感じはする。音楽が禁止といっても作品世界で例えばヘッドホンで音漏れさせずに音楽を聴くことはできるんじゃね?とも思うし、今のところ開放空間で音楽を演奏してそれが敵に聞かれるのがいかんのだろ?という感じなので、ただ、そうだとすると音楽を禁止されてストレスを本当に感じてるのかみたいな話にはなる。
 今回の、能力を発動するトリガーがあのような展開である必要があるのかもよくわからんし、まぁそうはいっても敵と戦える能力を獲得しなきゃ話は始まらんわけで、その辺の理屈付けをどうしてるのかわからんところではあるが、あんまり説明しても益のあることではないからすっ飛ばしたんだろうなという感じ。
 音楽を演奏することすなわち聴かせることの本質に触れていたようだが、主人公が一人で弾いて満足してるように見えながら、結局コンサートではセッションまでやっているわけで、フリなのかよみたいな。本物の音楽を見せてあげますよからの展開はいわゆる美味しんぼフォーマットなのではあるが、確かにA列車からシング×3の流れはようやく合衆国が舞台であることの合理性を出してきたなというところではあり、それなりに見どころにはなっていた。本当に観客が感動するだけのクォリティだったのかどうかはともかく、豪語してみせるだけの展開にはなっていたように思う。
 でも、音楽を演奏することの意義に関しては、例えばましろに比べたら雑には感じた。ましろのほうの主人公も、こう自分の祖父の音に憧れて、それ以外の音には見向きもしないという、ちょっと人間として壊れているところはあったからそのへんすべてが整っていたわけではないんだけど、逆にそういう偏りから出発してその後のエピソードで経験を積ませるというか幅広さや奥深さをコツコツと積み上げていたから、視聴者にとって丁寧な話運びだったように思う。
 ただ、今回の話だと、こう音楽を楽しんでるのは基本的に演奏者であって、スキルがあるものどうしで音を通じて対話してるという形になってる。聴衆はそうやって演奏者が楽しんでるそのおこぼれにあずかって感心しててくださいみたいな感じで、語弊があるのを恐れず言えば、演奏者同士で対話しているけれど、演奏者と聴衆で音を媒介として対話しているという要素はあまりに希薄な感じ。こういう構図があのポニテ姉ちゃんの言った誰も聞いてくれる人が居なくなった時に弾き続けられるのかという問いと対応してるのか、成長途上なのでそこまで頭が回ってないということなのか、それとも一切そのへんは考えずに、こういうシーンがかっこいいから提示してみたというだけの話なのか、先を見てみなければわからないところだが、本当にそこまで考えているのかどうかはまだまだといったところ。
 まぁ難しいところで、クリエーターの背負ってる業というか、別に聴衆の求めることに忠実に従って作品を作り上げたり演奏したらそれが一番かと言われるとそうではなくって、やはりその人のオリジナリティというか突き抜けたところが、受け手の想像を超えてくるからこそ感動を与えるって部分は多分にあって、いいなりも不可だが無視して突き抜けても理解されないしでその辺のバランス感覚だよな。で、それが敵と戦うことでテーマとして示されんの?みたいな。ドラマ部分にしろ、音楽の本質にしろ、どこまで真剣に描こうとしてるんだろうか?みたいな疑問というか懐疑心はある。